ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

カンボジアの思い出

2010-07-27 22:54:54 | Weblog
昨日、カンボジアのニュースをやっていた。
ポル・ポト時代に、収容所の所長をしていた人の裁判で、
禁固35年の判決が出た、というものだった。

約15年前、大学4年生のとき、卒業旅行でカンボジアに行った。
お目当てはアンコール・ワットだったのだけど、
プノンペンにある収容所跡にも行った。

そのときのガイドさんは、男性で、
中国語が話せたから、英語よりも中国語のほうが得意な私のために、
中国語でガイドをしてもらった。

収容所には、拷問のあとが、生々しく残っていた。
床には血がしみ込み、いろいろな拷問道具が残されていて、
多くの亡くなった人の写真が飾られ、拷問の光景を描いた壁画もあった。

大声で泣き出したいような気持ちになった。

私は、ガイドさんに「どうして、こんなことが起きたの。
カンボジア人同士だったのでしょう」と、こらえきれずに言った。
とにかく、「为什么?(どうして)」という気持ちだったのだ。

ガイドさんは一言、すごく抑えた声で、でも吐き捨てるように、
「疯了吧!(気が狂っていたんだろう)」と言った。

その後、帰り道に寄ったバンコクで、現地の日本人スタッフから、
カンボジアのガイドさんの家族も、収容所で拷問の末に亡くなった、ということを聞いた。
国民の5人に1人が亡くなったと言われる時代だから、
当然、生き残っている人たちは、肉親を殺された経験をもっている。

彼はいったいどんな気持ちで、私たちをあの収容所に連れて行ってくれたのだろう。
私たちに悲しみを訴えるでも、怒りをぶつけるでもなく、
自国の歴史を、淡々と語ってくれた。
日本人なら「恥」として、隠蔽してしまうような歴史を、
私たち外国の、彼らから見たら苦労なんて知らないような、
お金持ちの日本の女子大生に、
彼は人としての最大限の敬意と、プライドをもって接してくれた。

もう、どんな人だったのか、顔は忘れてしまったけれど、
彼の「疯了吧!」という一言は、いまでも耳に残っている。

1回旅行へ行ったきりだから、よくわからないけれど、
私の印象に残るカンボジア人は、みな親切で、礼儀正しかった。
だからこそ、収容所とのギャップに驚いたのだった。
昨日のニュースを見た範囲では、カンボジアの人たちは、
みな冷静にこの裁判を見つめているように思えた。

全容の解明は難しいだろうし、理由も見つからないことが多いだろうけど、
過去に向き合うカンボジアの人たちの姿には、とても敬意を覚えた。

もう一度 児童文学

2010-07-27 19:44:00 | Weblog
先日より、児童文学に触れる機会が多い。

小学校2年生のとき、肺炎で1ヶ月間、入院した。
そのときのお気に入りだったのは「ぼくは王さま」シリーズ。
両親が離婚でもめていた小学校5年生のころは、
「はなはなみんみ物語」が大好きだった。

あの頃は、本を開くたびに、大きな世界が広がる感覚をもっていた。
世界観にふれる経緯はひたすら受動的なのに、いつのまにか能動的にその世界で遊んでいる。
いつでもその世界での主役になる能力を持っていた。

久しぶりに児童文学を読んでみると、
この世には、本当に美しく、心に響く文章があるのだと思える。
美しい文章は、ただ景色が美しいだけだったり、きらびやかだったり、
成功だけがつづられているものではなくて、
心の中にどうしても広がるさびしさや悲しさがある。
そのうえで、はじめて救われることがあったり、
やはりすべてが救われるわけではない、という結末に出会ったときに、
読み手は本当の美しさに気づくことができる。

読み進めるうちに、涙が出てきた。

いま、このタイミングで児童文学に再会したことは、
私にとって、本当にいいことなんだと思う。