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太平洋沿岸を飛ぶ (26) - 那智湾・那智勝浦

2010-02-09 | 近畿
「那智の浜」(画面中央上)は、那智湾に面した砂浜で、和歌山県下屈指のビーチであるが、かつて観音の信者が補陀落(ふだらく)浄土を目指して船出したという特異な歴史をもつ浜でもある。

補陀落浄土とは南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいい、「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳。
補陀落浄土は、日本では、南の海の果てに補陀落浄土はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して船出することを「補陀落渡海(ふだらくとかい)」という。

日本国内の補陀落の霊場としては熊野那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあるが、記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち半数以上が那智で行われたという。日本宗教史上における稀有な現象として知られ、チベット仏教伝来の修行信仰の一つとされる。

補陀落渡海の出発点とされた「補陀洛山寺」(世界遺産にも登録)という寺が「那智の浜」の奥手、熊野那智大社方面へ向かう道の角にあり、寺の裏山には渡海者の墓が残されている。補陀洛山寺は、渡海上人を送り出し、また、その上人を祀る寺なのだ。


那智での補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われた。
渡海僧は当日、補陀洛山寺本尊の千手観音の前で読経などの修法を行い、続いて寺の隣にある三所権現(熊野三所大神社)を拝し、その後、小さな屋形船に乗りこむ。
渡海僧が船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように扉には外から釘が打ちつけられ、渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。



補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身を南海にて観音に捧げる捨身行であったのだ。