Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

くだを巻く酔っぱらいの巻

2010-07-23 | ギターの栄養

今、僕は珍しく酔ってる

酔ったまま我が儘放題にグダグダ喋ってみる



人間の活性化された魂に出逢うと、心を鷲掴みにされて
オマケに涙まで出てくるのは何故かな...

やっぱり、そこに神様が宿ってるのかな?


人間が本来持ってる力は
人間が群れて生きるために自ら作ったルールによって縛られて
何十分の一くらいまで縮小されてしまって
本当につまらない



人間が元々持ってる力を解放出来たとき
僕等は初めて自然の景物と同化出来るんだ

僕等は「木」となり「風」となり「太陽」にさえなれる

そして「神」にさえもなれる
(その代わりに「残酷」も背負い込むことになるが)


誰の中にも神が居て
そして悪魔も居る

その「神」を、ちょっと目覚めさせてやれば良いだけの話しだから




生きてる間に「神」と同化してみたくない?

そのためには
「我が儘」って、本当に大事だよ

「正義」と「抑圧」をゴッチャにしちゃダメ

どちらも表面的には「良い人」と呼ばれるから間違いやすいけど
よく区別しなきゃね

でも、こんなこと何処の学校でも教えてくれなかったでしょ

「命の意味」を教えない学問なんて
何の意味があるかね



我が儘じゃなきゃ、絶対 魂が活性化なんてしない


我が儘と、人に迷惑をかけるってことを
ゴッチャにしてるよ
世の中は



自分が「木」になりたかったら
その場所にに辿り着くには
地図もパスポートも無いんだ


自分の内なる声が、「命の力を全部使ってくれ」と言ってるのを
聞き逃しちゃダメ

自分の心の声に嘘付いても
どっかで転けるに決まってるんだから

自分に嘘付くのは傷付くのが恐いから

辿り着くために結局必要なのは
「全部使って生き切りたい」という思いに支えられた「勇気」だけなんだよね

それさえあればきっと辿り着く



辿り着くためにみんな生きてるんだもの

人の世に喧嘩が絶えないのはそのせいだよ

誰もが自分の命を解放する権利を持ってるから
我が儘に向かい
そしてぶつかる

だけど
ぶつかるってことにも2種類ある

そのぶつかりが対話になってるなら問題ない

問題なのは対話にもなってないぶつかり

諦めの中で繰り広げられる
意味の無い、誰も何も喜べない小さな戦争...





...明日になったら
今書いてることも全部忘れてるかな...酔ってるから...

...いや...
忘れないよ


何故って
こんなこといつも毎日毎日考えてることだから
忘れようもない

ただ
こういうことをストレートに言うのに
酔ってる時じゃないとなかなか言えない自分が
まだまだ小さいってだけの話


だけど明日になって
酔った勢いで書いたものを目にするのが恥ずかしければ
アップしなきゃいいんだよね

でもアップしちゃう

明日恥ずかしいけどアップしちゃう


だって恥ずかしさも結局、究極
一つの自己防衛だからね

そして自己防衛してたら
命の力を全部解放することも出来ないじゃない?



















コメント
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