六甲1号の出撃にっき

撮影ロケの出撃模様のほか、日々の雑感なんかも綴ったものです。

元最長距離鈍行にお別れ乗車

2019-03-18 |  出撃 at 中国地方
 ダイヤ改正前の最後の2日間を長野にするか再度広島にするか悩みましたが、189系おはようライナーは既に回送を含めて4ヶ所で撮影済みなのと、先週訪れた山陽本線の被災箇所での動画が記録エラーになっていたこともあり、再度広島地区の115系の補完撮影と、撮影後には元最長距離鈍行だった、現白市発下関行きにお別れ乗車をする事も兼ねての広島行きとなりました。

 .朝から被災区間へ訪れる

 今回は前日入りできなかったので、大阪発の夜行バスで早朝に広島に着く旅程を組みます。
 大阪ー広島間の夜行バスは青春ドリーム号と、いつの間にか名前がグレードアップしていた、グランドリーム号の2本があり、当日17時時点で、青春号は残1席、グランの方は残2席でした。勿論グランの方に乗ります。
 残席マップで2A・2Bの横並びで空席が残っていたので、誰か2人連れがキャンセルしたのかも知れません。すぐさま2A席をポチってゲット。
 難波OCATを23時出発ですが、乗車したのは私を含めて2名だけで、既に始発のUSJからの乗客が数名乗っていました。

 大阪駅で20名近くが乗り込んできて車内はいっぱいになりましたが、結局隣の2B席は空いたままで出発するようで、ホームドアも出発時刻がくる2分前には閉めてしまいました。
 朝、広島駅に着いて数分の乗り換え時間で山陽線上り電車に乗ります。

 先週と違って、今回は広島寄りの河内駅で下車します。
 これは、被災箇所そのものは河内駅から歩いた方が15分ほど近いからです。

 ちょうど通学時間なので、河内高校へ向かう生徒たちと同じ道を歩きます。
 この子らの後ろについて、そのまま学校の中へ入って行きたいところ・・・でなくして、全速歩で学生の列をぶっちぎって抜き去り、撮影地へ向かいます。重たい機材を積んだカートを牽っぱって、高速で歩く俺様って、まるでEF66みたいでかッケ~。(ネタですよネタw)ここで笑わなと、もう笑う所ありませんよ~。

 途中の踏切を渡った先で高校生達は橋を渡って学校へ、私は橋を渡らずに真っ直ぐ線路沿いに歩きます。
 河内高校のちょうど向かい辺りで、最初の土砂崩れ箇所があります。
 ここも撮影地の1つで、20年ほど前にイベント列車を撮った事もありましたが、午前中は日陰になるので今回はスルー。

 駅から25分ほど歩いた辺りで、1本後の上り電車が来るので、適当に築堤に上がって撮ります。
 7時台とあって、側面にはまだ日が回っていませんでした。さらに45分ほど歩きます。

 先週やってきた青い橋が崩壊した土砂崩れの被災箇所に来て、ここで8両編成の上り電車を撮らえます。
 特撮もバッチリ撮れて、無事撮影完了。
 撤収後は元来た河内駅へ向けて、また75分ほどの歩きになります。途中で10時台の下り115系を1本追い撮りして河内駅には11時に戻ってきました。先週より1時間ほど早い電車で次の場所へ移動できそうです。

 .新たに別の撮影地で115系追加撮影
 本郷-河内の長~い駅間での撮影も一段落して、次に向かうのは、白市-西高屋。
 ここは先週も来た区間ですが、先週と違って今回は白市寄りの場所で撮ることにして、白市駅で下車して西高屋方面へ歩きます。

 25~30分ほど歩いた場所には頃合いの良いS字カーブがあって、東端には陸橋道路もあるので、田んぼからビデオパン撮影したり、陸橋から俯瞰撮影したりとアングルを楽しみながら6本ほど捕獲完了。お腹いっぱいです。
 最後に1駅異動して夕方前の上り電車を入野付近で撮影して今日のロケは終了。夜のイベントに備えます。

 .最長距離鈍行にお別れ乗車
 今回の出撃のもう1つ目的である、(元)最長距離鈍行のお別れ乗車に移ります。
 元々は糸崎→下関を走っていて、その走行距離で日本一の最長距離鈍行だったのですが、豪雨災害によるダイヤ修正で運転区間が短くなり、ランキングも5位以下に落ちてしまったのですが、それでも白市から下関まで5時間半もの長丁場な行程になります。
 この山陽本線の長距離鈍行は、以前は西条始発、その前は岡山始発と、始発駅をコロコロ変えて残っていて、いすれの始発駅からでも乗車はしたのですが、白市始発となって以降は初めての乗車です。

 電光表示に示された「下関」の表示。
 ダイヤ改正後はもう白市では見られなくなります。

 18:13 折り返しとなる、白市止まりの上り電車が入って来ました。
 ホーム上は撮影者は3名だけ、こんなものでしょうか? 実際に乗り込んだのは私ともう1名でした。

 車内に荷物を置いて、急いで反対側のホームに回ります。
 3月となれば、西日本だとこの時間でも割と明るく、夕暮れの発車待ちのシーンを納めます。

 白市の駅名票を入れて「下関」の行き先表示。
 白市では115系も下関の行き先表示も、もう見ることはないでしょう。

 乗り込んだのは下関寄りの先頭車である、クハ115-2011
 何でモーター車に乗ってモーター音を楽しまないんだ? と電車オタクの人から言われそうですが、私は風のように転がるクハ派なので、モーター車は避けて乗るのです。
 車内は既に吊り広告が撤去され、このまま下関へ到着後は運用離脱になるのか、それとも翌日は岩国へ1往復だけでも走るのでしょうか。

 各車両2~3名の乗客を乗せて白市を発車した下関行きですが、静かな夕暮れのお別れ乗車の感慨に浸ることも束の間、次の西高屋からは、大量の高校生が乗り込んできて、一気に車内は混雑します。
 右手車窓に夕焼けを見ながら列車は西へ進みます。

 広島に到着。
 反対側ホームには10人近い撮影者がいました。停車時間中に隣のホームにEF65が入線してきて、並びが見られたので、興奮して走り回ってる人がいましたが、危ないのやめましょう!  と言っても馬の耳に念仏。

 次の大きな停車駅は岩国。
 ここで数分停まるので、車外へ出てスナップ。反対側のホームにはもう見ることができない白市行きが停まっています。
 ここから下関までは、ダイヤ改正後も一応残る区間になります。

 途中の徳山で、この列車の名物である30分間の大停車時間があります。
 徳山での停車時間の楽しみといえば、ホームにある紙カップ式のコーヒーを買うことでしたが、いつの間にか撤去されていました。残念。

 徳山で帰宅サラリーマンなどを乗せて一時的に車内は混みましたが、宇部を過ぎるとまたガラガラになり、空気を運んでる状態です。
 先頭車には3人しか乗っていませんでした。貴重な窓が全開できるタイプの車両なので、ここらでいっちょ窓を・・・ダメダメ。

 23:50 ついに下関に到着。
 僅か1分の乗り換え時間で、向いに停まっている小倉行の電車に乗り換えます。余韻に浸れないのが少々残念ですが、下関ではまだまだ115系自体は見られますから。
 ということで、白市からの5時間半の旅は、あっけなく終わった感じがします。


 翌朝小倉を7時過ぎに出て、また山陽本線を東へ向かい、最後に中野東-安芸中野間を行く115系の姿を収めて終わりとしました。

 さよなら115系L編成  さよなら國鐡廣嶋!   もう広島にも来ることも・・・
コメント
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