ある農夫が、自分の痩せた小さな土地を大事に耕して暮らしていた
農夫は自分が精魂込めて耕した土地が
嵐によって荒らされることを何より恐れていた
だが農夫はこうも思っていた
自分がこれだけ心を込めて耕していることを神様は必ず見ていてくださるはず
だから嵐は来ない
そう信じながら農夫は、自分の痩せた土地から収穫された痩せた野菜を食して生きていた
そして農夫は、それで自分の人生は幸せなのだと考えていた
ある年の夏に嵐が来た
嵐が近づいてくるごとに強くなる風の中でさえ農夫は楽天的に考えていた
嵐は必ず逸れて
自分の土地は神様によって守られるだろうと
しかし嵐は農夫の土地を直撃し収穫物は全滅し、農夫は神様を恨んだ
食料に困った農夫は失望の中、初めて自分の土地を離れ町に出稼ぎに出た
そこには農夫が見たこともない贅沢が、お金というものでやりとりされていた
農夫は初めは自分が生きるために最低限必要な食料を得るためだけに働き
そしてその分の賃金だけを得た
しかし
自分より沢山の贅沢を得た人間が幸せそうな顔をしているのを見るにつけ
自分も一度、贅沢というものをしてみたいと思うようになった
農夫は自分が食べるのに最低限必要なお金以上の稼ぎを得ようとし始めた
自分より稼ぎの良い人間を疎む気持ちが生まれ
そこで競うことに熱中してゆく農夫はいつしか農夫ではなくなった
農夫が農夫でなくなったことに自らも気付かないで暮らしてる頃
遠くに捨ててきた農夫の痩せた土地には
嵐によって流し去られた痩せた土の代わりに嵐によって運ばれた新しい土から
力強い命の芽が生まれていたことにも気付かないまま
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
農夫が、贅沢な人間の人相に幸せを見た気がしたのは幻影である
では何故、農夫はそれが幻影だと気付けないのだろう
それは農夫が
「自分の痩せた土地を精魂込めて耕したのだから、それが幸せである」
と勘違いしたからだ
痩せた土地を肥えた土地にすること、に精魂込めて生きたなら
農夫はすぐに贅沢の中に虚像を見出したはずなのだ
ホントの幸せは必ず健全の中に宿る
痩せた土地、という心のフィールドからの感じる幸せは
本人の願望である
その願望は必ず
他者との比較論の中で増大してゆく
嵐に全て流されたとしても
何年かかっても自分の土地を開拓し肥えさせれば
結局そこからは自然に、元気な植物が育つように
自分の人生も音楽も同じ
と考える