六甲1号の出撃にっき

撮影ロケの出撃模様のほか、日々の雑感なんかも綴ったものです。

さよなら きらきらうえつ

2019-09-24 |  出撃 at 東北地方
 先週の東北のキハ40系夏季お別れ乗車に続いて、9月末で運行を終える新潟の485系の生き残り車両である「きらきらうえつ号」の撮影に行くことにしました。
 きらきらうえつ号は既に数年前に急行〔きたぐに〕のお別れ乗車に続いて、新潟から乗り継いで乗車しました。ちょうどその日に新潟駅ホームで「よろしく、きらきらうえつ」みたいなセレモニーをしていたので、相当前の話ですが。
 既に青春18きっぷの利用期間は過ぎているので、というか最初からそのつもりでしたが自動車での出撃として、2泊3日の行程で新潟~山形の海岸線へ出向きます。

 .只見線のキハ40系も合わせて撮る
 名古屋起点で自動車を1日走らせて、新潟に夜着いたのですが、きらきらうえつは朝9時過ぎに新潟を出るので、それまでの間に何か別の撮影を入れることにします。既に8月頭に羽越本線の気動車はある程度撮ってることから、磐越西線や只見線の列車を撮ろうということで、車はそのまま国道49号に入り、会津坂下に夜半に到着。朝ロケをして何処かで只見線だけ撮って新潟県に戻ります。

 結局以前来たことがある会津高田ー根岸の直線で2本撮って終わり。
 6時台に上下列車が通ると、その次を撮っていたら間に合わないので、2本だけで切り上げます。
 会津坂下を7時に出て、2時間半ほど走って村上に到着。撮影地の選定に入ります。

 光線の関係で海を入れて下り列車を撮るのは、この時間帯では難しいので、サイドから撮れる今川の畑の俯瞰場所から撮りました。
 この場所も草木が相当生い茂ってしまっており、以前いなほを撮った時のようにとても7両までは入らなくなっていますが、4両編成なら何とか収まります。

 撮影後は庄内平野まで繰りだし、上りの普通列車が来るまで時間があるので鶴岡市内までやって来ましたが、観光するには時間が足りないので、羽前大山の直線撮影地に向かいます。
 鶴岡の駅付近は電柱が無く、スッキリした街の風景でした。鶴岡・酒田ともにじっくり観光で回ってみたい場所ですが、いつになることやら。

 羽前大山-羽前水沢の田んぼに寄って、ここで上り普通と貨物列車の2本を撮って撤収。
 ちょうど稲刈りが始まっていて、農作業の邪魔になるので、長居はできません。また海辺の区間に戻ります。

 今川の海岸に戻ってきました。
 さて順当に山肌に登って撮ろうか、それとも少し小細工をしてから登ろうか迷いましたが、結局他の撮影者の邪魔になるので小細工はせずに、順当に山に登ることにしました。

 山の上からは海岸を横に入れたロングの画面と、岩に望遠で寄って撮るアップの2アングルが撮れます。
 そして待つこと約2時間

 日が傾いてエロ光気味になった光線を浴びて、きらきらうえつがやってきました。
 晴れで撮れるのも、もう残り少ない状況です。
 日が高い時間帯とは海の色も空の色も全く違います。

 いっぱいにズームを引いての構図。
 下に少し電柱などが被るので、完全に一杯引くと少しうるさいかも知れません。
 これでこの名勝での撮影は終えました。

 山から下りてきて、少し佇むと、美しい日本海の日の入りが見られました。
 9月下旬に晴れていれば、きらきらうえつの車内から、こういう光景が見られるかも知れません。
 今夜は新潟市内で一っ風呂浴びて滞泊。

 .酒田以北でも撮影する
 今週末のきらきらうえつの運行は数少ない酒田以北への延長運転となるため、現地2日目は、酒田以北で1発狙うことにします。
 朝1で磐越西線の猿和田付近の田んぼで撮ったのですが雲が出て撃沈、すぐに羽越本線に向かいます。
 今日はトライアスロンの大会が開かれており、村上-越後寒川間の国道345号が通行禁止になるため、そこでの車による移動で撮影は出来ません。そのために朝の上り1本だけ撮ることにします。

 やってきたのは笹川流れのS字俯瞰場所。
 ここで上りの4連普通を録ります。通行止めの時間まで間もないので急いで車を出して酒田方面へ向かいます。

 酒田以北で海をバックに撮る場所は、午後はあまり光線が良くないので、下り列車を追い撮りの1本だけにとどめます。

 やってきたのは小砂川-上浜のS字南側。
 ここは12時台後半なので、追い撮りながらも何とか順光で海バックで捉えることができました。
 誰か来るかと思いましたがここで撮影したのは私1人だけでした。ここから北側にある、陸橋脇から撮る場所には数名が出ていたようですが、そこだと正面が影になるのでこちらで正解ではないでしょうが?
 もう海バックで順光で撮れる場所はなく、海サイドで釜磯の海岸がありますが、そこで撮るとなると、帰りが大変遅くなってしまうので、また新潟県内まで戻ることにしました。

 昨日同様に庄内平野の区間で上りの普通気動車を撮ることにして、羽前水沢の南側の築堤を上っていく列車を撮ることに。たわわに実った庄内米の稲穂を入れて、秋らしさを演出しています。
 国道345区間に入って、越後寒川に到着。
 先に昨日の蓬莱山付近で気動車を2発撮って、その後越後寒川駅の北側の海岸にきました。

 ここで今回最後となる撮影でしたが、本命のきらきらうえつの撮影ではメイン機材で録画トラブルがあって、撮れておらず痛恨の撮影失敗に終わりました。こちらは海岸に立てっ放しにしておいたサブカメラの画像です。
 そのため次の普通列車まで撮って今回の撮影終了。最後ちょっと心残りになった撮影でした。

 帰りは延々と信州中野まで下道、途中の信州中野からは尾張一宮まで高速で飛ばして、結局朝4時頃帰宅しました。あぁ疲れた。でも2日とも快晴で撮れて最高に景色が良かったので満足です。

    さようなら きらきらうえつ

 なお、きらきらうえつはさよなら運転のため、いろいろと走行区間を変えて年末まで走るそうです。


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東北の国鉄気動車 最後の夏旅 その4

2019-09-16 |  出撃 at 東北地方
 東北遠征4日目の前半は朝から男鹿線を往復して、キハ40系とEV-E801系にも乗りましたが、明日の帰路へ向けて、ある程度戻っておく必要があります。
 本日後半の行程は、秋田12:08→13:56酒田14:33→18:47新津19:19→19:39新潟20:07→22:51会津若松 で、会津若松で滞泊とし、明日の最終日は会津若松からの延々帰路になります。

 .再び羽越本線の気動車旅
 秋田を12:08発の羽越本線上りの酒田行き普通電車で上ります。701系なので写真は省略。

 酒田に到着したところ、何やら見慣れぬ車両が。車体側面には「海里」と書かれています。
 どうやらこれが10月にデビューする、きらきらうえつの後継車両のようです。ハイブリッド車両なので、非電化区間にも乗り入れできる便利物ですが、JR東日本独特の何となく窓に色が付いてるような感じで、こんな色付きの窓で日本海なんか見ても感動しないのでは?と疑念が。デビュー前なので窓に保護シートが貼っていて、それの色が出てるだけで、実際には透明ガラス窓であればいいのですが。

 酒田駅0番線ホームに移動します。
 既に14:33発の828Dが停まっており、乗客を待っていましたが、まだ出発30分前なので、誰もお客は乗っていませんでした。
 その後列車は2割ほどの乗客を乗せて酒田を発車し、庄内平野を走りだします。
 この列車は、14時台ということで、高校生の下校時刻にしては早いため、18きっぷや週末パスの旅行客がいなければ、村上まではガラガラで走ると思われます。新津まで通しで走るので、乗り換えなしの便利な列車です。

 列車は淡々と羽越本線を上ってきます。
 途中の鶴岡で下りの貨物列車との交換待ちが遅れた以外は、退避など全くせずにやってきたのですが、ようやく村上の1駅手前の間島で上り貨物列車に道を譲るために11分間停車します。

 そして次の村上駅で待望?の下校輸送に突入し、車内に一気に高校生が流れ込んできます。
 キハ47の2両編成では裁けるのかなというとこですが、村上から先は何本も電車があるので、いいでしょう。

 村上で大量に乗せた高校生も1駅1駅で降りてゆき、徐々に車内は空いてゆきました。
 途中の中条で12分停車で上り特急いなほの退避をします。

 17:53 新発田に到着。ここで20分間の停車をします。
 新発田から先はまた単線になるのと、新潟からの白新線との接続待ちのための時間調整です。ここで新発田からの下校生を乗せて、また嬉しい(場所によっては鬱陶しい)混雑で出発、中浦・月岡とポツポツと下ろしてゆき、途中の水原でほぼ高校生はいなくなりました。

 18:47 定刻に終点の新津に到着。
 終着ということで、少し余韻を楽しめるかなと思いきや、ホームには大勢の乗客がまっており、私達の下車と入れ替えに、どっと乗り込んでいきました。列車はそのまま18:55発の津川行きの列車として運用されるようです。
 私は一旦新潟に行って駅弁を買って、新潟20:07発の最終の会津若松行きに乗ります。
 会社員の帰宅列車で混雑していたため、写真は省略。
 途中の五泉を過ぎると5両編成の列車はガラガラになり、会津若松までの夜汽車旅になります。

 22:51 会津若松に到着。このキハ110・120も置き換えでどこかに転属になるものと思われます。磐越西線内では最後の夏になるかも。
 明日は朝が少し遅いので、ゆっくりできます。

 .磐越西線のキハ47お別れ乗車
 東北遠征最終日となる8/30は、会津若松から新津までキハ40系に乗車して、あとはひたすら信越線・長野・松本・名古屋経由で帰宅の途につきます。

 朝7時半の会津若松駅は、東北色のキハ40がホームを埋めて嬉しい光景です。
 右側は喜多方行きとの事で、只見線用の車両が磐越西線で間合い運用されているんですね。これも必撮です。

 右側の喜多方行きが発車してゆくと展開した光景がこれ。4連のキハ40は壮観です。
 一番奥の1両を切り落として、3両編成で会津川口行きで発車してゆきました。

 8:04 津川発の222Dが到着。この列車が10分の折り返しで、新津行きとなります。
 ホーム上には高校生らが、こんな時間から通学で間に合うの?喜多方到着は8:30なので、駅近くなら大丈夫か。

 しかし、喜多方でも彼らは降りません、一体どこまで乗るの?
 それどころか、喜多方からも追加で高校生が乗り込んできます。どういうこと?

 答えは次の山都駅でした。
 8:42 山都に到着すると、乗っていた高校生が全員下車。こんな所に高校があるのか?

 調べてみると駅から西へ1キロ程の所に県立の農業高校があるようです。
 山都駅が1日で唯一賑わう時間です。学校の始業時刻も汽車の時間に合わせて9時からなのでしょうか。
 山都で車内はガラガラになります。私が乗っていた1両目は乗客3名のみに。

 列車は雨の阿賀野ラインを下って行き、福島県の西の端の町、西会津町にある野沢駅で25分間のバカ停をします。
 雨も強くなってきて、一応改札を出てみましたが、飲料の自販機以外に何もなく、列車に戻って出発を待ちます。

 列車は福島県から新潟県の県境を越え、車窓には阿賀野川の景観が・・・今日は雨、しかも濁流です。
 途中の津川から喧しい関東弁の夫婦が私の向かい側のボックスに座ったので辟易して席を移動。
 更に猿和田からは、日本語を喋らない若い女性たちが大量に乗り込んできて、ここは東南アジア?と思わんばかり、そういうえば、JR東海所属だったキハ48がミャンマーに譲渡されて、こんな光景なんだろかなと思っているうちに次の五泉に到着し、ここからは新潟方面に向かう客が沢山乗り込んできます。
 午後の講義からの大学生や買い物か所用で新潟へ向かうおばさんなど多数で意外と乗車率は高いまま終着新津へ。

 11:33 列車は定刻に終着の新津に到着。新潟方面に向かう乗客はそそくさと4番線に停車中の電車に乗り換えていき、ホームはすぐに静かになりました。
 お別れ旅の余韻を楽しむため、1本電車を遅らせてホーム上で佇み、次の新潟行きの電車に乗るためホームを移動します。
 これで置き換えが進むと磐越西線のキハ40系は乗り収めとなります。もう1度ぐらいチャンスはあるかな?


 なお帰路は飯山線の列車の時間が不便なため、直江津から1,500円出して第3セクター経由で長野へ、あとは中央西線経由のいつも通りのルートで帰宅です。


 これで4泊5日の東北乗り鉄旅行が終わりました。今回使用したのはこの18きっぷ1枚と、第三セクター区間に加えて、松本→長野・木曽福島→中津川の区間で特急しなのを使ったので、その分の乗車券・自由席特急券と、交通費は全部合わせても2万円はいかないと思います。
 この夏は列車旅をしたのは結局この1回だけで、当然青春18きっぷも1枚しか使わずに終えました。一番の使い時にたったの1枚しか使わないなんて・・・
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東北の国鉄気動車 最後の夏旅 その3

2019-09-14 |  出撃 at 東北地方
 昨日は五能線の復路に乗って途中大雨による抑止などにも遭いましたが、結局秋田に着いた時点で雨は止んでおり、幸い傘を出すこともなくて済みました。
 4日目は男鹿線と羽越本線の上りに乗って、その後は磐越西線の最終で一気に会津若松まで行く行程です。

 .男鹿線の気動車に乗る
 男鹿線の気動車は何年か前に乗って以来、ロケ鉄ばかりだったので、今回久しぶりに乗ることにしました。朝は4両編成(1本だけ5両編成もある)なので、その列車に乗れば、朝の通勤通学風景が楽しめそうです。
 そのため、朝4時半起きで秋田駅に向かいます。

 秋田5:37発の一番列車に乗車。
 上り秋田行きの送り込みを兼ねるため、乗客数に不釣り合いな4両編成で男鹿まで走ります。両端2両はロングなので、中間の車両に乗ります。
 朝5時台の始発とあって、乗客などほとんどいないと思いきや、両端のロングシート車両こそ数名ずつ(これも驚き)だが、中間の2両は全ボックス全てに乗客が座るなど、意外に乗っています。
 秋田の次の土崎からも乗車があり、両端のロングシート車もそこそこ乗っている状況。この人たちは何処へ?
 そう思っているうちに、奥羽本線区間の最後の駅である追分で大多数が降りていきました。追分といえば、昨夏に一世を風靡した、金足農業高校の最寄り駅。他に秋田西高校と2校あり、追分までならこの汽車に乗らなくても奥羽本線の電車で十分事足りるのですが、朝練か何かでしょうか。

 列車は追分を出ると1キロ程奥羽本線と並走した後、90度近いカーブを描いて西北西に進路を取ります。
 途中の小駅で1人2人と高校生を拾って行くので、男鹿方面にも高校があるようです。昔なら当たり前ですが、統廃合が進んで、末端駅周辺の高校が消える事も珍しくない時代ですから。

 途中の天王を出ると、男鹿線随一の長い鉄橋で八郎潟を渡ります。ここ3年間に3度も撮影に来ている定番撮影地ですが、今回は車内から見ます。下り列車ということか、撮影者は誰もいませんでした。
 列車は次の船越に停車し、多分下り列車では最大の乗客である高校生を10名近く乗せていきます。ほとんどが女子高生で、最大の目の保養、しかも私のボックスの近くに座った娘らはより可愛くて、早起きの眠気も吹っ飛ぶ幸せ感。ええでええで。

 途中の脇本で上り列車と交換のために為に退避待ちをします。
 さすがに秋田方面への乗客は多いですね。

 6:33 男鹿に到着。
 女子高生たちと一緒に降りて、♪高校生気分・・・とはいかないか。
 
 男鹿駅では20分の折り返し時間があり、乗客は一旦全員下車にしてドアも閉めます。
 そのため一旦改札外に出なければなりません。

 男鹿駅で降りた高校生たちは2手に分かれて、真っ直ぐ直進(写真手前側方向)の徒歩組とすぐ右手(写真の左側)にあるバス停に横付けしたバスに乗ってすぐに消えてしまい、駅前はすぐに静かになりました。
 前回来た時は、まだ古い駅舎でしたが、電車の運転開始に合わせて、駅舎も移転し新しいものになりました。

 新しい駅舎の2階に上がると展望デッキがあり、そこから駅に停まる列車や、駅前の様子を見下ろすことができます。
 こんな平日の朝早くに展望台に誰もいないだろうと思いきや、隅っこで高校生のカップルが朝から何やらしておりました。おいおいさっさと学校行けよw

 改札が始まって、再び同じ列車に乗って秋田に戻ります。
 写真の右側が旧駅舎です。
 昔初めて男鹿に来た時は14系客車の夜行急行で、ホームから溢れて停まったものですが、もうそんな長い編成は来ないでしょうね。

 上りの秋田行きは、今度は二田で下りの男鹿行きと交換します。
 男鹿方面行きにも幾分かの高校生第2弾がおります。
 だんだん秋田方向へ進むにつれ乗客が増えていき、私が動画撮影をしているのを見て座るのを遠慮していた、私のボックスにもオバさんが座って満席になりました。

 8:03 秋田以南で発せられた防護無線をキャッチしたため、秋田駅の手前で列車が緊急停車し、列車は4分遅れて終点秋田に到着。
 既に乗客の3割近くが1駅手前の土崎で下車しており、少し空いた車内でした。
 これで男鹿線のキハ40系お別れ旅が終わりました。

 .男鹿線唯一の電車にも乗る
 東日本版“デンチャ”として昨年から1編成が実用稼働している、EV-E801系が男鹿線でひっそり走っており、まだ少し時間があるのでこれに乗ってみることにします。
 秋田から再び男鹿線の気動車に乗って男鹿方面へ行き、途中の出戸浜で下車し、二田で交換して上ってくる電車を待ちます。

 10:54 男鹿からやってきた秋田行きのバッテリー電車に乗ります。
 運転席上の額縁といい、前面の色が白なら完全に見た目はJR九州の車両です。

 運転室の部分はユニット式で、まるまるJR九州のデザインそのものです。
 JR東日本エリアでこの九州式デザインが見られるのは、この車両だけ。

 車内のようす。
 窓のデザインは、東日本標準の走ルンですっぽいですが、座席については819系に似た感じのものになっています。

 3たび秋田駅に到着。
 EV-E801系の2両編成は秋田寄りと男鹿寄りで車両の色が青と赤の異なった2色の編成となっています。
 このEV-E801系は、これ以上増えないのでしょうか? と思いつつ、羽越本線の上り列車に乗って秋田を後にしました。
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東北の国鉄気動車 最後の夏旅 その2

2019-09-11 |  出撃 at 東北地方
 前回の記事は青森に行く所までの道中を掲載しましたが、続編となるその2では青森からの折り返しとして、昨日まで来たルートを帰って行く行程について記したいと思います。

 .1日がかりで秋田までの道のり
 昨日は朝4時起きで、新潟を5時前に出る電車でスタートして、7本の列車を乗り継いで青森まで到達したのですが、今日は夕方に秋田に着いて滞在するする行程で、秋田から先は明日の移動になります。

 弘前での宿泊予定場所があまり良い環境でないらしいとの情報だったので泊まるのをやめて、PC作業もあったため、急きょ青森市内で滞泊として、青森山田高校近くのネットカフェに泊まって(PC作業に埋没して4時間位しか寝てません)朝も少々寝坊して7時半に出発。青森市バスに乗るのは22年ぶり。
 この青森山田高校のある場所が青森駅からはかなり遠く、昨夜は青い森鉄道の駅から歩いて来たのですが、久しぶりのこともあるので市バスに乗ってみたのですが、朝の渋滞時間で青森駅に着いたら8時を回っていて、時刻表を見たらちょうど弘前方面行きの列車が出たばかりで、次の列車は9時台後半まで2時間近く列車はありません。何と不便なダイヤだこと。

 そのため今日も五能線の列車は弘前からでなく、川部から乗ることになりました。まぁ純粋に五能線区間だけを乗る形ではありますが。
 天気予報では曇りのち雨だったのですが、青森駅で待っている頃から意外と晴れてきました。いい感じです。

 川部で7分接続で五能線の気動車に乗ります。
 1分前に弘前から着いたばかりで、午前10時台とあって、2両編成の列車はガラガラでしたが、私達青森からの乗り換え客がぞろぞろ乗ってきて半分強ボックスが埋まりました。

 川部を出た列車はしばらくの間、りんご畑の中を快走します。
 所々に色づいた実を見ることができ、津軽の旅の醍醐味が感じられます。
 列車は途中の五所川原で乗客の大半を下ろして、またガラガラで鯵ヶ沢方面へ進みます。

 鯵ヶ沢に到着。ここで下りの〔リゾートしらかみ1号〕との交換待ちでしばらく停車します。
 青森からの同じ列車を乗り継いできた白人夫婦らしきバックパッカーもここで降りていきました。

 列車は終着の深浦へ向けて出発するのですが、1両目には老人が数人、2両目には私となぜか片田舎の汽車には不似合いと言ったら語弊がありますが若くてしかも美人のお姉ちゃんが1人の計2人だけ。このお姉ちゃんも途中の北金ヶ沢で降りて、迎えに来ていた漁師風の彼氏?と2人で街中に消えていきました。

 ということで、2両目は完全に私1人のための貸切列車になりました。(写真はそのお姉ちゃんが乗ってる状態)
 これで深浦までこの列車を独り占めできる!(内心は2人っきりの方がいいのですが)と思ったのも束の間、その先の千畳敷でホーム上に大量の乗客が、しかも原色系の派手な服を着て、角刈り頭も・・・もう乗客が日本人でないのは丸わかりです。予想どうり車内は一瞬にして座席の取り合いと、騒々しい状態で深浦まで見舞われることに。

 千畳敷を出たところ。
 車窓とは裏腹に車内は最果ての寂れた感などありません。一応昨日それを体験しておいて良かったです。

 列車は天気予報どおりにポツポツ降り出した小雨の中、深浦に到着。交換待ちをしていた下り列車が発車していきます。
 大量に列車から掃き出された騒々しい団体客らは、駅前に待機していた観光バスに早々に吸い込まれていきました。
 そして駅に静寂と雨音だけが響く時間が過ぎていきます。

 .最果てのローカル列車が単行でないワケ
 昨日と同じく深浦で列車番号が変わり、同じ車両ですが別の列車として仕立てるため、深浦で1時間半近く改札外で待って再び列車に乗り込みます。
 昨日は夕暮れの景色を撮ったり時間が過ぎたのですが、今日は生憎の雨模様になったため、もう駅の外には出ずに駅の中で過ごします。
 駅の中は昼間の駅員がいる時間帯なので、テレビが掛かっているのと、若くてかわいい観光案内所兼売店のお姉さんをデレデレ見てるだけで時間を潰せるかと思ったらそうでもなかったです。なお観光案内所のお姉さんはいつも同じ人がいるとは限らないので、この記事を見て期待して行ったのに別の人だったりしても保証はしかねます。

 さて東能代行きの列車は先ほどの鯵ヶ沢出発時よりも、更に少ない乗客3人のみで深浦を出発しました。
 いくら最果てのとはいえ、まだ夏休み中の大学生とかが乗っていてもおかしくないと思うのですが、そんな素振りもなく、2両目は私1人だけで東能代を目指します。
 静かな本州最果ての旅を楽しもうとボックスに腰を下ろしてものぐさに車窓を眺める至福の時間が過ぎようとしていました。

 ところが、深浦から2駅目となる艫作に着いた時に、ホーム上にまた大勢の乗客が。
 こんな観光地でも何でもない無人駅から何で大量に乗客が乗り込んでくるんだ?

 とにかく生憎の雨の中、ホームで並んでご苦労さんなことですが、車内は一気に全ボックスどころか、ロングシートまで埋まりました。
 次のウェスパ椿山からも中国語を話すグループが乗り込んできて、私の座っていた車両中央のボックスを境に、後ろ側が関西弁、前側が関東弁、車端部に中国語とそれぞれのエリアから別々の言葉が聞こえてきました。

 雨足が更に激しくなり、叩き付けると言うより滝のような雨になり、遂に松神で雨量が規制値を超えたとして抑止が掛かって運転見合わせになってしまいました。
 こんな何もない駅で抑止とかどうすんの?という状態でしたが、15分ほど止まった後に最徐行で運転再開となり、時速20キロ程度でノロノロ動かします。

 列車は20分遅れで岩館に到着。反対列車の下り〔五能線クルージングトレイン〕が更に遅れていたため、27分遅れの16時に出発したのですが、どこトレを見ていると、交換した下り列車は岩館に釘付けのまま、「大幅遅れ」の赤いマークになったまま動きませんでした。

 列車は徐行運転のまま走り出して、次のあきた白神駅に到着。
 ここで団体客が全て降りてゆき、車内はまたガラガラになりました。
 昔は昼間の県境越え区間などは1両の単行でも充分過ぎるほどだったのですが、こうやって途中区間だけ利用する団体ツアーが増えたため、2両或いは3両編成で走るのが今や日常となっているようです。団体ツアー客の付けているワッペンや添乗員の旗からすぐに阪急交通社と分かります。JRの増収のために阪急が協力して路線維持に一役買っているので、つべこべ言うな乞食18きっぱーというところでしょうか。
 大雨洪水警報が出て、下校風景も撮れないかと思ったのですが、能代から東能代へ向かう高校生は乗ってきたのですが、向能代・能代駅共に下り方向の乗客(生徒)の姿が見られません。警報が出たので親に迎えに来て貰ったのかなということを考えてるうちに終着の東能代に到着します。

 17:08 結局50分近く遅れて東能代に着きました。
 本来なら16:19に到着して、折り返し16:33発の深浦行きとして下るはずですが、どうなるのでしょう?

 到着した列車は折り返さずにしばらく停まったままでしたが、やがてサボが外され、ドアも閉められて、そのまま留置線に引き上げていきました。
 ホームの行き先表示も深浦の文字は消えて能代行のみの表示に変わりました。という事は、今日は能代から先は列車の運転は無いという事でしょうか?
 赤く「大幅遅れ」の表示になって岩館で停まったままの〔五能線クルージングトレイン〕は表示から消えていました。これは運転打ち切りという事でしょうか。結構乗客が乗っていたのですが、その人たちはどうしたのか気になるところ。
 私はまた明日が早朝の出発のため、滞泊地となる秋田へ向かいます。

明日は朝1番で男鹿線の列車に乗って、その後一気に新津まで上ります。 記事はその3に続きます。
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東北の国鉄気動車 最後の夏旅 その1

2019-09-09 |  出撃 at 東北地方
 JR東日本に残る国鉄型気動車のキハ40系の置き換えが発表され、その置き換えとなるGV-E400系の営業運転が磐越西線や羽越本線で8月19日から開始されました。
 今後順次新車に置き換えられると思いますが、順序としては2019年度に新津所属車を置き換え、次いで2020年度に秋田所属車を置き換えるようです。秋田車については全ての置き換えが済むのが2020年度末になれば、一部の列車はもう1回だけ夏を迎えられる可能性がありますが楽観はしない方が良いでしょう。
 ということで、8月上旬に全行程自動車で撮影にいったのですが、今回はお別れ乗車ということで、主な路線のキハ40系に乗ることにしました。
 例によって一眼レフは持ち出さず、ビデオカメラ・コンデジ、それに何かで活躍するかも知れない(結局ほとんど使いませんでしたが)新しいウェラブルカメラの3台を持って出掛けます。

 .いつもの中央西~飯山線ルートで移動
 今回は5日間で、そのほとんどを青春18きっぷで乗ることにして、鈍行列車で乗り継いで行きます。

 北陸本線を経由するルートが使えなくなってしまったため、名古屋以西から新潟方面に行くには中央西線・篠ノ井線経由で長野から飯山線か1500円出して妙高高原経由で行くしかありません。本当に不便になりましたが、頑張って移動します。
 今回は時間がなかったので、松本→長野間で特急を使ってワープして、飯山線経由の最終の越後川口行きに間に合わせます。

 長野から乗った飯山線の列車は、途中の戸狩野沢温泉止まりで乗り換えとなりますが、乗り換えた2両編成の気動車はほとんど空気を運んでいました。
 越後川口と長岡でそれぞれE129系2両編成に乗り継いで新潟に最終で着きます。

 翌朝新潟を4時台に出る村上行きの快速に乗ります。
 この列車は元々は新宿からの〔ムーンライトえちご〕だったのですが、夜行廃止後は新潟-村上間のみ生き残っていて、朝の上り列車としての送り込み回送の役目も果たしているのかも知れません。

 .第1任務の羽越本線下りに乗る

 村上からいよいよ目的の40系気動車に乗ります。
 なぜこの時間帯の一番列車に乗るのかというと、このまま下って行くと、夕方の五能線の列車に乗り継げることと、この列車では庄内地区で朝の登校時に掛かることと、夕方には五能線で下校時の時間帯になり、いずれも通学風景が期待できること、それも夏服で夏場の明るい時間帯ということで、絶対にこの乗り継ぎがベストと思います。

 列車は三面川の鉄橋を渡った後にトンネルとカーブを経て、一気に日本海側に出ます。
 車窓には日本海の青い海が広がり・・・というところですが、早朝で山影になるのと、朝の水蒸気ではっきりとした青い海は広がっていません。

 車両は元石巻線で走っていたキハ48の2連で、2+1の座席配列が特徴的です。
 新津寄りの車両が海側が1列席なので、眺望には最適です。

 列車は少し進んで、ようやく列車の影が出るほどに晴れてきました。
 今日の予報では北へ行くほど晴れ間が期待できるので、気分もどんどん晴れてくるでしょう。

 県境を超えて山形県内に入ってくると庄内地区の高校へ通う通学列車となり、車内は賑やかにという程ではありませんが、貴重な通学シーン1の幕開けです。

 山形県内に入って何駅かすると、日本海とはお別れして庄内平野に入ってきます。
 この列車での最も乗降客数が多い鶴岡駅で全部下車するのかと思ったら、鶴岡で入れ替えで結構乗ってきました。途中の藤島でほとんどが下車し、終着の酒田まで乗る高校生は数名だけでした。
 酒田まで通う高校生は村上始発の列車ではなく、途中の鼠ヶ関が始発となる列車があるので、それに乗ってくるものと思われます。

 8:16 定時に酒田に到着。
 2時間20分の旅が終わります。これで第1任務は終了。

 反対側のホームに回って回送シーンを撮ります。
 この車両は一旦引き上げて留置線に入るようで、10時台の上り列車の車両は別の編成が入るようです。

 .東能代までは糞電車の701系で移動

 酒田で1時間20分待ちで下りの秋田行きに接続します。酒田から北はJR東日本が誇る糞電車の701系地獄旅というところですが、
   1.景色が綺麗
   2.電車が空いている
   3.乗客の品がいい
ので、東北本線のような地獄感はありません。

 秋田に11時過ぎに到着。
 2時間程の待ち時間で再び701系に乗り継いで東能代へ向かいます。

 途中の東能代で下車して五能線に乗り換えになるのですが、東能代でも2時間近くの待ちがあるので、駅から少し歩いた所で五能線クルージングトレインを撮影。今回の旅の中での唯一の撮り鉄でした。

 駅へ戻って1時間ほど待って16時台になると帰宅風景が展開されます。
 16時台なので、部活に入ってないか、夏で引退した3年生だと思います。
 昔はこの中に藤色のスカートを履いた可愛い可愛い能代北高の女生徒がいたのですが、統廃合で廃校となり、全国的にも有名だった藤色のスカートは見られなくなりました。統廃合からだいぶ経ちますが。

 .第2任務の五能線に乗って夕陽を愉しむ

 こちらが本日の第2任務の五能線の列車で、途中の深浦で列車番号が変わりますが、この車両が長駆弘前まで走り通します。
 それではこの深浦行きに乗り込みます。

 始発の東能代から乗ってくる高校生は僅か数名で、メインは次の能代駅から乗ってきます。
 ホームには「バスケの町:能代」として、全国大会で何度も名を馳せる能代工業高校にあやかった町おこしでしょうか、ゴールポストが設置されています。

 能代で高校生を乗せた列車ですが、ここから先は下してゆくばかりかと思いきや、次の向能代駅でも数名の高校生を乗せていきます。
 駅の東側なのに能代西高校があって、そこの生徒さんでしょうか。

 列車は西日を浴びて北へ北へと進みます。
 たわわに実った田んぼの反射光がとっても美しい今の時期です。国鉄車両は窓に色が付いていないので、自然の景色をそのまま楽しめます。JR東の車両になると、色付きのガラスになるので、写真に撮ると緑色がかった写真になってしまいます。今のうちが最後の本当の車窓が楽しめる時です。

 列車は駅ごとにポツリポツリと下校の生徒を下ろしていきます。
 無人の小駅にエンジン音と女の子のバイバーイという声が響いて、静かに去っていきます。

 途中の八森駅で数名が下車して、車内はだいぶガラガラになってきましたが、まだ数名の生徒が乗っています。もうすぐ青森県に入るのですが、もしかしての越県通学でしょうか?

 秋田県最後の駅となる岩館に到着しました。下車客なし。という事は、降りずに残っている高校生は越県通学ということになります。
 ここでは上りの〔リゾートしらかみ4号〕と交換待ちのため、唯一ホームに下りられる駅です。

 岩館を出ると絶景地ポイントである大間越の鉄橋を徐行で通りながら岩場の風景を見下ろします。今月上旬にはあの岩場に下りて見上げるように撮影した場所です。

 越県通学で乗っていた高校生たちも陸奥岩崎と陸奥沢辺で全てが下りて、車内は私ともう1人の乗り鉄2名だけになりました。
 越県通学はこの辺りからぐるっと回って五所川原へ行くよりも、能代の方が圧倒的に近いので、行政区画に関わらずに通学できるのでしょう。実際の生活基盤に根ざした策と思います。
 途中のウェスパ椿山から中国人の若い女性とバックパッカーっぽい2人連れの3名が乗車して、そのまま深浦まで5人のみで走ります。

 夕日がいよいよ傾いて海に落ちそうな時間になり、五能線ならではの美しい車窓が展開します。
 定期列車でこの美しい海の夕日が見られるのは、残念ながら夏場だけとなります。

 そしてついに日の入りの時刻を迎えようとしています。
 海に夕陽が落ちる寸前の車窓を眺められて満足です。もう間もなく終着の深浦です。

 深浦に定時に到着。ホームの向かいには交換待ちえおしている〔リゾートしらかみ6号〕が、この列車到着を待って発車していきました。

 深浦に到着した列車はここで列車番号が変わるのですが、発車時刻まで1時間近くあるので、乗客は一旦全て下ろしてエンジンも止めてしまいました。寒い時期だとそのままかも知れません。
 列車を追い出されたので、駅前に出てみます。

 駅前から道路を挟んですぐに海になっていて、先ほど海に落ちた夕陽の光が美しいグラデーションとなって空を彩っていました。久しぶりに見る美しい海の夕焼けです。
 このまま時間が止まってほしいのですが、みるみる間に赤味が消えて夜の帳が下りて来ます。1分間とて同じ光景は続かないので、急いでシャッターを切る必要があります。

 さて夕陽を堪能して駅に戻ってきます。
 弘前からの上り列車が深浦に到着しました。今日はもう能代方面へ行く列車はありません。この列車は明朝の上り1番列車として東能代まで走ります。

 さて深浦から先は真っ暗な景色の中を走るので、車窓の画像はありません。
 車内はまるで空気を運んでいるが如くの状況で、ひなびた夜行列車の雰囲気が堪能できます。

 途中の五所川原で反対列車と交換待ちのため、かなり停車します。

 交換となる上り列車からは弘前方面からの通勤通学客がどっと降りてきます、また五所川原から鯵ヶ沢方面へ帰る人も乗り込むので、ここで入れ替えになります。
 下りの弘前行きにも野球バッグを持った部活に帰りの高校生や通勤者が幾分か乗せて出発。

 五所川原に次いで板柳でも上り列車と交換します。
 部活帰りの高校生たちも板柳まででほぼ降りて、上り列車との混雑の差を感じます。と言っても五能線の夜なんて混雑という程のものでもないですが。

 川部に到着。
 列車はここで進行方向を変えて弘前まで2駅走りますが、五能線区間の旅を終えたのと、急きょ滞泊場所を青森市内に変更したので、川部で下車して青森に向かいました。
 明日は天気予報でも雨予報なので、今日乗ってきたルートをそのまま折り返す予定です。
 その2へ続く

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新潟限定?のアルフォート

2019-09-08 | 食べもの
 8月最終週は5日間の日程で上旬に訪れた東北地方の日本海側の路線を再訪、こんどは全て鉄道利用で乗り鉄の旅にしました。

 新潟県内の主要駅に置いてあるのが、ブルボンのお菓子の自動販売機です。
 他の地域ではほとんど見掛けないのですが、飲料ばかりの販売機の中で、このようにお菓子を売っているのは、小腹が空いた時にはありがたいものです。

 いつものブルボンの商品ですから、そんなに変わり映えする物はないかと思って寄ってみると、何やら鮮やかな色を放つ物体があります。
 アルフォートの新商品でしょうか?
 鮮やかな水色のパッケージのやつを買ってみます。

 買ってみると、塩バニラ味ということで、塩バニラ味であれば、白っぽいパッケージで売っていたはずですが、何が違うのかなというと「新潟開港150周年」と書かれているので、おそらく新潟地域限定のパッケージかと思われます。大手のコンビニの棚には見掛けなかったので、この自販機や市中のコンビニ妥当デイリー辺りに置いてるのかな?
 新潟旅行の際は一度見てみるとよいでしょう。
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