最後に、後白河法皇が相手にしたと思われる男色相手を列記して
この基通シリーズを終了したいと存じます。
藤原信頼
平治の乱の首謀者
「愚管抄」には「あさましき程に御寵愛ありけり」とあります。
法皇の寵愛による引き立てで官位を上昇させ、それに反対する信西への恨みから
平治の乱を起こしたとされている。
しかし、元木泰雄氏は「保元・平治の乱を読み直す」において
信頼について次のような評価をされています。
官位の上昇に関しては、信頼の家系が以前から院近臣家系で
元々それなりの身分を獲得しうる家であり
信頼自身も実務能力に長けた人物だったとしている。
また、平清盛との姻戚関係や源義朝との以前からの密接な関係により
信頼が武力を行使しうる立場にあったのも信頼の力を強化していた。
冒頭のような信頼に対する通説的な見方は乱に敗北したことによる
敗者への辛口評価の結果ではないかと。
平資盛
平重盛次男。
平家が盛んだった頃長期にわたり法皇と関係を結んでいたようです。
愚管抄には「院の覚えして盛りに候ひければ」とあります。
平家都落ちに際し、一旦は都に引き返し法皇に連絡をとろうとしますが
上手くいかず結局一門とともに西国に下ります。
「玉葉」十一月十二日条にはつぎのような記載があります。
「伝え聞く、資盛朝臣使を大夫尉知康の許に送り、君に別れ奉り悲嘆限り無し。
今一度華洛に帰り、再び龍顔を拝せんと欲すと云々。」
(「訓読玉葉」より抜粋)
法皇を恋い慕うともとれる文を送っています。
資盛は「平家物語」によると一門とともに入水します。
(一門と別れて九州に留まったとの説もあり)
法皇の寵愛は以前からあったものの、
それだけでは平家一門の武将の一人であった資盛の政治生命は
守ることができなかったようです。
男色関係があっても
それ以上の政治的立場の違いというものの方が大きかったのではないかと。
(参考 上横手雅敬「日本史の快楽」講談社)
ごめんなさい
今回書ききれなかったのでもう一回だけ書かせて頂きます。
前回 次回
この基通シリーズを終了したいと存じます。
藤原信頼
平治の乱の首謀者
「愚管抄」には「あさましき程に御寵愛ありけり」とあります。
法皇の寵愛による引き立てで官位を上昇させ、それに反対する信西への恨みから
平治の乱を起こしたとされている。
しかし、元木泰雄氏は「保元・平治の乱を読み直す」において
信頼について次のような評価をされています。
官位の上昇に関しては、信頼の家系が以前から院近臣家系で
元々それなりの身分を獲得しうる家であり
信頼自身も実務能力に長けた人物だったとしている。
また、平清盛との姻戚関係や源義朝との以前からの密接な関係により
信頼が武力を行使しうる立場にあったのも信頼の力を強化していた。
冒頭のような信頼に対する通説的な見方は乱に敗北したことによる
敗者への辛口評価の結果ではないかと。
平資盛
平重盛次男。
平家が盛んだった頃長期にわたり法皇と関係を結んでいたようです。
愚管抄には「院の覚えして盛りに候ひければ」とあります。
平家都落ちに際し、一旦は都に引き返し法皇に連絡をとろうとしますが
上手くいかず結局一門とともに西国に下ります。
「玉葉」十一月十二日条にはつぎのような記載があります。
「伝え聞く、資盛朝臣使を大夫尉知康の許に送り、君に別れ奉り悲嘆限り無し。
今一度華洛に帰り、再び龍顔を拝せんと欲すと云々。」
(「訓読玉葉」より抜粋)
法皇を恋い慕うともとれる文を送っています。
資盛は「平家物語」によると一門とともに入水します。
(一門と別れて九州に留まったとの説もあり)
法皇の寵愛は以前からあったものの、
それだけでは平家一門の武将の一人であった資盛の政治生命は
守ることができなかったようです。
男色関係があっても
それ以上の政治的立場の違いというものの方が大きかったのではないかと。
(参考 上横手雅敬「日本史の快楽」講談社)
ごめんなさい
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