Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

6/6 深夜

2018-06-06 | ギターの栄養


20年程前に
一緒にバンドをやっていたアレンジャーの人が

TVのCMで音楽が流れると
それのスコア譜が頭に浮かんで疲れてしょうがない
と言っていた

僕はアレンジャーじゃないんで
今生で脳味噌がそんな風には発達しなかったけど

13曲目のオリジナルを聴いたら
すぐにgtでどう弾くか判明して

じゃぁ
って
14曲目のオリジを聴いてみると
gtアレンジの方向は一瞬で解る




自分の分野でないところで
卓越した他人の技に唸り
この人
天才なんじゃないかとビビることがあるが

結局それは普通に
その人その人の経験値の結果なだけなのだと思う



群れからはみ出る事を怖れず
自分の心が求める事に忠実に突き進んで行くと
結局
誰でも天才になる


そしてこの世界には
生まれつき
群れからはみ出さざるを得ないタイプの人も居る


そういう人には名誉ある天才の称号と
人より盛り沢山の孤独と苦痛が与えられている
だけ...




。。。。




祈りの無い音楽は音楽ではない

と思う


では
祈りは
どうやって生まれるか

というと

それは
悔いの想いの先に発生して来る


悔いる
ということを経験しない人生は無い


思うのだが
歴史の長いクラシック音楽の
譜面の記号に
「悔いる想いで弾く」
とか
「懺悔の気持で弾く」
とか
無いのは何故?


ずっと思っている




これだけ沢山の人間が生きている地球の上で
何千年という文明の積み重ねの中で
まだ
等閑にされている事って
沢山あるのではないだろか


まぁ…いいか...

そういうことは自分の人生に反映させれば良いだけのことだった

何故って

解る人とだけしか
解り合えないから


1階に居る人は
2階で何が起こってるか見えないのだから

それを「観えない」と書くのだ



解る人には
1階に居ながらにして
2階のことが手に取るように解るものなのだ







。。。。。








人間て何故
音楽が好きか

それは
多分

それは
音楽に依って脳の機能が通常より活性化し

その事で
人類という生物が
この先に生き残るための可能性が
少しでも増えるから
(もしくは
増えるように感じるから)




「開く」という意味では
覚せい剤と似てるのかもしれない(僕はやったことない)が

ドラッグは苦痛を伴わず手に入り
音楽は苦痛の先に始めて得る

だから音楽はドラッグのように依存にならない
健全な領域のツールに留まっていられる



突き詰めれば

両者は同じだと


何処かから
そういう声が

聞こえている






。。。。。




古代からの進化の過程で
どういった流れだったかは詳しくは知らないけど

命というものが背負った宿命は
答えの無い矛盾という名のものだった


この現代で
オーディエンスの心に届く芸を放てる者とは

そのことを
生まれもってか後天的にか
どちらにしても
感じ取る事の出来る人

更に
その苦痛から逃げない者






。。。




結局

覚醒すると

アウトサイドに出るしかないんだろうなぁ



覚醒とアウトサイドは同じフィールドでしか出逢わない









。。。。





そして
夜明け前の時に入り

深夜の狂気は
深層心理の中へと押しやられ

僕は善人たる社会人に戻るのであった




















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