のちに世界から「真珠王―The Pearl King」と呼ばれた男、御木本幸吉は、1858(安政5)年1月25日、志摩国の鳥羽で、うどん屋の息子として生まれた。
幸吉が、妻うめと家族の支えにより苦難の末に真珠の養殖に成功したのは、1893(明治26)年のこと。
当時この地域は真珠の産地として有名であったが、乱獲がたたって明治中期にはほとんどとれなくなってしまった。これに心を痛めた幸吉は、アコヤ貝を使った真珠の養殖を思い立ち、明治23年、英虞湾の無人島に妻と二人だけで真珠養殖所を設立した。
開始当初から実験は試行錯誤の連続で、何年もの歳月を費やしたが、周囲の目は非常に厳しく、家族だけが幸吉の実験を見守っていた。相次ぐ赤潮の被害や資金難を乗り越え、鳥羽の相島(おじま、現:ミキモト真珠島)で遂に真珠の養殖に成功する。世界で初めて人の力によって真珠貝から真珠を作り出した瞬間であった。