以前「玉葉」関連の記事で書かせていただいた鉄兜事件やご宣託について
「吉記」養和元年(1181年)九月二十日条にも記載されていました。
で、
「吉記」には後日談が載っていまして(養和元年九月二十五日条)
例の鉄兜、奉幣使は死去したもののその後鉄兜は他の人が無事に伊勢神宮に奉納したそうです。
「玉葉」にはこの無事奉納された件は記載されていませんでした。「玉葉」しか読まなければこの「吉記」に記載されている「リトライ」を知ることはできませんでした。
改めて、複数の文献を読んで検証することが必要であると実感しました。
それにしても、奉幣使が頓死したにも関わらず、再度奉納を試みたとは
平安の人々も中々たくましいなあと思いました。
「神様、この鎧受け取ってください。我々を勝たせてください!」(鉄兜奉幣)
「いやです」(奉幣使頓死)
「いやー、そこを何とか!」(奉幣リトライ)
「・・・」
お祈りの方も現代の商魂につながるような逞しさを感じてしまったのですが・・・
「吉記」養和元年(1181年)九月二十日条にも記載されていました。
で、
「吉記」には後日談が載っていまして(養和元年九月二十五日条)
例の鉄兜、奉幣使は死去したもののその後鉄兜は他の人が無事に伊勢神宮に奉納したそうです。
「玉葉」にはこの無事奉納された件は記載されていませんでした。「玉葉」しか読まなければこの「吉記」に記載されている「リトライ」を知ることはできませんでした。
改めて、複数の文献を読んで検証することが必要であると実感しました。
それにしても、奉幣使が頓死したにも関わらず、再度奉納を試みたとは
平安の人々も中々たくましいなあと思いました。
「神様、この鎧受け取ってください。我々を勝たせてください!」(鉄兜奉幣)
「いやです」(奉幣使頓死)
「いやー、そこを何とか!」(奉幣リトライ)
「・・・」
お祈りの方も現代の商魂につながるような逞しさを感じてしまったのですが・・・
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