ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

最近の編み物

2010-07-25 21:52:51 | Weblog
円形としては、いままでで一番大きい編み物。
足下に敷く。


ちょっと曼荼羅っぽいと、自分では思っている。

適当に編んで、少し戻って、また編んでを繰り返した。
2日間で編み上がった。

最近は、会社で使うコースターとか、
夜、寝るとき用のお腹掛けとか、気が向くままに編んでいた。

もう少ししたら秋冬用の毛糸が出てくるので、
そしたら、玄関マットを作る予定。

ミシンが使えると、もう少しバリエーションが増えるんだけど、
ミシンの音が苦手なので、どうしても踏み出せない。
最近は音が小さくなったようだから、少しさがしてみるかなあ。コンパクトなやつ。

将来を想う

2010-07-25 16:06:34 | Weblog
今日は、昼過ぎから雨だと思っていたので、
押し入れの整理よりも、トライアルで届いていたリライトをする日にあてていた。

晴れたおかげで、梅干しを干すことができて、
合計7日間、天日にあてることができた。
が、先週、強引に朝から夕方まで干してしまった日が2日あったので、
すでに乾燥しすぎて、塩害気味。
陰干しをはじめるまえに、少し休ませた方がいいかな。
来年は、梅干しを作らないと思うけど、今年の失敗は、よく覚えておこう。

自然が関係する仕事の場合、今年の失敗をいかせるのは、来年になる。
でも、来年は、今年とまったく同じ気候条件ではない。
少しずつ変化する条件を、確実に見分け、最良の方法を選択できるようになるには、
長い年月、分析力、工夫・発想力、そして「会話力」が必要になる。
彼らが言葉を発しないからこそ、多くの想像力が必要になる。

日本は自然がゆたかな国で、だからこそ、
この微妙な日本語の言いまわしが育まれてきた、とは、
むかしから聞いてきたけれど、
その真の意味を、いまほど実感を伴って受け止めたことは、かつてなかった。

いま、ベランダのプランターで、
ゴーヤ、茶豆、トウガラシ、プチトマト、青じそを育てているけど、
みんなお水がなくなってギブアップしそうになるタイミングは違うし、
それぞれ、居心地のよさを訴えるポイントが違う。

当然のことなんだけど、
いろいろな作物が育つ、ゆたかな環境にあるからこそ、
それぞれとの会話も成り立って来る。
これが、ものすごい寒冷地であれば、
そこで生き残ることができる植物は、おのずと限られてしまうだろう。

いま、すごく長生きがしたいと思う。
あと何年、こうやって植物を育てることができるだろう。
そしていつか、大地に家庭菜園をつくることができる日は来るだろうか。
そんな日が来ると信じたいし、その日が来た時、
あまりにも歳をとっていて、体力が追いつかない、なんてことにならないことを祈る。

今日やったトライアルのリライトは、
ふだん私が接しないジャンルの日本語だった。
中国語から、おそらく翻訳ソフトで機械的に日本語にしたものを、
日本語上でリライトする、というもの。

日本語を読みながら、もとの中国語を想像し、
日本語として読みやすいようにリライトしていく、という作業は、
とても効率が悪く思えた。
いっそのこと中国語から、直接日本語に訳したい。
でも、トライアルなので、文句を言ってもしょうがないし、
うまくリライトできないのは、私の日本語力の問題であるから、それもしょうがない。

消費される言語に煮詰まると、
暑い中ベランダに出て、プランターの植物たちをながめた。
トライアルの結果、採用されなかったとしても、これでいい、と思えた。