いろいろ考えることはあるのですが、今日は太田さんについて一言。
山神様の調子が良いとき、最も悪質なファウルをもらうのが鉄人・太田だったような気がします。
それは、どんなビューティフルなゴールよりも、どんな効果的なタックルよりも、サイドを駆け上がってくる太田さんが、相手にとって最大の脅威だったことを教えてくれます。
しかし、どれほど悪質なプレイの標的にされたときでも、太田さんは表情を変えずにプレーを続け、そして飽きることなく何度でもサイドアタックを仕掛けては、その都度全速力で自陣に戻ってくるのでした。
自分は、そんな太田さんが大好きでした。
そんな冷静沈着な太田さんが、珍しく怒りをあらわにしたことがありました。
それは、あの運命の
2001年11月18日 、しかも相手は選手ではなく審判でした。
サイドを割ったボールのジャッジという、端から見ればささいな判断に対して、ボールを叩きつけて怒った太田さんを見て、その気負いの大きさにかすかな不安を抱いたものでした。
太田さんだけでなく、選手みんなが、それほど賭けていた一戦に敗れたとき、彼らと一部に行くチャンスが再び来るのだろうか、と瞬間的に感じたことを思い出します。
そして、そのまま、別れの日が来てしまいました。
われわれの力不足で一部に連れて行けず、本当にすまん。
そんな感傷が、日を重ねるにつれて、よぎる日もあるのですが、
「僕は引退しますが、モンテディオ山形は続いていきます。これからも熱い応援をお願いします。」
・・・うーん、鉄人の言うとおり。
可能性がある限り、何度でも繰り返し挑戦しよう。
それこそが、ライバルにとっては一番の脅威なのです。
今までありがとう、本当にありがとう。太田さん。