Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

神輿

2010-08-15 | ギターの栄養
過去は変化する

変化した過去が未来を変化させる


しかし何かに囚われた想いを自分の中で反芻していても
過去の風景は動かない


例えば...

窓を開けて、今、遠くから聞こえて来る音に
目を瞑って、耳を澄ますともなく耳を傾けるうちに
過去の中に入って行くことが出来る

その時、未来のことを想ったとしても
それは過去の積み重ねの連続をして
未来をも、その連続の延長に置いて見ているだけ



過去の中のいろいろな場所を散策する自分には「意識」が働いている

意識とは、過去の経験から自分の計算式が割り出した意志である


これは見たい
けど、あれは見たくない
聞きたい、聞きたくない
触れたい、触れたくない



過去を変化させなければ、僕らはずっと同じ事象を毛嫌いして生きて行くだけ

それを運命論で片付けるのは違う


もしくは、同じ種類の喜びを増やそうとして
限界のあるスペースに無理矢理自分を捩じ込もうとするだけ

それは「喜び」という名で呼ばれる行為であっても
きっと何処かで誰かを傷つけている





運命とは
僕差が生まれる以前から在って
僕等以上に僕等に近いものなのだから(呼び名が無いからそれを神様と呼んでも良いが)


過去を散策してゆく中で、その「神様」に出会わなければ
過去が変化することは無い


神様は「否定」の前には絶対に現れない
そして「肯定」の前にも現れない

何故なら肯定は否定の裏返しだからだ


神様は「ただ、ここに居る」ところに現れる

自分が何者でもないものとなって、ただここに居る
その前にだけ現れる



現れた時、囚われた過去がガクンと動く

それが動いた時
未来まで伸びていた予定図(偽わりの運命)の全てが組み直される


あらゆる人の思惑が絡まりあって
隙間など無いくらいに組み上げられているこの世界の中の
たまたまその時、空いた隙間に自分の身を置いて
ここが自分の居場所だと勘違いするのではなく

あらゆる絡まり合った思惑の中を
構わず突き抜けて行く道が出来る


それは神様が現れたほんの一瞬で現れ
遠い未来まで真っすぐな道を示してくれる

その透明な周りに常に纏わりついているマイナスの思念、意志、が働いた途端
一瞬で霧が立ちこめるように見えなくなる


それは、自分の息苦しさを
誰かや何かのせいに思った瞬間に
あっという間に霧が立ちこめ
真っすぐな道も何もかもが眼前から消え無くなってしまう


それを、運命に見放されたと言うのだと思う



囚われた想いをメロディーにしても
そのメロディーに、最後の仕上げに神様の手で包んでもらわねば
本当の音楽にはならない


僕は時々...
ほんの時々
自分の前に真っすぐに伸びた道を見る


それを絵に描きたいと思う



でも見える時間があまりに短くて
写し取ることが出来ない




死を、迎える前に..
もう、生を続けることから解放されると悟った時
生に纏わりついてなかなか離れないマイナスの意識が消え
いとも簡単にその風景を見るのだろうと思う

だから誰でも神様の元に召されてゆくのだ

そしてそれを自然に帰る、といっても同じこと



死、という門をくぐり抜けた向こう側まで
真っすぐに続いている道を見ながら
なるべくそういうふうに生きていたいと思う


全ての陰陽伝説の一番の高みにある「死と生」の両極も
それが一つのものであると身体で感じながら生きていたいのだ




...外は昨日からの夏祭りで

大通りを塞ぐ規模の相当数な神輿が一日中取っ替え引っ替え出る

今は子供神輿の元気の良い声と調子を合わせる笛が通り過ぎて行った



僕の神様探しも中断させられる



通り過ぎた後にはまた遠くに蝉の声だけ...














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