昨日の日誌 で紹介した、故宿沢氏の言葉について。
「現行のルールを突き詰めると、こうあるべきラグビーというものが定まるかもしれない。しかし日本代表は必ずしも『あるべき』を追えない」
ルールを突き詰めるとある程度の法則が出てくる、というのは当然の話で、ドクター中松の フライングシューズ がルールで認められれば、みんな履くに決まっています。
たぶん、自分は履きませんが。
つまりは、そのルールから導かれる最もシンプルな戦法を選択したのがジーコであり、目標のために強国とは異なるアプローチをとったのがトゥルシエだったのだと思います。
まあ、ムッシュの場合は、目的と手段が入れ替わることもしばしばでしたが。
だから、日本サッカーの力を過大評価して(してくれて?)世界標準との差を教えてくれたコインブラは、ある意味 歴史に残る監督 なわけです。
そういう方向で考えてくると、スポーツの本質は何かということが問われるような気がします。
さらに言えば、人気・収益・将来性などなどを考慮して目先の勝利を追わないのも、立派な戦術なわけです。
あー、年寄りの人生論っぽくなってきたな。
というわけで、自らの戦術を徹底化することよりも相手チームへの対応を優先させる、そのために個人能力の向上を至上命題とするオシム氏のような指導者が、今後どのような戦いを積み上げていくのか、注目していきたいところです。
もちろん、ひぐっつあん もがんばれ。
<今日の長女>
父親が遅めの夕飯を食べている横で、番茶の入ったマグカップにオカズ(言うまでもなく父親の分)を次々に投入。
→ そのマグカップを満足そうに ングング 飲みながら番茶(プラスいろいろ)を垂れ流す。
→ 父親のヒザに容赦なく番茶がかかって濡れる。
→ それに気づき、トテテテ 走ってゾーキンを持ってきて父親のヒザを拭く。
→ にっこり。