Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

ブレイクタイム

2012-03-26 | ギターの栄養


かなり忙しいのに
何故か静寂の中に居た




…静寂の種類とは
もしかしたらたった一つなのかもしれない…

などと
思うともなく思い付いたので
もう少し先まで考えるともなく考えてみる






例えば
僕と誰かの間に小さないさかいが生まれ
互いにその煩悩の火を消すことが出来ず

周りを巻き込み破壊しながら
最後には両者とも力尽き
気付くと周りの景色が
戦争の後のような廃墟と化していたとして


そこにある
憎しみの果ての静寂は
愛の中から生まれた静寂と
実は同じものなのではないかと思う

ただ
戦う相手を他者とするか
自らの中の弱さとするか 、の違いなだけで。




憎しみに嫌気がさすほど憎しみを直視しないと
人間は静寂を手にすることが出来ないのかもしれない

というか…

せっかくそこにある静寂に気付けず
もったいなくも無意識下に手放してしまうのかもしれない





窓の方に顔を向け目を瞑り
瞼の裏に透けている空の明るさに束の間身を任せもう少しその先を考えてみる





愛の元に生まれた静寂でも
憎しみの果ての力尽きた静寂でも
どちらでも結局それは
愛を育てるために必要なプロセスなのだ
と仮定してみる


何故なら静寂というものは
自分が怖れから解放された時に手に入る

そして怖れは愛の成長を阻止するものであるから




人が怖れを抱く要素は無数にあるが
要因はたった一つなのではないかと思う


それは
自らの命を存続させ
その先に自分の遺伝子を残したいという本能から来ていると感じる

そしてそれは現実の状況とは必ずしも一致しない
自分の内部の声として、なのだ




僕らは
生きる、という
明確な回答の見つけられないメビウスを生きながら
いつかその答えをきっと得てみたい
と未来に託している


だから可能な限り、死からの回避を強く求め
また傷付くことで生きる力が弱まることを回避したいがための選択をしている

それが怖れということなのだ


命の存続への効果的な方法「自己防衛」として怖れは生まれるが
矛盾にもそれはまた
人の心の自由を奪い命の存続を縮めたりもする


この皮肉なメビウスが
この世の仕組みであると
何度突き当たって来ただろう


そして僕の理屈はまだまだ成長しきれず
メビウスを繰り返してしまう



矛盾を指摘することが出来ても
それを突き抜け
微笑みを生み出すための技量は
僕の言葉にはまだまだ足りないのだ


しかしまた
このような徒然な思案でも
僕という身の丈を気付かせてくれ
そこからまた拓けたりするから面白いのだ





やはり僕は
ギターを弾くしかない人間のようだ


小さな一つでも良いから突き抜けるための何かを
音で見つけてゆくしかない


などと思い当たる




すると急に


微笑み


安らぎ


なんていう存在たちが愛しく感じられてくる






さて…
仕事に戻ろう





コメント
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