誰かとの関係性に内在されている温度は
出会った時のほんの一瞬の間に、その殆どが決定している、といえるのかもしれない
その時はほとんど無意識であるから気付かないが...
その一瞬の決定は
その一瞬以前の僕の経験の中から割り出された数式によって
僕の命に利益をもたらしてくれるものか否かを判断すること
利益アリと本能が判断した後
論理の脳がずいぶんのんびり時間をかけて理由付けをする
その段階になって初めて我々は状況把握するが...
もう
最初から決まっていたことなのだ
それを「運命」と呼ぶ人もいる
ならば、
思考より遥か手前の一瞬で決まってしまう運命に身をまかせるしかない、
と気付く事を達観というのだろう
もしくは大袈裟には悟りというかもしれない
そして
論理の脳が暢気に理由付けをしてゆく時間の中で
自分がそれに身をまかせて「何処」まで流されて行くか
この河の流れに乗って行き、何処で岸に上がるのか
一番低いところまで流され切るつもりなのか
そういうことを迷っている心をも見詰めるもう一人の自分を
俯瞰というのだろう
達観 俯瞰 悟り
こういったものたちは、ほぼ同じ意味をもって
同じ座標軸に横一列に並ぶものと思っていたが
そうでもないようだ
階層の違う次元に散りばめられている
異なる階層に点在する、この管理センターを
縦の神経網で繋げたいと欲するのは
きっと僕の中の、命の存続を司る者の仕業なのだろう
この複数の領域を一本の連絡網に統合して、
最も生きるのに適した知恵を得よ、と
ずっと無意識に過ごしているが
一瞬の瞬きの間に、そのほとんどが決定していたことに
ある時,フッと気付いく
そのタイミングから人は
急に泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだり葛藤が始まり
その中で「もともと一瞬の決定が為されていた」と気付いた人はきっと
キャンバスに絵の具を塗り付けながら、今度はその意味を探すのだろう
そしてその存在に、一生気付かぬ人もいるのだろう
なんにせよ僕という生物は
この「一瞬」という「点」の中に究極の美を見
また魔性を見たいと欲する者のようである
そして欲張りな事に...
自分の傷を癒す事と
この「点」を見切ることとを
同義、と扱う者らしい