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五島列島を飛ぶ (10) - 福江島

2010-08-06 | 九州

与助は、29歳の時に日本建築学会の準会員となる。
西洋建築に携わる者にとって、中央から離れた田舎に暮らすことは不利に思えた。
建築学会の機関誌を購読し、また東京で建築学会主催の講習会が開催されるときは、五島から何日もかけて上京した。誰よりも早く会場に姿を見せる彼は、受付係に顔を覚えられるほどだったという。


当初は木造建築を手掛けていた彼が、次に取り組んだのは「レンガ造り」の天主堂、野崎島・野首天主堂。その集大成ともいうべき教会が、田平教会だった。

そして「二層屋根」の上五島・青砂ヶ浦天主堂など、与助は次々と精力的に天主堂造りに取り組む。

福江島に楠原天主堂を建てたころになると、彼の名は長崎や福岡までも知られるようになっていた。
大正二年、与助は長崎へ渡り、そこに仕事の拠点を構える。

長崎で出遭ったのが、ド・ロ神父(Marc De Rotz)である。

ド・ロ神父は、1868(明治元)年、フランスよりプティジャン神父とともに来日し、印刷、医療、福祉、土木、建築など幅広い技術を、長崎・外海の人々に教え、「ド・ロさま」と呼ばれ親しまれた神父であるが、彼の建築に対する深い知識は与助に大きな影響を与えることになる。

1915(大正4)年、長崎・大浦天主堂の司祭館を建設するときは、神父が設計し、与助が図面を引き、施工した。

神父は、与助を「てつ、てつ」と呼び、亡くなる前の短い三年間、建築知識の全てを与助に託そうとしたという。




Yosuke Tetukawa received also influence from the priest missionary Marc De Rotz (1840-1914), who constructed the Shitsu church (Sotome town) and from Fr. Pierre-Thèodore Fraineau, (1847-1911), who constructed the Oura Church, now designated as a National Treasure.







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