数十年前からそうだが
演奏での本番を経ると
風邪や微熱くらいの病気はすっかり治ってしまう
最初は不思議だと思ったが
何十何百と体験するので
今では当たり前に思ってしまっているが
数日前に
ふと
思い当たったことがある
この治癒力はどこから来るものか、と
楽器は人間が思うように扱うものではなく
その楽器1個体毎に
一番良く響く扱い方、というのは決まっている
弾き手は己の俗なるエゴを捨て
楽器の気持ちを汲み取ることに全力を注ぐことが
良い演奏に直結する唯一の道であり
良い演奏は聴き手の心のみならず
弾き手自身の心をも潤す
演奏の本番に臨む時
人それぞれいろいろな想いで臨むだろう
誰かの力になりたい
世界を良くしたい
音楽で一発当ててお金持ちになりたい
格好良い演奏をしてワーキャー言われたい
下手をして恥をかくのは嫌だから頑張って演奏する
等々
ピュアな想いであっても虚勢であっても
きっかけは何であれ一旦演奏に突入すれば
素敵な演奏をするためには俗な己を捨て
楽器の心を聞き取り
無我夢中に滅私奉公する時間
ということになる
音色や音階による心の反応もあるが
音楽の根源はそこよりも
「無我夢中に滅私奉公する」というところにあるように思うのだ
他の芸術には類を見ない
リアルタイムで効果が現れる治癒力は
無我夢中の滅私奉公に起因するのではないかと思うのだ
もし
或る音楽療法士がクランケに対し
無我夢中の
そして滅私奉公な療法をしていないのなら
その場に治癒力は現れないだろう
と
言いたいところだが...
それも多分違う
怠けた音楽療法士の元でも
受け手が無我夢中に音楽を受け止めれば
そこには強い治癒力が宿るのだ
その逆もある
演者が無我夢中の滅私奉公をしても
受け手の心が頑なにクローズしていれば
その場に治癒力は発生しないだろう
そういう多面的なところが
僕が
音楽の神様が存在してるように感じる所以だ
もし自分が
とても汚くされた公衆トイレを
無償で
全力で掃除したら
無我夢中に滅私奉公したら
演奏本番をやったと同じように
風邪くらい治ってしまうだろうし
多分
何の病にもかからないのだろうな
と思う