1970年代後半~80年代前半の太平洋路線のノン・ストップ化の舞台は、アメリカ東海岸線へと移る。
今でこそ、東京―アメリカ東海岸のノン・ストップ運航など当たり前の時代だが、B747就航当時はいかにジャンボといえども、東京―ニューヨーク間を、ノン・ストップで運航することは困難であった。
当時、JALのニューヨーク線は、アンカレッジ経由で、ダグラスDC-10により運航されていた。
そして、この路線にB747-SPを投入し、往復ともノンストップでの運航を始めたのは、
またしても、あの「パンナム」であった。
B747-SP、(Special Performance)とは、B747の胴体を短縮して重量を減らし、さらに翼を改修することで航続距離性能を向上した短胴型の超長距離機である。
1976年4月25日、パンナムの1号機“Clipper Freedom(N531PA)”が、世界で初めて東京―ニューヨーク間のノン・ストップ便に就航した。
これにより、旅客の多くがパンナムに流れ、アンカレジ経由での運航を行っていたJALとノースウエストのライバル2社は大打撃を被った。
また、パンナムのB747-SPが、1976年5月1日から3日にかけて、ニューヨーク-ニューデリー-東京-ニューヨークの世界一周飛行を行い、46時間46秒の世界最速記録を作った。
画面は、 B747SP (N533PA) "Clipper Young America" PANAM ロゴの横には、"Flight 50: Around The World" のマークが描かれていた。羽田空港にて撮影。