時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百二十)

2009-10-09 06:09:40 | 蒲殿春秋
水練に巧みな者達が河から上がると義経は全軍に渡河の指示を出した。

時は旧暦一月二十日。(太陽暦では三月初旬)
比叡山の山々の雪が溶け出し、雪解け水を受けた琵琶湖から滔々たる水量を吐き出している
宇治川の水かさは高く流れも急であった。

義経の下知を受けた坂東武士達は一瞬渡河をためらった。

そのような中大音声をあげて真っ先に河を渡ろうとする一団があった。
「坂東太郎(利根川、ただし当時は途中で現在の隅田川に流れ込んでいる)に比べれば物の数ではないわ!」
そのように叫んだのは武蔵国の大豪族秩父一族の一人畠山重忠。
そういって郎党たちをそして大将軍の義経を励まして大河を渡ろうとする。

「馬筏を作れ!」
重忠は自らの郎党達に命じた。
馬筏とは騎馬を密着させた一列に並べながらほぼ同時に河を進む進軍方式である。
このようにして進めば河の流れの影響を少なくして騎馬で対岸で渡れるのである。
さらに力のある強い馬は上流に弱い馬を下流にすることによってより確実に渡河することができる。
河川の多い武蔵国に住むものならではの知恵である。

重忠とその郎党たちが馬筏を作って渡河せんとしていた頃、
少し別の場所で並んで馬を乗り入れたものがある。

頼朝から名馬生食を賜った佐々木高綱と磨墨を賜った梶原景季である。
名だたる名馬を得た二人は、自分こそが先陣の栄誉に浴するのだと気負っている。

抜きつ抜かれつ両者は河を渡る。

「梶原殿、馬の腹帯が緩んでござるぞ。」
佐々木高綱は突如梶原景季に声をかけた。

その声に気が付いた梶原景季は急いで腹帯を直す。
直後景季は佐々木高綱が景季の少し前方に進んだのを見る。
━━ 謀られた。
そう思った景季が今度は佐々木高綱に声を掛ける。
「まだ河の中のあちらこちらに綱が残っておりますぞ。」
すると
「承知」
といって佐々木高綱は太刀を引き抜き河の中に次々振り落とす。
途中いくつか残っていた綱は太刀に引き裂かれ、その綱を押しのけるように佐々木高綱は進む。

やがて高綱は対岸にたどり着く。

「宇多天皇より五代の末、佐々木三郎秀義が四男佐々木四郎高綱、
宇治川の先陣なり。」
高綱は高々と宣言した。

前回へ 目次へ 次回へ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ