Tenkuu Cafe - a view from above

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-空から見るからこそ見えてくるものがある-

太平洋沿岸を飛ぶ (36) - 土佐湾

2010-02-24 | 四国

かれが雨露をしのぐべく入りこんでいたと思われる洞窟は、いまも存在している。そのなかに入って洞ロをみると、あたかも窓のようであり、窓いっぱいにうつっている外景といえば水平線に劃された天と水しかない。宇宙はこの、潮が岩をうがってつくった窓によってすべての爽雑するものをすて、ただ空と海とだけの単一な構造になってしまっている。洞窟の奥にひそみ、この単純な外景の構造を日夜凝視すれば精神がどのようになってゆくか、それについてのへんペんとした心理学的想像はここでは触れずにおく。

ただ空海をその後の空海たらしめるために重大であるのは、明星であった。天にあって明星がたしかに動いた。みるみる洞窟に近づき、洞内にとびこみ、やがてすさまじい衝撃とともに空海のロ中に入ってしまった。この一大衝撃とともに空海の儒教的事実主義はこなごなにくだかれ、その肉体を地上に残したまま、その精神は抽象的世界に棲むようになるのである。
(司馬遼太郎著『空海の風景』より)


「わが心空の如く、わが心海の如く」
“空海”の名は、虚空蔵求聞持法の修行をしていた時、彼がこの洞窟から眺めた風景に始まるといわれる。

今、室戸岬の高台の上には、山の緑を背景に、旅姿の青年空海、「室戸青年大師像」が、太平洋を見つめるように立っている。






室戸岬から高知市へと土佐湾を抱くようにして、弓形を描く海岸線。
東の東洋町甲浦(かんのうら)から西の宿毛(すくも)市までは,直線距離で約170km,道路里程では約270kmに達するという。

現在の高知県は,かつての土佐国全域にあたり,明治維新まで土佐藩(高知藩)24万石
の藩政が続いた。

室戸岬の先端近く、もうひとつの像が太平洋を見据えるように建っている。
中岡慎太郎の像である。

中岡慎太郎は、幕末期に、陸援隊隊長として、海援隊隊長の坂本龍馬と共に、脱藩して倒幕・開国運動を繰り広げていた。しかし、志半ばの1867年(慶応3)11月15日に、京都河原町の近江屋で暗殺され、30歳にしてこの世を去った。生誕地は、この地より20kmほど北にある安芸郡北川村で、その大庄屋の家に生まれた。海を隔てて高知桂浜にある坂本龍馬の像と対峙している。