Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

4/28

2018-04-28 | ギターの栄養



今日もまた孵化したんだね
佇まいが凛としてイケメンだね





産まれたて




産まれたて










ゴーヤ1号の本葉も伸びて








ところで

好奇心に勝てず
そっと土を掘ってみた




やっぱり
ホオズキの赤い実から発芽してた





ということは
こっちもホオズキってことでしょ


痛めないようにそっと掘ってみると
こんなワシャワシャ



これは楽しみだ
今年はホオズキの実が沢山生るよ





こっちには
また新たな発芽
この小さい発芽は何だろう?








今日のホウレン草の横で
昨日の食べ残しの葉脈が
茶柱のようにおっ立って
先端にタニシがくっ付いてる







仕事部屋の外の新緑は
もうすっかり色濃くなって
どんどん夏に向かって行く

















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もうひとつ わかったこと

2018-04-28 | ギターの栄養



芸術は

自然の摂理と同じものだ





では

自然の摂理とは何か



それは
命の営み、という悦びだ





では芸術とは何か


それは
自然界の営みをよくよく観察し

命の営みの悦びを
文章なり絵画なり音なり、に
写し取る事だ


それをしていない作品は
模倣の域を出ない
芸術とは呼べない存在





自分の肝に
よ〜く銘じておこう



















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脳内幸福

2018-04-28 | ギターの栄養


良い演奏をするために
(もしくは、幸福な人生の時間を
少しでも多く過ごすためには、、
という言い方も出来る)

一番効率的なのは
脳内快楽物質を出す事だ

それが出さえすれば
百日の苦しい練習にも勝る



エンドルフィン
セロトニン
ドーパミン
アセチルコリン
など

自分にとって良い演奏が出来たと実感する時
出ている物質はどれなんだろう


僕は
エンドルフィンが出れば
自分が納得出来る安らぎの音が出せると思って来たが
昨日、soloライブをして

どうも、それは、ちょっと
違うような気がして来た


エンドルフィンがもたらす
柔らかなニュアンスの幸福感ではなく

演奏している時の自分が
「快楽のゾーン」に入れる時、というのは
もっと攻撃的に攻めている時だ


ちょっと表現がキツいかもしれないが…
例えば

「この演奏が終わったら、もう死んでも良い」
とか

そんな風に思えてる時
演奏はグッと深みを増して来る


目の間の聴き手の存在は消え
自分だけの是非を追う時間

でも
家で独りで弾いていると
そのゾーンには入れないのだ

やはり
聴き手の存在があって

そして
聴き手が
僕の音を喜んでくれてる
という波動を受け取った時
あっという間に幸福ゾーンに入れる


利己と利他の両者は
決して切り離しては語れない









自分にとっての良い演奏が出来た時というのは
ドーパミンが出てるのだろうか…


でも
眠りに落ちるギリギリの淵で
演奏している自分も居るのだ


では「α波」なのか
それとも「エンドルフィン」なのか…

因に怒りの感情は全く抱いてないので
アドレナリンは出てないと思うが



そもそもα波とドーパミンが
同時に出る事があるのだろうか?

エンドルフィンとドーパミンが
同時に出る事はあるのだろうか?


例えるなら
人間は
眠りに落ちるギリギリの淵に立ちながら
100m、全速力で走れるのか…

いやいや、やはり
それは無理でしょう




なら
僕が演奏時に快楽を感じている時
いったい脳内で何が分泌されているのだろうか







かつてヘビースモーカーだった自分が
禁煙外来に行って
喫煙に依る脳内快楽をブロックする、
という薬を処方された時
全く良い演奏が出来なくなった体験がある


禁煙外来の医師に
そのことを訴えたが
「臨床例が無いから
むしろ、その体験談を聞かせてくれ」と言われた




結局
魔法でも
神様が居るわけでもなく
脳内の分泌によって
音楽も左右されている、
と感じるようになってきた



ただ…

自分の意志では
脳内分泌は出来ない、
というところがミソなのだ



自分の意志でコントロール出来ないが故に
脳内快楽物質をコントロール出来る「存在」
もしくは「所作」
に遭遇した時
人間にとって「神」
という偶像が生まれるのだろう











神も愛も音楽も
全て
同じだ

演奏も同じ


同一線上に在る




それは利己的であって
でも
それだけでは存在出来ない

では利他的であるのか

いや
それが先に立つと
迎合、媚、となって
音の神も愛も消えてしまう



先に述べたように
やはり利己と利他が
絶妙なバランスで相まみえながら
流動している中で
音の神は愛を以て降りて来るのだ







昨日のsoloライブに向けて
今回自分は
肉体的な練習ばかりし過ぎたかもしれない

「今日という日を生き切ったら
もう死んでも良い」と思えるような

そういう瞬間瞬間を捕まえるように
日々を生きる訓練を
もっとすべきだったのかもしれない







達磨太子は
修行で座り続けたために
足が腐り落ちてしまった、というが

修行に依る脳内快楽物質が
バンバン出ていたため
足が腐り落ちることさえ気付かなかった、
という





人間には雄雌あって
両者は生物学上、全く違う性質を持っているから
女子には理解出来ないかもしれないが

人間の雄という生き物にとっての
生き甲斐、幸福感、とは
結局
達磨太子の域にまで行かないと
得られないのかもしれない


それが
音楽で、でもよし
絵画でも
書道でも
格闘技でも
修行でも
「○○道」という名が付くなら何でも

なのだ




結局、雄にとって
極める事と死ぬ事は
同じライン上に在る




愛し合う男女が在って

その雄の方が
生き甲斐のために死に急いだら
雌は悲しむだろう


それが
ずっと昔から綿々と途切れる事無く続いて来た
男女の物語なのだ

だから
悲恋を恨みに感じてる人は気の毒だ

何故なら
男女は元々
ずっとすれ違って行く生き物だから



もう一度言うが

極める事と死は
同一線上に在る

だから僕は
ギターという素晴らしく輝きながら
ずば抜けて良く切れるナイフを
手に持ちながら
一歩一歩
死に向かって歩いている
と言える


だから
現実での死は
もう
どうってことも無い






人間の雄にとって

と感じられる存在に
手が届いた
と思えた瞬間に
死が訪れているのだろう



もしくは

死に直面した時
神と感じられる存在に出逢える

とも言える






もし自分が
大坂夏の陣に
豊臣側についていたとしたら

今なら
徳川側に迷わず斬り込んでるだろう







こんなのが

長時間、独奏演奏の直後の

自分の状態である






クレイジーでアナーキーで

そして
真実がここに在る

















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