Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

9/4

2019-09-04 | ギターの栄養

am 2時

 

ブログで自分の思いを文章化していると
頭というか心というか
自分の内部が整理されてくるように感じる


本当ならば
閃きというのは一瞬の稲妻のような現象で
次の瞬間には消え失せている


文章化などという行為は
閃光が消え失せた後の残像を
夢を思い出すかのようにして貧乏臭く拾い集めている行為なので

文章化された自分のブログになど
本来ならばそこには真実など無いのではないか
とも思うのだが


瞬間という1点と
その周りに纏わりつく数秒から数分の間の残像を含め
人間というのは
己の価値観やら美学などを培っているのだから
まぁ冒頭に書いたように

「ブログで自分の思いを文章化していると
頭というか心というか
の中が整理されてくるようだ」と言っても
然程の間違いでもないだろう 

 

 


こんな風に

 



何かちょっと閃いた良いことを
正確に誠実に真実に則して記そうとすると
その途端に

たった一つのテーマや言葉や表現に対しても
出来うる限り複数の視点からの考察を挙げながら進めねばならず
結果、記すことの難しさや無意味さを思い知らされるのである 

 

そこが
哲学の入口であり


ここから先はメビウスの輪

であるわけだが

 


哲学は人の数だけこの世に存在し


然るに
人の価値観もその数分だけ在る
ということになる


だから
何人(なんびと)も他人の心中を知ることは出来ない

分かり合えることも出来ない 

同じ思いを共有することも不可能なのだ

 

 

ならば
自分はこういう夜更けに

何故このような文章をしたためているのか...
 

 

それを説明するのは簡単である

 

誰かのためでなく
自分のために書いているのである

 

しかし
不特定多数であっても
それを受け取る何某かがこの世に存在しなければ自分が
書き連ね
描き連ね
奏で連ねる必然は無い

 


 

ゴチャゴチャしてきたので
ここまでを整理すると...


 

 

人は幸福を求めるなら
他者に関係なく生きるべきである 

もっと正確に言い換えれば
他者に依存も共依存もすることなく生きるべきである 

 

ということになる 



しかし
他者に関係なく培った価値観を
語り伝える何某かは必要になる


それをしなければ多分
人は死んでしまうだろう

 
 

人でなくても
この世に生を受けた存在は皆

植物でも虫でも動物でも

多分
分子や原子や素粒子も


己以外の何某かに己の思いを伝えなければ

枯渇して死んでしまうだろう

 



だから多分
原子核の周りを電子が回っているのだろう 

 というか


 原子核の周りを電子が回っているから
我々人間も
 誰かのことが気になり

誰かのことが好きになったり嫌いになったりしながら
干渉したり不干渉を決め込んだりするのだろう

 

マクロもしくはミクロの尺度(どちらも同じ)で観るなら
不干渉ももはや
不干渉と言う名の干渉なのだ 

 

 

真理という名の
お釈迦様の掌の上で暴れている孫悟空が
命そのもの
なのである

 

 

そこまで気付いて
なんと不自由な命かよ
と思い


次に


ならば
生も死も
特に変わることもない
どちらでも良いではないかと思い


次に 


ならば
死を恐れるが故に
現世の浅はかなる不自由さが在るならば
そんなものはさっさと捨ててしまおうと思える


 

そして
現世での自由くらいならば
辛うじて手に入れることが出来る

 


 

。。。


 

 

まぁ...

自分はこんなふうに
哲学的な理屈の捏ね回しを
好んでしたい訳でもないのだ

 

ただ生きている間に
今より少しでも幸福感を増したいだけ

 

だから考え
努力もする 

 

そしてその先にはいつも
 こういった哲学的なメビウスの輪が待っているのである

 



 

メビウスにはもう退屈したので
別の角度から眺めてみよう

 



 

この

自分が観えている心情風景に
現実世界で一番近いものは何か
といえば

情動

である

 

 

それは

恋であり
憎しみであり
悲しみであり
喜びである

 

その先に拾い集めた残像の中に

憂があり
慈しみがあり
諦めがあり
希望がある


そのもっと先の
ゴミ溜めの中に
常識だの法律などがある

 

 


或る1方向から眺めれば
優しさも残像の中の産物であり

剥き出しの愛とは
怒りに似た奪う行為である

 

しかし隣り合わせた別の面から観れば

優しさこそ真実であり
全てを奪われて尚
微笑むことが愛である

 


この宇宙は
いったい何次元から成っているのか

 

きっと無限数の次元なのだ



今生での死という扉を通り抜けた先には
更なる多次元の生が待っているのだろう


そこでは今生より迷いも多く
そこを幸運にも抜け出れば
今生よりずっと幸福度も高いだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

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