いい天気ですね。
少し早いですが・・・新緑の中を風がわたり・・・まさしく「風薫る」季節です。
俳句では夏の季語
「夏草や君わけ行けば風薫る」 (正岡子規)
和歌では、鎌倉時代の「新古今和歌集」あたりから、梅や橘などの花の香りを乗せて吹く風と歌われるようになり、季節も夏とは限っていません。
それより古い万葉集では、花の香を詠んだ歌は極めて少なく、118首も梅の花が詠まれていても、香が詠まれているのはわずかに1首、
「梅の花、香(か)をかぐはしみ、遠けども、心もしのに、君をしぞ思ふ」
( 梅の花の香りの良さに、遠く離れていますけど、心はいつも、あなたさまのことを思っています。)
橘は68首詠まれていますが、香が詠まれているのはわずかに数首しかありません。万葉時代の人々は、どうも花の香に関心が薄かったようです。
「橘(たちばな)の 下吹く風(かぜ)の かぐはしき 筑波の山を 恋ひずあらめかも」
(橘(たちばな)の下を吹く風(かぜ)が香しい筑波の山を懐かしく思わずにいられましょうか。)
題詞に、「天平勝寳七歳(西暦755年)二月、相替(あいかわ)りて筑紫に遣わされる諸國の防人(さきもり)たちの歌」とあり、
常陸國(ひたちのくに)の防人(さきもり)達の歌17首の中の一首です。
これらの歌の注には
「二月十四日、常陸國(ひたちのくに)の部領防人使(さきもりことりづかい)大目(だいさかん)正七位上息長真人國嶋(おきながのまひとくにしま)が進(たてまつ)る歌數十七首 但し、拙劣(せつれつ)の歌は取(とり)載(の)せず。」とあります。
つたない歌は載せてもらえなかったのですね。
万葉以降には、花の香りを乗せた風の歌は数多く出てきます。
多くは、梅や橘ですが・・・
「花の香を風の便りにたぐへてぞ鶯さそふしるべには遣る」 (古今集 春 13)
(梅の花の香りを風の便りの供として、ウグイスを誘う案内役には遣つかわすよ。)
鎌倉から室町の歌集に、ようやく「風薫る」が
「風薫る花のあたりに来てみれば雲もまがはすみ吉野の山」 (新千載集 春 95)
(花の気配を漂わせる風をたよりに、桜が咲いているのはこのあたりかと来てみると、雲と見紛うこともなかったよ、吉野の山の桜は。)
これらは、いずれも風の香りを詠んでいますが・・・
初夏のさわやかな風という意味として使われるのは漢語の「薫風」を和らげて使われたからです。
「薫風」は禅語としてよく使われる、漢詩
薫風自南来(薫風南より来たり)、殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)からと言われています。
これは、
唐の文宗皇帝による起承の二句:人皆苦炎熱(人は皆炎熱に苦しむも)、我愛夏日長(我れは夏日の長きを愛す)
(世の人々は夏の日の炎暑に苦しんでいるが、私は一年中で一番長い夏の日が好きである。)
に対しての臣下の柳公権による転結の二句:薫風自南来(薫風南より来たり)、殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)
(暑さは厳しくとも、時折り南からかぐわしい風が吹いて来ると、炎暑に見舞われた宮殿もわずかに涼しくなって、心地よい気持ちを味わうことができる。)
でした。
「薫風」をそのまま熟語として使われるようになったのは、江戸時代、漢籍好みの蕪村あたりから・・・
「薫風や恨みなき身の夏ごろも」(与謝蕪村)
長くなりましたね・・・散歩
オオデマリ
モズ
調整池
アオサギ
ひさしぶりにカワセミ
モンシロチョウ
チューリップ
パンジーかな?
ハナミズキ
「桜蘂散る庭に出て土踏めり」 (松崎鉄之介)
柿
アイリス
カメリアカスケード
青空に白い雲・・・
唱歌にも、風ではありませんが、若葉が薫るがありましたね・・・「わかば」です。
作詞:松永みやお、作曲:平岡均之
1 あざやかなみどりよ
あかるいみどりよ
鳥居をつつみ
わら屋をかくし
かおる かおる
若葉がかおる
2 さわやかなみどりよ
ゆたかなみどりよ
田畑をうずめ
野山をおおい
そよぐ そよぐ
若葉がそよぐ
昭和17年に国民学校用の教科書に掲載されてますが、この前年12月には日本は太平洋戦争に突入しています。
検閲があったと思われる戦争中とは思えない、さわやかな歌が採用されているのは、まだこの時期には余裕があったという事でしょうね。
戦後は、小学4年音楽教科書に掲載されたようなので、習ったはずですが・・・
「かおる かおる」と「そよぐ そよぐ」の繰り返しが遠い記憶にあるだけなんですよね・・・
今日は、長くなりましたm(__)m
では、(@^^)/~~~
少し早いですが・・・新緑の中を風がわたり・・・まさしく「風薫る」季節です。
俳句では夏の季語
「夏草や君わけ行けば風薫る」 (正岡子規)
和歌では、鎌倉時代の「新古今和歌集」あたりから、梅や橘などの花の香りを乗せて吹く風と歌われるようになり、季節も夏とは限っていません。
それより古い万葉集では、花の香を詠んだ歌は極めて少なく、118首も梅の花が詠まれていても、香が詠まれているのはわずかに1首、
「梅の花、香(か)をかぐはしみ、遠けども、心もしのに、君をしぞ思ふ」
( 梅の花の香りの良さに、遠く離れていますけど、心はいつも、あなたさまのことを思っています。)
橘は68首詠まれていますが、香が詠まれているのはわずかに数首しかありません。万葉時代の人々は、どうも花の香に関心が薄かったようです。
「橘(たちばな)の 下吹く風(かぜ)の かぐはしき 筑波の山を 恋ひずあらめかも」
(橘(たちばな)の下を吹く風(かぜ)が香しい筑波の山を懐かしく思わずにいられましょうか。)
題詞に、「天平勝寳七歳(西暦755年)二月、相替(あいかわ)りて筑紫に遣わされる諸國の防人(さきもり)たちの歌」とあり、
常陸國(ひたちのくに)の防人(さきもり)達の歌17首の中の一首です。
これらの歌の注には
「二月十四日、常陸國(ひたちのくに)の部領防人使(さきもりことりづかい)大目(だいさかん)正七位上息長真人國嶋(おきながのまひとくにしま)が進(たてまつ)る歌數十七首 但し、拙劣(せつれつ)の歌は取(とり)載(の)せず。」とあります。
つたない歌は載せてもらえなかったのですね。
万葉以降には、花の香りを乗せた風の歌は数多く出てきます。
多くは、梅や橘ですが・・・
「花の香を風の便りにたぐへてぞ鶯さそふしるべには遣る」 (古今集 春 13)
(梅の花の香りを風の便りの供として、ウグイスを誘う案内役には遣つかわすよ。)
鎌倉から室町の歌集に、ようやく「風薫る」が
「風薫る花のあたりに来てみれば雲もまがはすみ吉野の山」 (新千載集 春 95)
(花の気配を漂わせる風をたよりに、桜が咲いているのはこのあたりかと来てみると、雲と見紛うこともなかったよ、吉野の山の桜は。)
これらは、いずれも風の香りを詠んでいますが・・・
初夏のさわやかな風という意味として使われるのは漢語の「薫風」を和らげて使われたからです。
「薫風」は禅語としてよく使われる、漢詩
薫風自南来(薫風南より来たり)、殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)からと言われています。
これは、
唐の文宗皇帝による起承の二句:人皆苦炎熱(人は皆炎熱に苦しむも)、我愛夏日長(我れは夏日の長きを愛す)
(世の人々は夏の日の炎暑に苦しんでいるが、私は一年中で一番長い夏の日が好きである。)
に対しての臣下の柳公権による転結の二句:薫風自南来(薫風南より来たり)、殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)
(暑さは厳しくとも、時折り南からかぐわしい風が吹いて来ると、炎暑に見舞われた宮殿もわずかに涼しくなって、心地よい気持ちを味わうことができる。)
でした。
「薫風」をそのまま熟語として使われるようになったのは、江戸時代、漢籍好みの蕪村あたりから・・・
「薫風や恨みなき身の夏ごろも」(与謝蕪村)
長くなりましたね・・・散歩
オオデマリ
モズ
調整池
アオサギ
ひさしぶりにカワセミ
モンシロチョウ
チューリップ
パンジーかな?
ハナミズキ
「桜蘂散る庭に出て土踏めり」 (松崎鉄之介)
柿
アイリス
カメリアカスケード
青空に白い雲・・・
唱歌にも、風ではありませんが、若葉が薫るがありましたね・・・「わかば」です。
作詞:松永みやお、作曲:平岡均之
1 あざやかなみどりよ
あかるいみどりよ
鳥居をつつみ
わら屋をかくし
かおる かおる
若葉がかおる
2 さわやかなみどりよ
ゆたかなみどりよ
田畑をうずめ
野山をおおい
そよぐ そよぐ
若葉がそよぐ
昭和17年に国民学校用の教科書に掲載されてますが、この前年12月には日本は太平洋戦争に突入しています。
検閲があったと思われる戦争中とは思えない、さわやかな歌が採用されているのは、まだこの時期には余裕があったという事でしょうね。
戦後は、小学4年音楽教科書に掲載されたようなので、習ったはずですが・・・
「かおる かおる」と「そよぐ そよぐ」の繰り返しが遠い記憶にあるだけなんですよね・・・
今日は、長くなりましたm(__)m
では、(@^^)/~~~