時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百五十二)

2008-05-04 06:13:41 | 蒲殿春秋
寿永元年の変化は三河にいる範頼も感じ取ることができた。
特に、盟友安田義定の住まう遠江へ赴いた際に、より一層その感を強くする。
━━ 安田殿の意向が前より通らなくなってきている。
と。
特に伊勢御厨を預かる者達の間にその傾向が強い。

理由は察することができる。
安田義定は、平家の反発する勢力を取り込みながら遠江・三河を実力で自らの支配下におさめた。平家の知行国であった頃国衙の実権を握る人々に抑圧された者達をうまく取り込んで義定はこの二つの国を制圧した。味方につけたこの人々を義定は当初保護していた。
けれども、東国の各反平家勢力の中において義定が支配する領域は平家が強い影響力を及ぼしている地域と直に接している。
ゆえに義定は常に軍事的緊張にさらされている状態となっている。
平家が東下してくる、誰某が蜂起するという噂が飛ぶたびに義定は出陣を余儀なくされる。
その出陣には多大な物資と人手が必要とされる。
武具、兵糧、馬、馬のえさ、物資を運ぶ人足、柵や堀を設営撤去する人足等々。

その調達の為に遠江国内において各種の徴収を行なわなくてはならない。
今まで保護していた人々からも物産や人手を徴収せざるを得なくなる。
その事により、平家方人からの抑圧から解き放たれたと思っていた人々は義定に多少の失望を感じた。特に、今まで伊勢御厨であるという理由で国衙からの各種の税の一部を免除されていた御厨の住人達の反感は強かった。
義定が従来国衙から免除されていた税の分まで伊勢御厨から様々なものの徴収を要求するようになってきたからである。

義定とて好き好んで遠江国内に各種徴収をかけているわけではない。
出陣、そして戦闘をするための必要に迫られてのことである。
度重なる出陣は義定の在地経営を追い詰めていたのである。

しかし、負担を強いられるほうはそのような義定の心情や苦境などを察している余裕はない。
━━ これでは平家よりひどい。
そのように思うものも少なくないという。
事実,範頼が遠江に赴くたびそのような不満を聞かされることが度々あった。

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