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鉄川与助
1879(明治12)年、五島列島、中通島・青方村に、大工の棟梁・鉄川与四郎の長男として生まれた。
幼くして父のもとで大工修業を積んだ与助は、17歳になる頃には一般の家屋を建てられるほどの技術を身につけていた。
やがて、フランス人のペルー神父が監督・設計にあたった五島・曾根天主堂の建築を手伝うことになる。与助21歳。西洋建築を見たことがない与助は、神父から西洋建築の手ほどきを受けて、「リブ・ヴォ-ルト天井(コウモリ天井)」の建築方法を学んだという。
与助には、すべてのことが驚きであり、新鮮であった。
力量を認められた与助は、次に、鯛ノ浦天主堂、堂崎天主堂の建造に携わる。そして翌年には五島冷水に天主堂を建設する。これは与助が棟梁として設計・施工した記念すべき最初の木造の天主堂であった。内部にはペルー神父から学んだ「リブ・ヴォ-ルト天井」が広がる。
内装はまだ装飾が少なくシンプルな造りだが、ここから日本で唯一の教会建築家となる鉄川与助の本格的な仕事がスタートする。
Yosuke Tetukawa was born in a traditional carpenter's family in Nakadori Island, Goto Retto (archipelago) in 1879 (Meiji 12).
Yosuke constructed many Catholic church buildings, supported and guided by the missionaries.
Yosuke received a strong influence from foreign missionaries.
Around the 1890s, he constructed church buildings like Sone, Tainoura and Dozaki, under the direction of the French missionary priest Albert Charle Arsene Pelu .