時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

Who is he?━ 平治2年の彼

2011-01-26 06:15:42 | 日記・軍記物
昨日「大乗院日記目録」という史料を見ることができました。
(「続々類書群従 第三」 所収)
これは平安後期からの出来事がほんの少しだけ
「こんなことがあった」程度のことが記されています。
(年に出来事一つくらいのみ記載・・・)

昔のツイッターみたいなものだと思いながら読んでいますと
謎の記事を見つけました。

「永暦元 正月二日、中宮右近朝岳誅也、(以下略)」

永暦元年とは1160年で平治の乱勃発の翌年にあたります。
正月二日とは1月2日のこと。
(なおこの時点では改元されておらず、この時期は「平治二年」です。)

平治の乱は前年末に戦闘は終了していますが、平治2年(永暦元年)1月は乱にともなう政争はいまだ終結していない時期です。
九条兼実は「玉葉」に平治の乱の翌年の正月行事には物々しい警護が固められていたとしるしています。

このような時期に「中宮右近朝岳」さんなる人が殺されたらしいのです。
誅されるということは、処刑にちかい意味を持つものと思われます。

朝岳さんという名は初めて目にします。

一体誰でしょうか?

一瞬義朝(頼朝父)次男の朝長(頼朝異母兄)に名前と官職が似ていると思いました。
しかしながら中宮大夫進という官位は似てはいるものの朝長「右近」(右近衛府の役職)という官職は得ていませんし、やはり名前が違います。
従ってこの人物は朝長とは別人の可能性が高いと私は考えています。

とすればこの中宮右近朝岳さんとはいったい何者なのでしょうか?

そしてこの平治の乱のさなか誅された理由は何だったのでしょうか?

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