Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

ギタリストである自分が生かさせてもらってる、ってことの話

2016-07-31 | ギターの栄養




僕はいよいよ
少々頭が可笑しくなって来たようだ

自分ではとても興味深いことではあるのだが



音楽業界の隅っこに在籍しながら
「音楽産業はもっと廃れれば良い」と思うのだ




生まれた時から何の疑問も無く人口過密な都会に暮らし
そこらじゅうで人間関係がギスギスするのを見て来て心が荒み

たまにはホッと出来る土の匂いが嗅ぎたい
と思った時
ほとんどアスファルトに覆われた都会の地面からは
息苦しさしか得られない事を悟った


そんな場所から脱出したいと何十年も思い続けながら
なかなか実現し得なかった

が、遂にこの年になり引っ越して
土のある土地に暮らすようになると
都会に暮らしていた頃のいろんな苦痛の元凶が
はっきりと感じられる

これが僕だけにとっての事なのか
万人に共通する真理なのかは僕には判らないが...





自分の肌にサランラップを巻き付けて
皮膚呼吸を出来なくしたまま
人間は生きられないのを知っているだろうか


地球の皮膚である地面を
アスファルトで覆い尽くし皮膚呼吸を出来なくした場所
それが都会だと僕は思う


人間はその場所が、あたかも
人間文化の頂点を極めた象徴ででもあるかのように
誇り高く雄叫びを挙げているが
六本木ヒルズも都会でなんやかんや賑やかな場所全て
僕にはただの茶番にしか観えない


所詮人間の考えるような薄っぺらな利便性と引き換えに
自ら息苦しさを背負い込んだ都会という場所で
少しでも命の呼吸を楽にしたい者が
神がくれた音楽やその他の芸術がくれる潤いに過剰にすがり
おぞましいことにはその芸術で金儲けまでしようとする


自らの首を絞めておいて
助けてください、と芸術(神の贈り物)にすがりながら
それだけならまだ可愛げも残るが
すがった芸術でまた金儲けを企む質の悪さ
それが人間の文明、産業だとしか僕には思えない





長年、音楽に真剣に携わり
音楽とは決して人間が作り出したものではない事を
何度も何度も繰り返し悟らされて来た



それは
人間などがこの世界に生まれるずっと以前から
この世界この宇宙に存在しているものなのだ

神の作ったその存在を
人間が途中まで研究して
音階や音色などの中途半端な法則を使って
心を動かしたり動かせなかったりしている

それが現時点では
人間が弄んでいる「音楽」と呼ばれるものの正体であり
更にそれを使ってお金を儲けようなどと考えているブローカー的人間が
何の疑問も葛藤も持たず
うじゃうじゃ巣食って居たのが音楽業界だとまで言ったら
こういう思想は誰かの反感を買うだろうか



地球が温暖化、などと言われて久しく
都会に住んでる頃は年々夏の気温が上がり息苦しさが増していたが
土のあるこの場所ではこの真夏日であってもエアコンも無しで過ごせる

山や土が残っている土地は
都会とは暑さの種類が違う
暑さが不快ではなく心地良さとして感じられるのだ



山からは
風と雲が生まれる

山で生まれた風は平地に吹き下ろされたり
平地から山へと吹き上げたりしながら
地球の皮膚である人間が暮らす地面に
空気の循環を授けてくれる

都会を離れた事で
それが人体に於ける血液循環のように大切なものだあったことを
今は良く理解出来る
自分の精神の安定が自分に証明してくれるのだ



246で2時間かけて都会に出る度に毎回気付かされるが
山で生まれた雲は
都会の方(平地の方)へと押し流されて行ってる


大空に雲が描く風景は
どんな絵描きが描いた空よりドラマチックなことも気付かされる





今日も部屋の外で沢山蝉が鳴いていた


蝉が大好物のカラスは
地面を徘徊しながら樹の上で鳴いている蝉の居場所を見上げて探している

鳴き終わり蝉が飛び立った時に
自分も飛び立ち蝉を補食するのだ



夕立の後に土が柔らかになると
土の中の虫やミミズを補食するためにムクドリが降り立ち徘徊する




そういう食物連鎖の一端をを目の当たりに見ながら
エアコンも付けず窓を開けたまま蝉時雨を聞きながら過ごしていると
音楽など何も聴きたいと思わなくなる


蝉の鳴き声に蝉の生涯を想い
風の流れにまだ見ぬ地や
そこで暮らす知らない人の人生を想う


人の手の及んでいない自然音の前では
人が奏でる音楽など全く必要でなくなるのだ



強いてもしこの自然の片隅に
ほんの少しでも居させてもらえる音があるとしたら
蝉時雨と共存出来るような音

蝉時雨に掻き消されそうなくらいの儚さを含んだ音

そよ吹く風の音と共存出来得るくらいの強さの音

雨の匂いが記憶を呼び起こすのを決して邪魔しないくらいの音



僕が弾く数種類の楽器の中でガットだけは
そこに居させてもらう事が出来る音だと自負出来る




多分それは

この人間社会の中いろんな事を諦めた先に
やっと見付けたものだからだと思うのだ




































































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