ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

プロボノ

2010-07-02 00:57:47 | Weblog
テレビで「プロボノ」というものを知った。

ウィキによると、
「弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、
ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動をいう。
弁護士による無料法律相談、無料弁護活動などがある。
プロボノ(pro bono publico)はラテン語で「公共善のために」を意味する。
(中略)
現在では転じて、法律分野に限らず各分野の専門家が、
職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献する
ボランティア活動全般を指すことがある。」

テレビで取り上げられていたのは、主に後者の活動だった。
予算や人手が限られたNPO法人を
いろいろなプロたちが、会社の垣根をこえてチームを組み、
無償で手助けするというものだった。
一流企業で積極的に参加しているところも出てきているらしい。

見ていて、なんとなく違和感があったので、それをずっと考えていた。

もちろん、資金難のNPOにとって、一流の人たちに手助けしてもらえるのは、
とてもメリットがあることだろう。
そして、「自分の仕事が何の役に立っているかわからない」
「仕事でありがとうと言われたことがない」というような人が、
プロボノを通して、自分という存在を取り戻していくのは、
いまの社会で求められていることだと思うし、
それで活き活きとした社員が、企業に還元してくれる労働力や、
外で肩書きを述べることによる宣伝効果も、期待できるのだろう。

でも、なんとなく、テレビ番組だけを見た感想だと、
エリートの自己満足や自浄作用の域をこえていないと思えた。
実際に活動している人たちは、もっと多彩なんだろうとは思う。
でも、ある労働力を一時的に無償で提供するだけでは、
そこに「長期的な構築」や「循環」がうまれるのか、すごく気になる内容だった。

サービスは、継続し発展させていくことが必要になる。
なにかサービスなり仕組みをつくって「はい、あげるよ」では、
政治が中央の論理で不要な高速道路をつくったり、
国際協力の名のもとに外国にばらまき型の支援をしてきたのと、
ほとんど変わらないような気がする。

だから、本当に求められているのは、
お願いした側をも含む「何かを一緒にやった」というチームとしての達成感や、
ノウハウの循環なのではないだろうか。

あることを思い出した。
少し前に、ある人たちがこんなことを言っていた。
「あの人たちは、どうしてあんなに上から目線なんですか。
仕事に関わる人全員がチームじゃないんですか。
私たちのことは、名誉かお金をもってくる道具としか思っていない。
そんなんで、本当に人から喜ばれるような何かが
実現できると思ってるんですか」と。

エリートではなくても、いま何らかの仕事に携わっている人、
特に若い人は、同じような気持ちをつねに持っていると思う。

ベーシックインカムやプロボノ、横文字の概念に接すると、
まず私は胡散臭く思ってしまうのだけど、
社会は動いているのだとつくづく感じる。
そしてその影響は、程度の差こそあれ必ずどこかで引き受けている。