時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

養和元年(1181年)横田河原以降年表

2008-05-10 06:32:01 | 年表
()内は出典元
(玉)ー玉葉、(吉)ー吉記、(吾)ー吾妻鏡

日付 頼朝勢力 北陸 美濃尾張 西国 その他 朝廷 平家
8月1日 頼朝密奏と宗盛の返事の記事(玉)           頼朝密奏と宗盛の返事の記事(玉)  
8月2日 頼朝駿河に仮屋を作る(玉)              
8月6日              藤原秀衡、城資職へ任官の動き(玉)  
8月12日 足利俊綱頼朝に背くとの噂(玉)、秀衡官軍に与力するとの噂(玉)             
8月15日   平経正北陸に出発(吉)          藤原秀衡ら国守に任官される(玉、吉) 平経正北陸に出発(吉)
8月16日   平通盛北陸に出発(吉)          平通盛北陸に出発(吉)
8月23日   加賀国住人越前にの郷を二つ焼き討ち(吉9/1)   伊予の河野通清が殺されたとの噂(吉)      
9月1日   平通盛、越前国府にいる(吉)          
9月2日   北陸の賊徒を平通盛征伐できないとの報(玉)          
9月6日 熊野別当湛増坂東に赴く(玉)     鎮西の反乱甚だしく、原田菊池和平して平貞能を尋ねるとのこと。 熊野別当湛増坂東に赴く(玉)    
9月9日 熊野別当湛増院に坂東下向の釈明(玉) 平通盛越前加賀国人に敗れたとの報(玉、吉)     熊野別当湛増院に坂東下向の釈明(玉)    
9月10日   平通盛敦賀城に引きこもる。軍勢を越前に送ること決定(玉)          
9月11日           鉄兜大神宮に奉幣(玉) 平教経、行盛北陸へ、重衡東国へ下向することが決まる(玉)
9月12日   平通盛敦賀城を追われる、若狭の平経正援軍に行かず(玉)          
9月13日             北陸追討使、下向定まらず(玉)
9月15日             平家滅亡の託宣平時子の女房が受ける(玉)
9月24日             平宗盛の大和大福庄源氏の二川三郎に焼かれる(玉)
9月25日           使者が頓死した伊勢神宮の兜事件 無事奉納(吉)  
9月27日   平行盛北陸に向けて出立(玉)         平行盛北陸に向けて出立(玉)
9月28日     東国の輩、上洛近い、平宗盛伊勢美濃へ郎党派遣(玉)   熊野反乱、平頼盛追討に下向を仰せ下される。源氏の武士高野山に何人か篭る(玉)    
10月4日             11日に平知盛、清経越前下向、重衡東国下向などの予定(玉)
10月10日   北陸等への出兵延期、官軍の兵数減少(玉)         北陸等への出兵延期、官軍の兵数減少(玉)
10月11日         熊野の行命(官軍寄り人物)上洛しようとして、他熊野勢力に討たれる(玉)    
10月16日       平貞能、鎮西を平定して上洛するとの噂、秀衡に官軍につくように使者を送る(玉)      
10月20日 伊勢権禰宜渡会光倫鎌倉より来着(吾)            
10月23日 頼朝上洛の為尾張にいるとのこと、行家も尾張にいる。(玉10/27)            
10月24日   北陸を攻めようとするが、官軍無勢の為延期(玉)          
11月5日 平維盛東下に備えて、出兵準備するも出陣せず(吾)            
11月11日 源頼政縁者鎌倉下向(吾)            
11月19日   平通盛、北陸より帰京(吉)         平通盛、北陸より帰京(吉)
12月7日 政子体調崩す(吾)            


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