ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

再会

2010-07-23 00:20:03 | Weblog
そういえば、春、桜のもとで見かけた「タヌキ」がいた。
今日の帰り道、19時ごろ、家のそばに。
4月に「夜桜」というタイトルのブログに書いた子だ。

まだ夕方というひかりの中で見ると、
やはり「タヌキ」ではなくて、イヌのようだった。

毛は黒。胴体はまるく、シッポもふさふさしている。
そして、鼻筋にすっと灰色のラインが入っている。
やはり首輪はつけていない。

目が合ったので、「お前さんかい!」と声をあげた。
向こうもジッと私を見ている。
持っている食べ物をあげようか、そんなことしたら近所迷惑だよな、
つれて帰れるわけではないし、うちは団地だから・・・。
なんで団地なのかなあ・・・、とグルグル考えていたら、
いかにも世田谷育ちっぽいハイソな雰囲気のイヌが散歩で近づいてきて、
おびえた「タヌキイヌ」くんは走り去っていった。

なんだよいい服なんて着ちゃってさ、と、歩いてきた良家のおイヌさまにしばし嫉妬し、
それから、タヌキイヌくん、保健所に捕まらないでくれよ、と思った。

きっと、どこかで飼われていたんだよな。
むかし人間に飼われていたことのあるイヌは、
どこか人間に救いを求めるような目をして、こちらをジッと見る。

その目は、本当にせつない。

私にとっての苦悩

2010-07-22 20:13:16 | Weblog
今日は、夕方の降水確率が30%あったので、
大事をとって梅干しを干さずに出掛けた。
結果として、雨は降らなかったけど、
日中、仕事に集中できたので、それはそれでよかったと思う。

私にとって、梅干しは「神」だ。
小学生から高校生までの約10年間、母と一緒に毎年つくった。
その後、約20年間はそんな余裕がなく、今年はじめて1人でトライしたのだけど、
明らかに20年前より、気温があがったと実感した。
梅干しが、ひからびすぎる。

次第にいろいろなことを思い出した。
梅干しを作る過程で、母からいろんなことを教わった。
漬け物のこと、気候のこと、そして、効率よく丁寧に行うコツ、そういったことを教えてもらった。
それに、毎年ちょっとずつ気候は違う。
なかなか梅雨明けしない年もあれば、暑いだけでお日様が出ない年もあった。
毎年少しずつ工夫をしながら、どんどん塩分を下げていった。
ある年は、塩分を下げすぎて、カビが生えてしまった。
カビを見つけたときの母の悲痛な叫びをいまでも覚えている。

そして、働きながらだと、私が最低限、梅干しにやりたいこともできないことがわかった。
だから、やはり仕事をしているうちは、梅干しをあきらめようと思う。
仕事中も、天気が気になってしょうがないし、二兎を追うものは一兎を得ず、だ。
母の声が聞こえてきた。

でもなんで、たった1週間ちょっとだけ、
梅雨が明けた直後の1週間だけ、
日中、梅干しと一緒にいることがゆるされないんだろう!
せめて母がまだ生きていれば、
むかしの智慧ももっと引き継げただろうし、それにいまも協力できただろう。
でも、一人暮らしだと、仕事しながらだと、やはり厳しい。

帰り道、電車の中で、涙が出てきてしまった。
自己完結できることしかやらないようにしていると、できることは減っていく。
でも、自己完結できないことは、基本的にやるべきではない。
数は力なんだなあ、と、たまに感じる。

とりあえず5日間は干しているから、
今度の土曜日、もし晴れたら干すとしよう。
そのあとは、天気を見ながら陰干しだな。
やれることだけ、やってみよう。

8月になると

2010-07-21 20:49:58 | Weblog
毎年、8月になると、先の大戦に関係する本を一冊読むことにしている。
今年は、まだ何を読むか決めていない。

今朝、通勤電車に乗りながら、ふと昔のことを思い出していた。

私は母方の祖父に会ったことがない。
母は、祖父のことがあまり好きではなかったから、
あまり祖父の話をしてくれることはなかった。

確か小学生のとき、母に祖父のことを訊ねると、こんな話をしてくれた。

祖父は、左翼の活動家だった。
だから戦争のころ、政治犯として刑務所に入っていたらしい。
戦後、出所してきた祖父は、母に、
「あんな戦争に協力するなんて、バカがすることだ。
自分は刑務所にいたから、他人を殺すこともなかったし、
殺されることもなかった。賢いだろ」というようなことを、言ったことがあるらしい。

母は、すごくそれを恥じていた。

母は終戦の1年前に生まれた。
母が幼かった頃、周囲には、戦争で傷ついた人がたくさんいた。
家族を失った人もたくさんいた。
そして母自身も、生まれてすぐに、大阪の空襲があった。
祖母は、赤ちゃんの母を抱きかかえて逃げ惑った。
そして、祖母はあとから、そんなときにそばにいてくれなかった祖父を、
戦争に行ったわけでもなく、単に思想的な理由から刑務所に入っていた祖父を、
頼りにならないと言っていたようだ。

そんな2人がうまくいくわけはない。
祖父と祖母も別れることになり、母は、すごく貧しいなかで育った。
あの時代は、誰もが貧しかったわけだけれど、
その貧しい理由について、母はずっと釈然としない想いをもっていたのではないかと思う。
それに、その後、養父に苛められたことに対するやり場のない怒りや、
祖父の再婚相手や腹違いの妹に苛められたことに対する気持ちも、
母のどうしようもない気持ちすべてが、祖父に向かってしまったのではないかと思う。

母から祖父の話を聞いたあと、
私は父に、「おじいちゃんはダメな男の人だったんでしょ」
というようなことを言った。

すると父は私をジッと見つめて、淡々とある映画の話をしてくれた。
「ゴジラ」の話だった。

後から知ったのだけど、この「ゴジラ」は、戦後、祖父が関わった映画だった。
おそらく最初の数本。白黒で特撮の時代だ。
もちろん父は、それを知っていた。
そもそも、父と母が知り合ったのは、
祖父も関わっていた映画制作会社でのことだったのだから、
父も、すごくよく祖父のことを知っていた。

でも祖父のことは言わずに、
映画が持つ力と、本当に何かを訴える力をもった映画というものは、
それに関わる個人の内面を、どれだけ掘り下げないとできあがってこないかを
父の実体験に則して、語ってくれたのだった。

私は数年前に、母の成年後見人になるために、祖父の戸籍を取り寄せた。
大阪、阿倍野にあった祖父の戸籍のコピーは、紙の周囲に焼けたあとがあった。
母については、戦争の混乱期のため、出生後すぐに届けが出せなかったと記されていた。

祖父、祖母、父、母、もう誰もいないけれど、なんだかすごく、
このことについて話がしたい。
今年は、白黒の「ゴジラ」でも見てみようかな。

土用といえば

2010-07-20 19:56:08 | Weblog
土用のころは、夕立がない。
だから、梅干しは土用干しするのだ!

天気予報を信じて、ベランダに梅干しを干して出掛けることにした。
ああ、清水の舞台から飛び降りる心境だ!!!

家にいるときは、手すりの上にザルを置くのだけど、
風が強くなっても守れないし、
なんといっても雨が降っても取り込めないので、
「天日干し」としては妥協して、
ベランダの内側、屋根のあるところに干して行くことにした。
まあ、昼間の数時間は、直接、太陽光が射すだろう。


会社に着いて、パソコンを立ち上げ、一番に行ったことは、
ガジェットで天気予報を表示すること。
ゲリラ豪雨が来るようなら、体調が悪くなったことにして、
帰ってしまおうと思っていた。

雲は多かったものの、今日はなんとか天気がもった。
でも、帰り道の電車の中で、だんだんと厚い雲が増えて来ると、
もう、本当に、心配でたまらない気持ちになった。
暑さのせいか、駅で歩いている人たちが、みんなゆっくり歩いている。
もどかしい!!!

こんな気持ちになるくらいなら、
もう外出する日は、梅干しを干すのはやめよう、と思い、
猛烈な勢いで歩いて、家について梅干しを見ると、
「ん? わたしたちは大丈夫よ。今日もいい気分だったわ」と言っていた(ように思えた)。

この顔を見ると、明日も干して行こうかな~、という気持ちになるから不思議だ。

今日は、カール・シュミット1963年に発表した
『パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見』を読み終わった。

いまから50年も前の文章だから、
もちろん本人が生きていたら、修正するであろうことや、再解釈される部分もあるけれど、
中国共産党のチベット侵略を考える上で、観点を整理させてくれるものがある。

うまく言えないけれど、
むかし、主に日本軍と戦ったのは、中国共産党の兵士ではなく、国民党の兵士であったとしても、
自らの土地を侵略者から守るという意味では、十分に中国共産党もパルチザンであった。
その後、階級の敵というものを見つけ、
絶対的な敵から自らの土地と生活を守ると言う意味で自国民に牙を剥いたが、
それもパルチザンの延長線上として、戦争の理論を「発展」させてくるものだった。
そしていま、またその延長として、チベットが自分たちの国土であると主張するからこそ、
解放戦争であるといい、絶対的な敵が捏造できる。
ダライ・ラマは、絶対的な敵でなければならないのだ。

でも、人民解放軍に反抗しているチベット人こそ、
自らの土地を守ると言う意味で、非常に古典的で、
誰もが納得できるパルチザンでありうる。
しかも、土地を守るとはいえ、これまでのパルチザンとは違い、非暴力を根底にもっている。
これは、パルチザンの立ち位置をシフトするものだ。

共産党によって、国家ではなく党にとっての敵を排除する、というパルチザンが生まれ、
それがいま、チベットを侵略している。
これは、なんというか、戦争史を考える意味で、すごくすごく重要なことなのではないだろうか。

気持ちのいい休日

2010-07-19 17:38:34 | Weblog
我が家のゴーヤちゃんの背丈が、ついに私(165センチ)を越えた。
とてもすくすくと成長している。
ただ、本当に花が咲いて実がなるのか、少し不安。

小さいころの夢は、
一軒家に住み、庭には梅の木があって、その実で梅干しを作り、
家庭菜園で、自分が食べる分の野菜を作ることだった。

その後、少し社会的になって、
夢は、中国琵琶の演奏者になることにうつりかわった。

どちらも結局、実現していない。

相変わらず、団地住まいだし、たぶん家庭菜園ができるような一軒家に
引っ越せるようにはならないから。
電気、ガス、水道、着るものや、食べるものでも何にでも、
現金はやっぱり必要だから、
いろいろとちょうどいいぐあいのところに生活を落ち着けるのは、とても難しい。

そしてふと、
正規雇用を求めていて、社会的な要因から実現できない若い人はたくさんいるのに、
どうして日本では集団で政府と対峙して訴える、ということがないのかなあ、と思った。

ニートになれる条件は、親は親で生活をできていること、だと思う。
子どもが親の生活まで面倒見なければならない場合、ニートにはなれない。

これまでの日本を全体的に見た場合は、親がお金をもっていたけど、
これからは、親もお金をもっていない時代がくる。
そんなときに非正規雇用の割合が今よりもあがっていたら、
いったいどんなふうになっていくのかなあ、と思った。

そして非正規雇用である私にとって、今一番の心配事は、
明日仕事へ行く時、ベランダに梅干しを干して出掛けても大丈夫かどうか、ということ。
予報では、夕立はなさそうだけど、心配だ。
やっぱり次は、もうちょっと時給が悪くてもいいから、
家のすぐそばで仕事を探そうかな。
というか、やっぱり家で仕事ができたら一番いいんだよな。

それにしても、なんて気持ちのいい休日なんだ。

梅干し干し 2日目

2010-07-18 15:39:09 | Weblog
今日の午前中、少し散歩をした。
暑かった。

でも、水辺に咲く花たちは嬉しそうだった。


森の中で、なんだかグッと来る石を見つけた。


石が積まれているだけで、なんだかわくわくするのは、
城壁好きなポイントと重なっているのだろう。
ピラミッド、アンコールワット、マチュピチュ、アユタヤ・・・、
好きなところを挙げていくと、たいてい石がある。

そして、2日目、取り込む直前の梅干しさんたち。
すっかり水分が飛んでいる。


本当にいい匂いがしている。
梅干しを天日干ししているときの匂いは、
もしかしたら、何よりも一番好きな匂いかもしれない。


この後、壺に戻して、明日晴れていたら、また干そう。
だんだん日焼けするだろう。

ゴーヤさんたちは、張ったネットが気に入ったらしく、
もうすっかり巻き付いている。
だんだん夏らしくなってきた。

梅干しを干した

2010-07-17 11:18:16 | Weblog
太陽が射し込む時間になったら、いい匂いがしてきた。

今日から、梅干しを干している。


少し湯気が出て、そのあと、梅干しの表面に塩が浮かぶ。
汗をかくんだ。


太陽が雲からあらわれると、梅干しの匂いも強くなる。
何度も何度もベランダに足を運んで見つめてしまう。

なんてかわいいんだ!
ゲリラ豪雨から、守ってあげるからね。

友人から、ゴーヤちゃんは元気ですか?と聞かれたので、
今日は久しぶりにゴーヤの写真も撮った。
朝、まだ太陽が射し込む前の時間。
まだゴーヤちゃんもお目覚め前。


そして、この写真の後、ベランダの物干からゴーヤ用の網を張ってみた。
頑張ってカーテンになっておくれ。

ゴーヤの葉っぱも、やはりゴーヤの匂いがする。

見栄はどこにある

2010-07-15 19:54:58 | Weblog
今日の帰り道、「見栄ってなんだろうなあ」と、考えた。
山手線を新宿駅で降りると、目の前に中国人の女性2人連れがいた。

なぜ中国人だとわかったかというと、
1 女同士で手をつないで、びったり寄り添って歩いていた。
2 部屋着のような、すごくラフで透け透けな服装だった。
3 にょっきり出ている足がまっすぐで、すごく美しかった。
この3要素がそろえば、ほぼ100%中国人だろう。

中国人は、すごく面子を重視する人たちなのに、
きっといまの時期、北京へ行くと、
胸までTシャツをたくしあげたおじさんが、
ぽっこりお腹を露出しながら、往来を闊歩している。
そこには、面子を感じないんだ、といつも思っていた。

いま読んでいる『なぜダライ・ラマは重要なのか』という本で、
著者のロバート・サーマンは、
もし中国の胡錦濤がチベットの自決と真の意味での自治を実現するべく努力し、
ダライ・ラマとも友人として接するならば、
毛沢東、鄧小平などよりももっと評価され、歴史に名を残し、
ノーベル平和賞ももらえるだろうに、というようなことを言っている。

チベットへの侵略路線の転換は、
世界的にも面子が立つし、これからの中国の発展のためにもなるのに、と。

当然のことながら、見栄や面子は、他者があってこそ成立する。
そこに他者の目があるからこそ、自分を飾りたくなる。
だから、他者の視線がないと思っているところには、見栄もはらない。面子もない。

大勢がぶつかりながら歩くような新宿駅でも、
そこに他者の視線を見つけなければ、どんな格好でも歩ける。
そして、見栄をはりたい相手が価値を見いださないところでは、
どんなに魅力的な報償でも、まったく意味がなくなる。

主観はせまい、そう思った。

だから、もしかしたら、今日新宿駅で見かけた2人連れの女性は、
本当は中国人でないかもしれない。
これも、私の主観が生み出した、カテゴライズだから。

もやもやする言動

2010-07-14 20:00:31 | Weblog
今朝、JRで、駆け込み乗車に間に合わなかった女性が、
一生懸命に、閉まった電車のドアを外側から叩いていた。
その直後、向かいのホームに来た電車には、
閉まりかけのドアを腕でこじ開けて乗り込んだ男性がいた。

電車は公共の乗り物です!
なんて偉そうなことを言う前に、あなたの身体が危ないからやめてください、と思う。
それに、もしこれで転んで怪我でもされたら、
電車の運転手も車掌さんも、そしてそれに遭遇してしまった私も気分が悪い。
電車は、つき合い方を誤ると怪我をする鉄のかたまり。
決して駆け込んだ私を抱きとめてくれるお母さんではない。

帰り道、家の近くの曲がり角で、
小さい子どもを連れたお母さんたちが立ち話をしていた。
お母さんの話がなかなか終わらないので飽きてしまったらしい子どもたちが、
曲がり角に建っているお宅の門に登り始めた。

お母さんは、「ほら、降りて。お家の人に怒られちゃうよ」と注意した。

これは叱ったことにはならないし、
怒られちゃうからやってはいけないことなのではない。決して。
でも、よく「怒られちゃうからやめて」というお母さんの注意の言葉を聞く。

これは、お母さんがなめられているからだと思う。
母親の言葉として叱っても、子どもが言うことがきかないからなのだろう。
自分の親より、他人のほうがこわいなんて、なんだか変だと思う。
普通は、他人からは嫌われてもいいけど、
自分の親に見放されたら自分は生きていけないと、思うものなのではないだろうか。

と、今日は非常に周囲の知らない人の言動が、
しごく、もやもやと気になる一日だった。

昼休みに、『現代中央アジア―イスラム、ナショナリズム、石油資源』を読み終わった。
ソビエトの爪痕は深い。
民族、言語、文字、歴史、宗教、そして重要な輸出品目である天然資源。
狭量な地域覇権の争いではなくて、民族が交流した歴史をもつ中央アジアならではの、
平和で、個人が尊重される未来がひらければいいと思う。

夏の準備

2010-07-13 20:52:16 | Weblog
残念ながら、昨日の続きの夢を見ることはなかった。

さて、働きはじめたので、物理的には引きこもりから脱し、
適度に歩くようになったので、血行もよくなったし、汗もかけるようになってきた。
夏の入り方としてはすごくいい感じだから、
なんとなく今年は夏バテをしないような気がする。

30歳を過ぎてから、汗をかくことに慣れるまで、
むかしよりも時間がかかるようになった。
だから、この時期あまり疲れすぎないこと、つまり仕事で疲れすぎないことが、
とても重要だと思っている。

なぜなら、仕事が忙しいと、
冷房が効いた部屋に長時間とどまるようになるし、
体温が自然な水準に戻るまえに、寝ることになってしまう。
熱帯夜になる前のいまの時期、
冷房が入っていない部屋で十分な睡眠時間をとることは、
暑さに慣れる重要なステップなので、
出張でホテル宿泊が続くと、ますますペースがくずれてしまう。

それに、本当に疲れていると、環境に順応するパワーすら出なくなるんだ。
だから、いますごく体調がよくて気分がいい。

そして、精神的には、しっかり引きこもりが持続している。
昼休みは、1人で読書をしながら過ごしている。
弧食は、それはそれで身体によくなさそうだけど、
働くようになって生活に規則正しいリズムができ、
読書に集中できる時間が、通勤電車のなか、昼休みと増えたのは、
とてもとても嬉しいことだ。

少し経ったら、シモーヌ・ヴェイユの労働についての本を読んでみよう。
私の仕事観の変化に、彼女の言葉はどのように響くのか、
本当に楽しみだ。

今日は、昼休みに『法華経を読む』(鎌田茂雄著、講談社学術文庫)を読み終わった。
妬んだり怒ったりしないで、暮らして行きたいと思う。
まったくのストレスがない生活でも、それはそれで仮想敵を作ってしまう。
私の心は、本当によわい。