最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

飛鳥 近江の旅(3)

2023-05-29 21:39:27 | Weblog

歌川広重『粟津晴蘭』保永堂版

粟津の晴嵐

歌川広重『瀬田夕照』保永堂版

現在の瀬田唐橋

今井兼平の墓
義仲寺を出て、京阪線、京阪石山駅で下りて、粟津の松原に行きました。
ここは、歌川広重の近江八景に描かれている、
美しい琵琶湖畔の松原で、源義仲が最期を遂げた場所と言われています。

広重の絵の場所は、今は埋め立てられ、松が数本になってしまったので、
写真の「粟津の晴嵐」は近江の名勝を残そうと、湖畔に松を植えたそうです。

琵琶湖に来たのは高校の修学旅行以来。
さすがに日本一の広さの湖!!風が気持ちよかったです。

最後まで義仲と共に戦った今井兼平の墓にも行ってみました。
子孫の方が守っているそうです。

その後、古くからの交通の要衝、瀬田の唐橋に行きました。
義仲は、宇治橋で義経、範頼に大敗し、北へと向かい、
この瀬田の唐橋で、ほぼすべての兵を失い、
ついに今井兼平と共に、粟津で討ち取られたということです。
次はまた、京阪線に乗って、終点の石山寺まで行きました。
駅から少し歩かなければならないので、
バスに乗ったら、乗り過ごし、結局また歩いてしまいました。

まず、ランチに名物「シジミ釜飯」を頂きました。
このあたりは、貝塚も見つかっていて、縄文時代から、
人が住んでいたところです。
その頃の人も、シジミを食べていたのでしょうか?
炊きたてで、美味しかったです。

その後、奈良時代創建、紫式部が源氏物語を
起筆したことで有名な石山寺に行きました。

私は、石山寺と言えば、紫式部と思っていましたが、
このお寺は、古くから様々な人と由来があり、
見るものも、本当にたくさんあるのだと、今回知りました。

東大門

仁王像

仁王像

        竜の手水


        国宝の本堂

天然記念物 珪灰石
石山寺は、聖武天皇の勅願により、
奈良時代、建てられたお寺だそうです。

まず、鎌倉時代に建てられた東大門をくぐります。
ここには、運慶、湛慶の作、仁王像があります。

竜の手水で手を清め、急な階段を上ると
広い境内に出て、天然記念物の珪灰石が見られます。

国宝の本堂の一部に源氏の間があり、
ここで、紫式部が源氏物語の構想を練ったそうです。

本堂の横を登っていくと、鐘楼、経蔵などがあり、
その先に頼朝の寄進した、国宝 多宝塔があります。

横を見ると、月見亭があり、

その先どんどん山道を登っていくと
豊浄殿があって、その先には光堂。

少し下ったところに紫式部像がありました。

道に迷ったかと思うと、
滝のある美しい庭に出ました。
地図を見ると無憂園という庭でした。

石山寺は、平安時代は、参詣が流行したものの
その後一時、荒れ果て、淀殿が大々的に修理したとか。

     源氏の間

多宝塔

月見亭

紫式部像


無憂園
全部廻ると、1時間半以上かかると書いてありましたが、
私たちは、全部は廻り切れませんでしたが、上ったり下ったりで、くたくたになりました。
ウォーキングシューズを履いて廻らなければなりませんよ!

京都駅に戻り、新幹線に乗って帰宅。

急に思い立って、出かけた、たった1泊の旅行でしたが、充実していました。

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