震災後に何度か福島にライブに行くことがあり
そこから音楽を通じて福島在住の高原さんという方とのご縁が出来ました
その高原さんからのお声掛で
2016年3月20日の福島県双葉郡楢葉町の「ナラノワ祭」に
演奏のお手伝いに行って来ました
数日経ってしまいましたが
その時自分が見たこと感じたことを
長文になりますが記させて頂きたいと思います
。。。
高原さんからはお会いする毎に現地の様子を伺います
震災後に復興の動きが生まれたものもあれば滞ったままのものがあることを
かなり細かく教えて頂いてると思いますが
高原さんもご自身の故郷である双葉郡や楢葉町以外の全ての被災地の
リアルタイムな状況を把握なさることは難しいでしょう
演奏でご一緒している時に他の被災地の方との対話から
情報を交わされたり励まし合ってらっしゃる光景を何度も目撃します
今回はナラノワ祭の1週間ほど前には神奈川県で
NPO法人かながわ避難者と共にあゆむ会主催イベント
「Song for 東北」にも高原さんのお供をしました
なんというか...僕という人間は
とにかくどんな場でもどんな人の前でも自分に嘘をつかない演奏をすれば
生き物同士なら必ず通じ合えると信じてしまってる、或る意味天然な人間なもので
前もって被災の現状況など何も勉強せぬまま毎回高原さんのお供をしては
現場に入ってからいろんなことを知るという不束者
1週間前のあゆむ会さん主催の「Song for 東北」と今回の「ナラノワ祭」は
ひとくくりに被災ということでは語れないまるで違う空気があり
最初は不思議に思いましたが
現場に入ってみて初めてわかったことがいろいろありました
「ナラノワ祭」が開かれた楢葉町は
昨年9月に政府による避難命令の解除が出され半年経ったところ
「Song for 東北」であゆむ会さんが対象になさっている神奈川県受け入れの被災者の方は
主に富岡町の方達と聞きました
楢葉町と富岡町は隣り同士の町ですが
一つ原発に近い富岡町はまだ避難解除されていないそうです
楢葉町も政府による避難解除はされましたが
自治体としての楢葉町自身はまだ解除令を出していない…
という微妙な状況の中にあるそうです
でもとにかく戻る気持ちのある方は戻れる状況になったわけですね
しかし富岡町の方達にとっては故郷に戻る具体的な目処がまだ立ってない中での
イベントだったわけです
富岡町の更に隣り第1原発の在る大熊町は
全くの目処が立たない状態と聞きます
更に言うなら当然原発の北側にも同じような地域、状況があるでしょうし
東西にも海にも山にも
他県にも他国にも
地球にも
…
ということになるでしょうが
僕は今回自分が参加し見て感じたことだけに
焦点を当てて記させて頂きたいと思います
富岡町をメインにしたことは
「かながわ避難者と共にあゆむ会」さんをリンクさせて頂きます
また音楽仲間の叶ありさちゃんが
同じく津波の大きな被害を受けた宮城県山元町の語り部大使というのになっているそうなので
ブログをリンクさせて頂きます
(ありさちゃん個人のブログですので震災の記事だけではありませんが)
。。。
ナラノワ祭に話を戻します
被災から5年目
祭りとしては今回で4回目ですが
避難解除により今回震災後初めて楢葉町の中の会場で開催されました
以前の3回は仮設住宅で行われていたそうですから
楢葉町に戻っての最初のお祭りだったということで
主催者さんも参加者された方も感慨深いものがおありだったのではと
浅慮ながら想像しています
仮設住宅の頃から関わってらしたというボランティアの方達が
今回も何グループも参加しパフォーマンスをしておられました
現地の方達と親類家族のように言葉を交わしている光景に心打たれました
政府の避難解除から半年経って
自治体としてはまだ解除が出てない微妙な中
とにかく生まれ育った故郷に戻る決心をした参加者さん達は
力強い活気を放っていました
この地に骨を埋める覚悟をした人達の放つエネルギーは
この日の僕の精神の深い部分に届き
今こうして思い出しながらブログを書いていても
ふと気を緩めると自分でもよくわからないまま涙腺が緩みそうになります
人間の命の源泉に触れた
そんな気がしています
。。。
現場でのサウンドチェックをするために前日11日のうちに福島に入りました
会場となる「楢葉町立あおぞらこども園」
その後、高原邸にお邪魔し音合わせを
高原さんは避難解除された楢葉町で「地蔵庵」という日本茶カフェをやっておられます
なかなか耳にしませんが「日本茶のソムリエ」という資格があり
地蔵案ではこの日本茶のソムリエさんが点てたお茶をお出しするのですね
この日本茶のソムリエさんは梶塚さんというお名前ですが
僕はソムリエさんと呼んでいます
僕はソムリエさんの持つ精神の波長が
とてもしっくりきます
僕が人生の中で遭遇したアーティストの中で
一番に突出した「静の職人」とでもいうべき存在
彼とお会いする毎に興味深いエピソードは増え
それはそれは書き残したくてしょうがないような面白いことで溢れてるのですが
今回はナラノワ祭のことがメインですので控えます
いずれ他の機会にでも…
高原邸にお邪魔すると
ソムリエさんはナラノワ祭当日に出店する芋ようかんを
ご自分の手で磨り潰してました
当日一緒に出す抹茶も全て手で泡立てるとのこと
彼は絶対に人間の手作業を重んじることから踏み外さないのです
そういう手作業から醸し出される空気は
音を紡ぐ上で僕にとってとてもしっくりくるものがあります
ソムリエ氏が静かな手作業で芋ようかんを作る中で
僕も静かな爪弾きで奏で
祈りを多く含んだ高原さんの歌と音合わせする
全てが鎮まった深い時間です
話が少し脱線しますが...
こういう時空から生まれる音楽を
実際に奏でるためのしっくりくる環境は
ポピュラー音楽のフィールドには無いと言ってよいと思います
「間」で作る三味線の音楽等
邦楽にはそういうフィールドがあるでしょうが...
ポピュラー音楽のフィールドに身を置きながら
僕はこういう「極」を歩いているのだと思います
だからどこかでポピュラーのフィールドに諦めを感じ
異業種のアーティストと関わりを模索しているのかもしれない
それが僕の人生の後半戦の主軸になってゆく気がします
沈静化された時空の中、音合わせをし
その後、出して頂いた「含み茶」という
1滴、口に含んで味わうものを頂いたり食事を頂きながら
継続して静かで深い時間を過ごしました
僕にとってはこういう時間が
大きな意味では何よりのリハーサルになるのです
心が鎮まる中に「和」への答えは在るから
そして音楽の存在価値は「和」を紡ぎ出すことにこそ在る
と思うからです
これはワインではなくお茶なんですよ
その晩は沢山の話を交わしました
震災のこと
芸術のこと
人生のこと
話は尽きることは無く
このままでは徹夜になってしまうので泣く泣く解散、就寝
。。。
当日
会場入りしそれぞれの出店が準備や当日リハが行われてくのを眺めてました
楢葉町に戻って初めての祭り、ということで
主催者さんも手探りな部分があるのでしょう、と高原さんがおっしゃってましたが
開催時間前から住民の方が来場し始め
主催者さんの挨拶を皮切りにヌル~ッと滑り出しました
決められた順番によってのパフォーマンスが展開されて行きますが
映画館で観劇するように一つ一つのパフォーマンスをじっくり観るというより
参加していること自体に意味があることに
僕は徐々に気付いて行きました
避難時期に仮設住宅で隣同士だった方達が
それぞれの家に戻ってから久しぶりの再会の場でもあることが
わかってきました
参加者さん達は観たり話したり好きにしてます
そういう空気なんだな、と判りかけて来た頃にいきなり声を掛けられました
「あのお茶飲んだけ?」
「いえ…飲んでないです」
「じゃ飲みな
ほら食券あるからさ」
「いやいやいやいや
僕はいいです
大丈夫ですから^^;
(飲むときは自分で買います、という意味で)」
話しかけたオカアサンは僕のそれには何も返さず
「お茶二つな」と注文し
運んで来た地蔵案の抹茶と芋ようかんを
「飲みな」と僕に手渡しました
「じゃ^^;頂きます」
とお礼を言いながらオカアサンの隣りに座る
「楢葉は初めて来たのかい?」
「いえ、2回目で」
「どうだい?ここは」
「自然があって広々してて好きです」
「そ~かい
わたしはね
いわきに避難してたけど戻って来て
家直して住んでんのよ
あ~
新しく建てたんじゃないよ
リフォームね」
「そうですか
戻れて良かったですね」
「そう
戻らないって言う人も居るけどね
わたしはここで生まれてずっと育ったから
やっぱりここがいいんだよ」
「そうですか
戻れてよかったですね」
ズビッ…
と抹茶を飲みながら
もっと何か話したいと思ったけど
気の効いた言葉は何も浮かばないので黙ってしまいました
そうだ!
一緒に写真撮ろう
「お茶、美味しかった
ありがとうございました
嬉しいから一緒に写真撮ってくれませんか?」
「あたしとかい?
やだよ~ケラケラ」
パシャ
オカアサン...
戻れて良かったですね
肉体が生きていても精神が死んでいることはいくらでもある
語弊を怖れず言うなら
歴史の中で人は本当の意味で生きるためなら
命を縮めることも選んで来た
現実に被災された方に関わるこういう場で
本当に語弊がでたら申し訳ないですが
これが僕が今回一番に感じたことでした
風評
汚染数値
行政の思惑
いろんなものが交錯してるでしょうが
突き抜けて僕の心に刺さったものは
その人その人が根を降ろした故郷は何にも代え難いということと
根を張る場所を取り戻した人は
こんなにも気持ちの張りを持つのか
この地に骨を埋めると覚悟した人の醸し出す空気の潔さ
。。。
演目は次々に進みましたが
終盤になってやけに存在感の在る熟年女性チームが緩い踊りを踊り出しました
マイクでしゃべっているオトウサンの声が聞き取りづらかったので
どんな団体だか最初わからなかったのです
抹茶を点てる作業ももう落ち着いていたソムリエさんに聞いてみた
「このオカアサンたちはもしかして
他県からのボランティアではなく被災された方達?」
「ええ、そうです」
「緩い踊りなのに存在感が違いますね
なんでかな...
結局はその人の背負ったものが全て醸し出されて行くんですね人間て」
お揃いの赤いTシャツで1曲踊ったオカアサン達は
衣装替えしにいったんハケると
オトウサンがまたマイクで喋り出す
良く耳を澄ませてると
「カエルの嘆きを歌にして…」とか言ってます
カエルの嘆き??
そうこうするうちに赤いTシャツからカエルの被り物に衣装替えしたオカアサン達が再登場
曲が流れ始める
このオケ
ちゃんとレコーディングされたオケじゃないか…
これは…いったい...
と思ってるうちにイントロから歌へと
サビに入ると
♪ケロケロケ~のケ~
何処へ帰ればよいのやらケロケロケ~のケ~♪
と歌ながら
またしても緩い踊り
さっきの1曲目と同じ踊りに見える
笑っちゃ行けないかも、、と思いながら笑ってしまう
このなんとものんびりとした空気に
和んだ笑いが出てしまう
カエルはだんだん輪になって広がって行く
可笑しい
でもオカアサンやオトウサンやここに居る人達は
骨を埋める覚悟をした人達からしか決して感じられない
凄いエネルギーを発している
そして最後にボランティアの方達で作ったナラハの歌というので
会場が大きな輪になり盆踊りのようになった
抹茶をおごってくれた僕の大好きなオカアサンも踊ってる
嬉しい
。。。
僕は昨年の10月に
企画して頂いてソロコンサートをしに福島に伺いました
その時に車で汚染地区も案内して頂き
崩壊した町並み等見ました
その時は避難解除されてまだ1ヶ月しか経っていない時で
「解除されたって本当に戻れるものか」という
懐疑的な声が多いと高原さんは仰ってました
その時から比べものにならにような活気が
この祭りには宿っていました
核家族化世代で都会育ちで
首都圏の人口過密で人間関係のトラブルを避けるため
地域の交わりが薄れた環境の中で育った僕は
祭りが行われる本当の意味も知らない人間だったかもしれません
しかし今回の祭で
人が集うことの意味を初めて感じられたかもしれない
半年前に福島に来た時
案内して頂いた中で深く印象に残って風景があります
誰が撒いたか判らない種で
避難命令が出されていた広い荒れ地が一面のコスモス畑になっていたこと
(昨年10月の時に撮影)
通るたびに目に入るその国道沿いのそのコスモスは
無意識のうちに少しずつ人の心を癒したのではないかと想像した
花は土に命の希望を呼び戻しながら
そのコスモス畑は
今はこの地に戻る人を迎える分譲地になったそうだ
元通りにならないのなら新しい町を作るのだ
というところまで
この地の人達の気持ちは差し掛かっているかもしれません
と高原さんは仰っていました
楢葉町の役所を勤め上げ
引退して尚、現在も復興に毎日駆け回っておられる高原さんのお母様は
こう仰っておられた
「戻る人も戻らない人も
戻れる人も戻れない人も
戻りたい人も戻りたくない人も
全ての人がその人の置かれた環境の上で
笑顔を取り戻すまでは
この問題は終わらないのだね」