Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

2016/10/8&9//Solo Live 後記

2016-10-10 | 演奏記録



開演時間が来て
ステージに上がる

まだ人の心のざわめきがランダムに飛び交って
空間はカオスの中にある

1つ呼吸を整えてから構わず弾き始めた


カオスの中
真直ぐな直線を貫かせるように
慎重に音を紡いで行く

舞い上がった湖底の沈殿物が
徐々に湖底に戻って行くように
ランダムに飛び交っていた「気」たちは
徐々に整理されて行き
そして最終的には僕の方に全てが向く


臆さないように
媚びないように
呼吸を整えてから
ゆっくりとまた自分という存在を
音に乗せて歩を進め始める


価値観はこの世界に生きている人の数だけある
僕が僕を音に託しても
共鳴してくれる人としてくれない人が必ずいる

そういうことに臆すことさえ忘れ
貫く事だけに集中出来たら
ランニングハイのようなゾーンに入れる

演奏することで感じるハードな肉体的負荷も
聴き手から肯定されないかもしれない疑心暗鬼も消え
無重力の中に浮かびながら
思う存分自分を音に乗せて伝える事が出来る


1つとして同じ価値観の無いこの世界で
人は共有をするため必ず集ってしまう
生きるために


今日という共有の場は
いろんな人達の力をお借りしながら実現し
そして開演後にその儀式を進められる役は
もう僕しかいない



10/8
17時ちょっと過ぎ

そういう場所に僕は立っていました





そこから先
共有の儀式の進行役として
どこまでの働きが出来たかは
僕が語る事ではありません

聴いてくださった方
お一人お一人の感じたままが
その答えだと思います



でももし…聴き手の方が
このコンサートに来てくださったことで
その明日にほんの少しの力が増したとしたら
僕はとても光栄です


それを信じてまたこの先も弾き続けます


10/8と9日の2日間のソロコンサート

関わってくださった全ての方に
心からの感謝を送らせて頂きたいです


また逢いたいです

心からありがとう




















。。。。






後記は
ここで一旦、中〆

こっから先はスナップを貼付けながら
砕けた後記です







そもそもこの物語は
ここから始まったのでした




今春
ベランダのゴーヤに住み着いた1代目のカマキリ君



そのうち1代目が居なくなってしまい
しばらくしてやって来た2代目君



赤ちゃんの時にやって来た1代目
何度も脱皮した2代目
の両君によって
この春から夏まで
生命の営みの一端を見せて貰えました

そして2代目も居なくなってしまい
今年はもうカマキリの姿を見る事も無いだろう
寂しいな、と思っていたら
なんとなんと3代目の登場



10/6
家から離れた駐車場に停めておいた自転車に
お腹の大きなカマキリちゃんが乗っていたのです



逃げないんですな
この子がまた


家に連れて来て
虫取り網に乗せて運び
(ベビーカーに乗った赤ちゃんみたいでしょ)



無事ゴーヤに移りました

本当にお腹大きい
卵産むかな…










10/7

ソロライブ前日
いわきへ前乗りすべく早朝起き
ベランダに水やりに出ると
この3代目は産卵していたのでした




この1ケ月
自分のギタリストとしての殻を1つでも破りたくて
かなり集中して練習した

その成果がいよいよ試されるソロライブへの出発の日に
新しい命を産み落としてくれたのだ

ぐったりとして動かないカマキリの姿を眺めながら
命を繋ぐ、ということを
愛しく思いながら出かけたのでした







出発っ









(注:Mrマリックさんではありません)







。。。



いわき到着


今回8日の方で歌と朗読をお手伝い頂く
高原あかねさんとのリハが始まりました


演奏の手前に
僕の書いた短い詩を読んで頂くのですが
どんなニュアンスで読むか
いろいろ話し合いました


希望を感じさせるのか
悲しみや孤独感を表現するのか
いろいろ話すごとに
彼女は色鉛筆で色を塗る、、というメモをしておられました


喜びも悲しみも生きていれば必ず両方出会う
決してどちらか1つではない

文字に暖色と寒色の色が塗られて行くうち
そのメモ書きは
なんだか綺麗な絵のようになりました











アヌーさんへ到着

昨年も同じ時期にソロライブをやらせて頂いたので
ちょうど1年ぶりです

ここの皆さんにとても良くして頂いてるので
ライブ前にして緊張も全く無く
今年もここに来れた事がただただ嬉しい






アヌーさんの店内の色調は
高原あかねさんの色鉛筆メモと同じ色調




ご挨拶してセッティング開始


お花屋さんでもあるCafeなので
ステージの横に大きな観葉植物が沢山


植物の近くで奏でるのは
植物からとても良い気を貰えるので落ち着きます

いっその事
この観葉植物の中に埋もれて演奏したい





まぁ

こんな感じになるかもしれませんが…












アヌーさんの方で
このライブのためにいろんな物を作ってくださってました






独奏も
窮極の手作りの世界だから
こうした手作りの感じられる物たちに囲まれて
僕の精神はどんどん落ち着いて行くようでした







出来うる限りの良い演奏を残したくて
エネルギーが空っぽになるまで
バカみたいに長時間リハをして

本当に空っぽになってしまい
しかも頭に血が上ったまま逆上せが取れなくなって

本番ギリギリまで氷で首を冷やし
5分前になっても逆上せの取れなかった僕は
遂に神頼みまでした


「どうか良い演奏が出来るよう守ってください
聴く人に少しでも多くの潤いが生まれますように」


神様に祈ったのは小学生以来だったかもしれない





そして本番


本番で放った音は
放たれた瞬間からもう僕のものではなく
聴いてくださった方お一人お一人の物になったのです

音に宿った言霊が
善き方へと人を導いてくれる事を祈るだけです







終演後

任意で残ってくださった方達と
会場での打ち上げをさせて頂きました

誕生日も祝って頂きました






皆さんから「おめでとうございま〜す」と
次ぎから次ぎへと
いつ終わるとも無しにハワイのレイを掛けて頂きまして...




これ企画した人は絶対
確信犯です...





祝ってくださった皆さん
ありがとうございました



嬉し恥ずかし榊原さんが
照れて道化る、、の図です








色鉛筆で独創的なメモ書きをしながら
朗読と歌を聴かせてくださいました
高原あかねさんと


(高)
「カメラ、何処見ればいいのかしら〜?」

(榊)
「ここですよ」



パシャッ






昨年も、そして今年もまた
ウェルカムティーを出して
お客様をお迎えするリスペクト度を
グッと高めてくださいました
日本茶のソムリエさん


(ソ)
「カメラは何処見れば?」

(榊)
「だからぁ〜ここですってばぁ〜」




パシャッ


(この人達、、何で?ロウソク持ってるのか…)




ということで

アヌーさん
お世話になりました






いろいろホントにありがとうございました





。。。



翌9日


昼まで寝て
体力を回復させようと思ってたけど
普通に朝起きてしまい

また念入りな指のウォーミングアップとイメトレ



ソムリエさんと合流し話す




(ソ)
「榊原さんの音楽は
ヒーリングミュージックというものとは
違うものですね」


(榊)
「ほう…」


(ソ)
「聴き手の内観を促し
言ってみるなら
なんというか
self meditation
促進させる音楽、というか」


(榊)
「僕自身
弾くにあたって
全くヒーリング的なスタンスじゃないですよね
むしろ
神経をピリピリさせながら弾いてる」


(ソ)
「音の中に含まれるピリピリした成分を排除するために
神経の方を極限までピリピリさせる…という」


(榊)
「そうそう
まさに」


(ソ)
「では今日もまた本番まで
思う存分にピリピリなさってください」


(榊)
「ありがとうございます
迷う事無くピリッピリにまでなって
ウォーミングアップさせて頂きます」




そこからソムリエさんは全く無言になって
僕に自由な時間をくれた





。。。





会場であるオードリースタイルさんに到着



ご挨拶して店内を見渡すと
本当にオードリー一色

ママさん
オードリーヘップバーンが大好きでらっしゃるんですね















開演時間が来て
とても近い距離でお客様と向き合っての本番


本番前に思いっきりピリッピリになるまで
神経を研ぎ澄ませておいたので
本番ではとても滑らかな音色が紡ぎ出せました

媚びる事無く
自分の想いも全て放ち
やり残した悔いも残らず


オードリーの映画の歌が大好きなママさんと
ムーンリバーのduoもさせて頂きました

その日初めて会った者同士を
音楽が繋いでくれます







。。。


この二日間
物凄いエネルギーを使いながら
そして
すごく多くの気付きと歓びを受け取りました


とても濃く生きた時間
とでも言いましょうか






夜の常磐道を走りながら
僕はもう
何も考える余力も残っておらず
ただただ深夜に無事帰宅しました


僕が留守をしてた間にも
朝顔は種を熟させてました





卵を産んだあのカマキリは
何処にも姿が見えなくなっていました


新しい命を繋いで
そして自らの命を終え

全ての生き物が
刻々とその命を生き

そんな僕らを時は見て見ぬ振りをしながら
ただただ過ぎてゆく



そんな無常の中で
ただ生きているという感謝と真を見付けられた者が
幸せなのかもしれない





















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする