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太平洋沿岸を飛ぶ (28) - 熊野・古座街道

2010-02-11 | 近畿
熊野というのは大小無数の山塊を寄せかためたようなところで、いかにも隠国(こもりく)という感がふかい。
しかしながら古代では僻地ではなかったらしく、『古事記』、『日本書紀』にしばしば主要舞台として登場する。おそらく古代にあっては独立性の高い政治圏もしくは文化圏であったのかもしれない。
熊野という土地が持つ古代的な、つまり得体の知れぬ一種の充実制が、中世になって天皇家をもふくめて貴賤ともどもにこの僻遠の地を恋い慕う流行をよび、あの熱狂的な「熊野詣」の宗教的習慣ができあがったのであろう。
京都から熊野までは、まことに遠い。しかし熊野を慕う中世の京都人たちは、地の底のような渓谷をつたい、ときに海岸の岩に抱きつくようにして、浜辺をゆき、また大雲取・小雲取のような雲の中をくぐるがような山道を越えて熊野の聖地(本宮、新宮、那智)に詣でた。 
・・・・・
熊野では、浜からわずかに山に入っただけで、海の匂いが絶えてしまう。
古座街道の場合も、そうである。周参見の浜から周参見川の渓流ぞいに、二、三キロも入れば鬱然とした樹叢で、梢にも根方にも太古の気がひそんでいる。杉の木が多いが、若い杉にまでなんだか霊気が湧いているようで、中世の熊野信仰のおこりは、存外こういうことが要素のひとつになっているのかと思われる。(司馬遼太郎著『街道をゆく・熊野古座街道』より)



紀州の森に立ち、「梢にも根方にも太古の気がひそんでいる」と書いたのは、司馬遼太郎である。
氏は、すさみから古座への古座街道を歩き、その歴史にひそむ習俗に南方の島々の匂いをかいだ。「街道をゆく」シリーズ『熊野・古座街道』である。


熊野へ向かう道は高野山から南下する小辺路(こへじ)、田辺から山中に入る中辺路(なかへじ)、海沿いに新宮へ向かう大辺路(おおへじ)がある。一番平坦な大辺路が使われる機会が多かったようであるが、海が荒れた時などは険しい枯木灘海岸沿いの大辺路(現国道42号線)の迂回路として「古座街道」は古くから利用されていたのだろう。

古座街道は、熊野参詣道の大辺路から周参見川を東進し、獅子目峠を越えて古座川上流から河口に下るルートである。
街道沿いには国指定の天然記念物「古座川の一枚岩」などの圧倒されるような自然が随所に残されている。