ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

夢 その1

2010-07-12 20:18:00 | Weblog
今日は風が強かったので、鉢植えが倒れていないかずっと心配だった。
植物って、その場から逃げられないから、
自然のいろいろなことに、ちゃんと順応しているんだな。

さて、昨晩は、非常にいい夢の最初の部分を見た。
おそらく今後、断続的に続いていくだろうと思う。

夢でチベットに行った。
ポタラ宮の中を登っていたんだけど、高山病で息がくるしい。視野がせまい。
足下ばかりを見ながら、必死に歩いていたんだけど、
行き当たりらしい部屋でふと目を上げたら、とても美しい仏画が掛かっていた。

思わずその前で手を合わせ、「南無妙法蓮華経」とつぶやいた。

その部屋には、数人の人がいた。みんなチベットの僧侶だった。
名前を聞かれたので答えると、名簿のようなものを見て、
「あなたの終着点はここではない。コルラに行きなさい」と言う。

地図を見せてもらうと、すごく遠い。ずっと東のほうだった。
私が「ここに行くまでは盗賊も多いし、治安も悪い。
なんといってもいまは中国の領土だから人民解放軍もいる。
たどり着けるだろうか」と言うと、
僧侶が「なぜか中国政府が、あなたの通行証を発行したのです。
こんなチャンスはもうありません。
ただ、どうやって行けばいいのかは、自分たちにもわからないのです」と言った。

途方に暮れていたら、ある僧侶に、
「さっきの仏画の前まで戻りなさい。きっと展望がひらけるでしょう。
右足の下をくぐって行くことです」と言われた。

仏画の前に戻ると、仏画が消え、ダライ・ラマ法王になっていた。
いつものように、にこやかに笑っていらっしゃる。
私が「あなたの右足の下をくぐって行くようにと言われたのですが、
よろしいでしょうか」と聞くと、
ダライ・ラマ法王は、一瞬私をじっとご覧になって、手招きをしてくれた。
そして、「普通に歩いて通れるけれど、せっかくだから右足の下を通って行きなさい」
と、足を軽くあげてくださった。そして大笑いしている。

そのそばを、頭を下げながら通過して、いつの間にか開いた後ろの間に進んだ。
そこには、若く、眼力のある1人の僧侶が坐っていた。
そして、地図を指しながら、私の進むルートを示してくれた。
「まず山をおりる。そして、バスターミナルの5番乗り場で舟に乗りたいと言い、
すぐそばの船着き場から、川をくだれ」と。

言われたように行くと、トラブルなく、コルラに到着できた。
そこで、夢の区切りがついた。

途中から、友人が私を起こそうとしていた。
でも、決してコルラに着くまでは起きてはいけないと思った。

コルラは、中国のウイグル自治区に実際にある地名だ。
意識のどこかにひっかかっていたのだろうけど、実際の地名とは、
あまり関係がないと思う。
夢の中で出てきたコルラの位置は、どちらかというと、四川省の西のすみっこあたりだった。

この続きの夢を見ることを、楽しみにしている。
だから、タイトルは「夢 その1」とした。

普通の会社

2010-07-10 00:27:37 | Weblog
今日は、ゲラの文字校正をして、
なんだか仕事のペースがつかめたような気がした。

新しい職場で新鮮だと思うこと「10」。

1 自席の机に引出しがある。
2 昼休みは、ちゃんと一時間ある。
3 男子トイレと女子トイレがわかれている。
4 私物をトイレの棚に置いておくことができる。
5 自分の席にすわったままで、電話で話せる。
6 残業をしたら、労基法に則った残業代がつく。
7 会社が明文化された規則で動いているっぽい。
8 予算の概念があるっぽい。
9 定時でさっさと帰っていく社員さんが結構いる。
10 社員さんの私語のネタが、子どもの成長であることが多い。

普通の会社だ~! と、感動している。
この10項目を見た友人が、となりで「あれ、どれも普通だ」と言っている。

いろんな経験をしておくべきだよな。
まだまだ楽しめそうだ。

初日

2010-07-08 20:17:39 | Weblog
初日が無事に終了した。

派遣でのお仕事1日目。
1日目だから、ほとんど仕事らしい仕事はない。
ただでさえ人の名前を覚えるのが苦手だったのに、
年齢のせいか、ますます覚えられなくなっている。
なんとか自分のシマの人は覚えた。5名くらい。
まあ、じきに覚えるでしょう。

それにしても、帰宅してこんなにパワーが残っているなんて。
というか、帰宅して仕事をしなくていいなんて!

会社の雰囲気もゆったりしていたし、社員さんもいい意味で余裕があった。
このぶんなら、もう何もできなくなるほど、すり切れることはなさそうだ。
少し慣れたら、また本を読んだり、文章を書いたり、
いろいろと自分の時間をもつようにしよう。

本当に、どんな会社とめぐり会うかは、運にもよる。
社員の人たちも、すごく定着率がいいようだったし、
福利厚生もしっかりしているようだった。
人が集まって仕事をする以上、構造は非常に大切になる。
仕事が楽しいかどうかは、個人の尺度によるから何とも言えないけど、
ひとまずいい会社にめぐり会ったと思う。

今朝、久しぶりに通勤電車に乗り、
このうちの4分の1くらいの人が、非正規雇用なんだと思った。
私はこれまで、年収300万円以下の生活なんて、可能性すら想像できなかった。

でも今日、派遣になって、すごく世の中が違って見えた。
電車を乗り降りする1人ひとりに、ものすごく人間としての生活を感じた。
なんだか、とてもいい経験をさせてもらってると思った。

明るいうちに家について、ベランダのゴーヤちゃんたちを見た。
さて、これから編み物をしよう。

壁の涙

2010-07-07 15:37:09 | Weblog
我が家のゴーヤちゃん、ツタが出てきた。
どんどん育っている。


大学時代の恩師に、仕事が見つかったと電話したら、
すごく喜んでくれた上に、アドバイスをくれた。

「仕事の面では、まったく心配していないですよ。
ただ、すごく心配なのは人間関係ね。
中国人の場合、女性でも正々堂々とケンカをするでしょう。
でも、日本人の女性はカゲでいろいろするから、
少し距離をおくようにしなさい。
そして、その場で解決しようとするのではなくて、
まず家族や友人、私でもいいから相談にいらっしゃい。」

ありがたい忠告だ。
そして、どこまで私の性格を見抜いているのだろうかと思う。

別に女性に限らず、日本人の場合は、カゲでコソコソすることが多いし、
たぶん一番大好きなのは、誰かを仲間はずれにすることだ。
かといって中国人のケンカは、あまりにパワー炸裂なので、
気配だけで、私はうんざりしてしまう。
ただ、中国の人が日本でずっと働いてきて、
ものすごく苦労したことだけはよくわかる。
心からの忠告に、本当に感謝だ。

そういえば、この先生に、大学4年生の時、
警察か入管の仕事に就いてはどうかと言われたことがある。
特に入管では、難民に対する人権が守られていなくて、
そして、難民対応では、すごく日本は遅れているから、
ちゃんと言葉を話せる人が関わっていくべきだと思う、と言われた。

少し考えた。
でも、すごくストレスをため込みそうだから、その道には進まなかった。

昨日、『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』という本を読んだ。
Twitterで知った本だ。

多くの外国人が不法滞在して、仕事をしたり、ときに犯罪に手をそめている。
でも、一方で、母国の政治的な理由で亡命を希望している人や、その子どもたちもいる。
母国の事情から、やむなくビザが切れても日本に留まり、それでも真面目に、
日本人がやりたがらないような仕事を黙々と担ってくれている人たちもいる。
特にアジア、中近東、アフリカの人たちに対する理解は、まだまだ低く、
一律に「犯罪者」のように扱う風潮や習慣が残っている。

収容所に入ってからの環境は劣悪だ。
医者にもろくにかかれず、ストレスをためこむような生活が続く。
これは、日本のなかにある現実なので、見つめなければならないし、
なるべく透明性をもたせて、改善していくべきことだ。
なんといっても、そこで働く人も、収容される人も、みんな人間なのだから。

最近、区役所やハローワークに行くと、窓口の方の対応がとても丁寧で、
すごく嬉しくなることがある。
ところが、霞ヶ関の司法関係の役所に行くと、
ものすごく横柄で、作業が遅い人ばかりが目につく。
窓口で人の目にふれるところであるにもかかわらず、本当に勤務態度が悪い人がいて、
変わりつつある地方公務員との違いが目立つ。
この差はいったい何なんだろう。

今日、ハローワークへ行った。
渋谷の窓口は、行くたびに応対が丁寧になっている。

夏の気配のなか読書

2010-07-06 18:21:08 | Weblog
思う存分引きこもっている。
そろそろ食糧が尽きてきたので、買い出しに出なければならないと思ったところ、
ハローワークに行かなければならないことに気がついた。
明日は、ハローワークに行って、明後日から使う定期券を買って、お米を買おう。

結局、失業給付を受けなかった。
まともに手続きすらしなかったんだけど、ちゃんと失業者にカウントされていたのだろうか。
どうやら、前の会社に入社したときに、いろいろとわからなくなり、
退職したときに気づいたのだけど、そのままズルズルと放置してしまった。
国籍が残ればまあいいか、くらいな気分だった。

次が決まってから、急いで動く。
夏休みの宿題は、最終日にまとめてやっつける人間だったところが、
まだまだなおっていないということだな。

おかげでこの2日間は、存分に読書ができた。
『カラー版 遺跡が語るアジア』大村次郷著、中公新書。
『シャドウ』通尾秀介著、東京創元社。

『カラー版 遺跡が語るアジア』は、この人でなければ書けない文章と写真で綴られていた。
先日読んだ『ダライ・ラマとの対話』でスチール写真を撮影された大村さんに興味をもち、
はじめて手にとったのだけど、その着眼点と感性、
またそれを写真と文章で再現する表現力に敬服した。

読んでいるうちに、世界には、まだまだ行ってみたい遺跡がたくさんあること、
そこで触れることのできるなにかへの期待が、どんどん膨らんできた。

著者の大村氏は、NHKの「シルクロード」「大黄河」など、
私が小さい頃に影響を受けた番組のスチール写真を担当されたご経歴をもつすごい人だ。
でも、感性だけが優れいてるわけではなくて、
その遺跡がもつ歴史的、文化的背景や、いまそこに暮らす人の息吹など、
すべてをダイレクトに受け止め、写真という媒体で閉じ込める熱意がすごい。

こういう方の写真や文章に触れると、私も男性に生まれたかったと思う。
男性に生まれたからといって、こんな人生を切り開くのは難しいのだけど、
とにかく羨ましくなってくる。

私も行ったことがあるアンコール・ワットやサマルカンド。
でも、単なる観光の範囲を越えて踏み込むには、
1994年当時のアンコール・ワットは状況が厳しかった。
やはりいつか、タ・プロムに行きたい。
サマルカンドはアフラシャブの丘に草が生えていない時期にもう一度行きたい。
モヘンジョ・ダロにも行ってみたい。
久しぶりに、欲望がわいてきた。

『シャドウ』は、Twitterである人のつぶやきにより、読んでみる気になった本だ。
第7回本格ミステリ大賞受賞作。

本格、と言っても、いまはトリック主体ではないのだな。
密室や殺人がメインでもないし、だんだん「ミステリ」というジャンルがわからなくなる。

でも、読み物としては、とても面白かった。
小学校5年生にしては、ませた子どもというか、よくできた子どもだな、とか、
気になることはあったのだけど、
登場人物それぞれの立場というか視点で進む文章を、つないで進行していく方法は、
スムーズだし、違和感がなくて、読みながら勢いがついた。

たまにミステリを読むと、なんとなく他人が近くなったような気がする。
ミステリだからこそ語れる喪失感や違和感、怒りや救い、喜びがある。
でも、これは誰の日常にも、その根底にあるもので、
ふだん他人との差異ばかりを気にして、自分の立場をかためようと躍起になっていると
いつのまにか見えなくなっているもの。
そこに立ち返らせてくれる。

さて、もう少し読書を続けよう。
夏の気配のなか読書をしていると、ああ日本だなあ、と思えて来る。
なぜだろう。

眠れない理由

2010-07-06 03:28:27 | Weblog
年齢を重ね、自分の性格について、少しずつ気がついてきたことがある。
ひとつめは、乙女心に疎いということ。
ふたつめは、本当に怒りたいことには気がつかないフリをしているということ。

ひとつめは、最近テレビに韓流スターがよく出ていて、
それを見ながらどこがツボなのかを考えているうちに、
乙女心というものがあることに、うっすらと気がついた。
あくまでも、うっすらと。
ただ、これは他の人が代弁してくれるから、任せることにした。
深追いはしない。というか、無理だ。

ふたつめは、実は今日、眠れない理由になっている。
日々、いろいろなことで、小噴火をしているけれど、
本当に怒りたいことは、意外と心の中で隠蔽しているらしい。
ある日、それに区切りがついて、さて再出発だ!という段階になると、
一気に、怒りたかったことが心の中に満ちてきて、
その怒りに自覚し、
いっそのこと本気で大噴火して、その相手にぶつけたくなる。
メタメタにしてやりたくなる。

まあ、それも数時間のことで、「せんないこと」と流れていくんだけど。

いま、その数時間が終息に向かっているところだ。
前回これくらい怒ったのは、3年くらい前で、
父の彼女の言動に対してだった。
大事な人が急に亡くなったから、彼女も混乱してるんだよ、と
一生懸命に自分をなだめたけど、
あるすごく小さなことにずっと引っかかっていたと、少し経ってから気がついた。

今回の怒りの所在も、そろそろ心の中で実体を持ち始めたので、
おさまるのだろうと思う。

さて、この先、その人と新たに関係を築いていくことができるかどうかなんだけど、
相手が望まないことは、私も望まない。
そして、相手が望むことも私は望まないので、
まあ、単純に、無理なんだよな、と割り切れた。

ということで、寝るとする。

鍵の付け替え

2010-07-05 13:47:36 | Weblog
家のドアの鍵を付け替えた。
お願いした鍵よりも、1つグレードが上の鍵にしてくれた。
すごくラッキーだった。
メーカーでしか合鍵が作れないような鍵なんて、なんだかすごい。

この家は、両親が買って、後半私がローンを返した家だけど、
鍵を付け替えただけで、ぐんと、自分の家なんだ、という気持ちが増した。
家具も食器も、ほとんどが30年くらい前に両親が買ったものの中で暮らしているので、
ふだんはいまひとつ「自分のもの」という感覚が薄い。
この家は、私が生きていることと同じような意味で「与えられた」ものたちの集合体で、
ありがたくもあれば、もっと自分の好きにしたい、
でも壊れたわけではないからもったいない、という気持ちが交錯する場所だ。

鍵にちょうど合うキーホルダーがなかったので、
約20年ぶりに、ミサンガを作ってみた。
最近ハマっている編み物で残った糸を使った。
そうしたら、約10年前に行ったネパールのポカラにあるチベット人が住む村で、
お土産を買ったらつけてくれたミサンガを思い出した。
いま、自転車の鍵につけて、たまに使っている。
とても丁寧に、しっかりと編まれていて、
色はあせてしまったけれど、手触りもよければ、安心感もあるミサンガだ。
あのレベルには、到底及ばない。

なんとなく、ブッダの絵の前に置いて、写真が撮りたくなった。


この家でよい生活が広がっていくように。

ダライ・ラマとの対話

2010-07-03 18:52:37 | Weblog
上田紀行著、講談社文庫

ダライ・ラマ法王のお話にふれるたびに、
このかたは、衆生を導くためにとどまっていらっしゃる観音菩薩なんだなあと思う。
別に神秘的なありがたい神のような存在という意味ではなくて、
人間はここまで成長することができる、という究極の可能性にふれている感じ。
だから、宗教に対して懐疑的な人こそ、法王の偉大さに圧倒されるだろうと思う。

法王は対談のなかで、「搾取」という言葉を使われている。
自分の生命をつなぐために、いろいろな食べ物を口にする。
それも搾取であれば、他人に尽くしてもらうことも搾取のひとつだ。

少し前に、ある演出家の秘書をやっていた人と話したとき、
こんなことを言っていた。
「夜中でも平気で仕事の電話をしてくる人だったんだけどね、
ある日、自分のために尽くすことがあなたにとっての幸せなんだから、
と平然と言われて、本当に頭にきた」と。

実は、同じような話をよく聞く。
会社の上司から部下に対する態度だけではなくて、
家庭では、母親に対して似たような感情をもっている子どもも多いのではないだろうか。
誰かのために喜んで労働力を提供する。愛情をそそぐ。
これは、人にとっての幸せだけれども、
それを当たり前のように要求されると、
誰だって「なんだろう、この違和感は」と思うだろう。

もし私が母に、「お母さんは、私のために尽くしたいんでしょ」と言ったら、
実際はたとえそうであったとしても、ひっぱたかれた。
そう口に出して言ってしまう人格に対し、母は怒った。

誰かが誰かのためにがんばること。
それを搾取にするか、協調にするかは、主に労働力を提供される側の人格による。
そして、提供する側よりも、提供される側の方が、より多くの努力を必要とする。
なぜなら、そこには「差別」という甘美な罠があり、
誰かよりも優れていると思い込むことは、人にとってとても大きな誘惑だから。

でも、ひとたびその誘惑に負けると、実はすべてを失ってしまうのだ。
それまで尊敬されていた仕事に対するクオリティやその人柄についても、すべての評価を失う。
しかも、自分が馬鹿にした人から、逆に馬鹿にされる、というオチまでついてくる。

誰かから尊敬を得たい、と思うときには、本当に自分の心をよく律しなければならない。
そして、心をよく律することができる人は、その段階で、
「尊敬を得たい」という自己欺瞞の範疇をこえている。
だから本当の尊敬を得る。

法王には、いつまでもずっと元気でいてほしい。

昨日は、この本を読んでから面接に行ったおかげだろうか。
すごく緊張したのだけれど、頭のなかには非常にクールな一面が残っていた。
ふだん仕事で自分自身を売り込むことはないから、最初は緊張していたのだけど、
話しているうちに、相手がほしい情報を的確に出せばいいんだ、と思えてきて、
それからは、すごく落ち着いた。
そう、自分を売り込むとはいえ、自分本位に自分を表現するのではなくて、
相手が必要としていることについて応えていけばいい。
面接だろうが、いつもの仕事のスタンスと何ら変わることはなかった。

おかげでいい結果が出た。来週から働き始める。

プロボノ

2010-07-02 00:57:47 | Weblog
テレビで「プロボノ」というものを知った。

ウィキによると、
「弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、
ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動をいう。
弁護士による無料法律相談、無料弁護活動などがある。
プロボノ(pro bono publico)はラテン語で「公共善のために」を意味する。
(中略)
現在では転じて、法律分野に限らず各分野の専門家が、
職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献する
ボランティア活動全般を指すことがある。」

テレビで取り上げられていたのは、主に後者の活動だった。
予算や人手が限られたNPO法人を
いろいろなプロたちが、会社の垣根をこえてチームを組み、
無償で手助けするというものだった。
一流企業で積極的に参加しているところも出てきているらしい。

見ていて、なんとなく違和感があったので、それをずっと考えていた。

もちろん、資金難のNPOにとって、一流の人たちに手助けしてもらえるのは、
とてもメリットがあることだろう。
そして、「自分の仕事が何の役に立っているかわからない」
「仕事でありがとうと言われたことがない」というような人が、
プロボノを通して、自分という存在を取り戻していくのは、
いまの社会で求められていることだと思うし、
それで活き活きとした社員が、企業に還元してくれる労働力や、
外で肩書きを述べることによる宣伝効果も、期待できるのだろう。

でも、なんとなく、テレビ番組だけを見た感想だと、
エリートの自己満足や自浄作用の域をこえていないと思えた。
実際に活動している人たちは、もっと多彩なんだろうとは思う。
でも、ある労働力を一時的に無償で提供するだけでは、
そこに「長期的な構築」や「循環」がうまれるのか、すごく気になる内容だった。

サービスは、継続し発展させていくことが必要になる。
なにかサービスなり仕組みをつくって「はい、あげるよ」では、
政治が中央の論理で不要な高速道路をつくったり、
国際協力の名のもとに外国にばらまき型の支援をしてきたのと、
ほとんど変わらないような気がする。

だから、本当に求められているのは、
お願いした側をも含む「何かを一緒にやった」というチームとしての達成感や、
ノウハウの循環なのではないだろうか。

あることを思い出した。
少し前に、ある人たちがこんなことを言っていた。
「あの人たちは、どうしてあんなに上から目線なんですか。
仕事に関わる人全員がチームじゃないんですか。
私たちのことは、名誉かお金をもってくる道具としか思っていない。
そんなんで、本当に人から喜ばれるような何かが
実現できると思ってるんですか」と。

エリートではなくても、いま何らかの仕事に携わっている人、
特に若い人は、同じような気持ちをつねに持っていると思う。

ベーシックインカムやプロボノ、横文字の概念に接すると、
まず私は胡散臭く思ってしまうのだけど、
社会は動いているのだとつくづく感じる。
そしてその影響は、程度の差こそあれ必ずどこかで引き受けている。

明日は面接

2010-07-01 18:05:08 | Weblog
いま、なんとなく就職活動をしていて、一番疲れるのは「自分を売り込む」こと。
明日、わりと希望に近い編集職系の面接があるので、がんばろうとは思うのだけど、
自分を売り込む、という点について、すでに飽きている。
飽きるほど活動はしていないのに。
新卒のころは偉かったなあと、むかしの自分を思い出して感心した。

今回、ひさしぶりに就職活動をして、しかも初めて派遣会社に登録をしてみて、
いろいろと面白かった。

派遣会社は2つ、アウトソーシングの会社は1つに登録をした。
私が希望する業界の仕事を多く扱っているある派遣会社は、
担当の方とも、比較的話がしやすかった。
たぶん業界の空気のせいだろうな。

もう1つの派遣会社は、編集職系の仕事「も」扱っているところで、
コーディネーターと企業営業のお2人と話したのだけど、なんとなく上から目線だった。
むかしでいう「圧迫面接」に近い電話での応対だと思えた。
メールも慇懃無礼だったから、一瞬教えてあげようかと思ったけれど、
まあ、いずれなおるか、淘汰されるだろう。

アウトソーシングの会社は、みなさんが、社会人として非常に立派な応対をしてくれた。
ただ、仕事の内容が私の希望とは少しずれているので、
明日の面接の結果を待ってもらっている。
そのお願いをしたときも、非常に気持ちのよい話をしてくれた。ありがたい。
会社として付き合いたいのはそこだけれども、難しいところだ。

いずれにせよ、何度も自分の職歴について説明をし、
そのたびに何とも言えない気持ちになった。

ただ、派遣というかたちで働くことに、自分としては、あまり抵抗がないことがわかった。
まだ始まっていないから、やってみたら「落ち着きたい」と思うのかもしれないけど、
もともと10年以上編集職だったから、プロジェクトごとに人が集まるのは普通だと思える。
会社にいたときも、あるプロジェクトが立ち上がるときに、
部署をまたいで呼び出されるようなことが多かったから、
今度は会社の垣根がなくなるのだと思うだけ。
それに、サービス残業がない。
ボーナスもなくなるけど、時給換算したら、とんとんだと思う。

とはいえ、結婚して子どもを育てたいと思っている人にとって、
派遣はやはり不安定なんだろうと思う。
特に男性は正社員で働けるなら、そのほうがいいだろう。
まあ、男性のほうが転職もしやすいし、給料もなんだかんだいって女性よりも高いみたいだから、
私が新卒のころ「男はずるい!」と思っていたころのまま、あまり変化していないのかもしれない。

そして、なんといっても、派遣の場合は身に付いているスキルを売り込むわけだから、
足りないところは自分で身に付けなければならない。
いま、私は編集職の正社員経験があり、編集という仕事の流れをだいたい把握しているから、
自分で時間のあるときに「転職用にInDesignでもいじっておくか」と思える。
どこまで把握すべきで、どこからは外部に投げられるのかも、だいたい知っているから、
あまり不安ではない。楽しんでやれる。

でも、これが新卒だったら、不安で仕方がないだろうと思う。
そのぶん「若さ」という強力な武器があるわけなので、可能性は広いだろうけれど、
会社が人を育てなくなり、「普通の事務職」を正社員ではなく、
派遣社員や契約社員、またアウトソーシングで出してしまい、
社内で吸収することがあまり行われなくなったいま、
会社員として働いていくというのは、とても厳しいことだと思う。

能力がグンと伸びる時期は人それぞれで、
25歳くらいですぐに開花する人もいれば、
40歳くらいで人格の成長とあいまって、ものすごいディレクション能力を発揮する人もいる。
いずれにせよ、そのタイミングと会社の拡張のタイミングがあうかは、
それこそ巡り合わせにすぎない。
一時の運で、自分のすべてを決めてしまわないことだ。

よっぽど新しい会社でない限り、バブル入社で、枝毛ばかり見ているお姉さま社員が残っている。
ノリだけの軽薄な雰囲気を引きずったお兄さん社員も残っている。
社内にはいなくても、取引先の担当者がそうであることもある。
そして、ここにうだつが上がらない自分がいる。
すべてひっくるめて日本の社会なのだし、人が生きているところなのだ。

ふと外を見ると夕焼けが美しい。
こんな夕焼けを見ながら、帰宅できるような仕事がいいな。