前記事の続きになります。
東北3日目(6/16)は、本八戸を朝1番に出て、JR八戸線を南下し、久慈からは三陸鉄道に乗り換えて今日は延々と南下するプランです。
三陸鉄道の1本目は久慈8:05に出る宮古行きに乗って、9:45宮古に到着、11分の乗り継ぎ時間で盛行きに乗り換えました。

宮古の発車時には老夫婦が、そして次の磯鶏でも夫婦が列車の写真を撮っていました。何か珍しいことでもあるのかなと思っていたら、この夫婦はすぐにホームを走りだして、列車の運転席横に行って、何やら声を掛けていました。
そして発車後もずっと見送っていました。
運転士を見ると、横に指導員を付けた若い20歳過ぎのいかにも新米って感じの人(但し車掌から積み上げて3年ぐらいは掛かる)だったので、息子さんが運転士デビューしたのだと思われます。
息子のそして宮古駅ではお爺ちゃんとお婆ちゃんが一人前になった(運転士としては半人前)孫のデビュー姿を見たかったのでしょうね。地元の足を担う鉄道運転士として立派に働く姿は親御さんたちにとっては、頼もしい息子の姿だったと思います。
東京の大学に受かって何百万も掛けてたのにしがないサラリーマン人生送って親元に全然帰ってこない人も珍しくないですが(耳が痛い)高卒で地元の基幹企業に就職する方が、いい人生送れるかも知れませんね。

10:11 津軽石で下り列車と交換
津波に耐えた木造駅舎が味のある雰囲気を醸し得出しています。それにしても平日の10時過ぎだというのに、私服の高校生っぽいの?が何人も乗ってきます。まだ期末試験の時期でもなさそうなのに。

国鉄山田線の名前の元になった山田町に入ってきました。
震災から14年経ちますが、津波の被害で全く人がいない街跡になっています。

10:35 陸中山田に到着。
駅の近辺だけはいろいろと建物が建っています。10年以内に建ったものばかりなので、とてもきれいではありますが。

10:44 岩手船越に到着。
2014年4月に来た時は、この並行するバス停での乗り継ぎが出来ずに最悪の思いをした場所で、時間つぶしにベニヤ板で封鎖されたこの駅にも寄っていますが、残念ながら乗降していないので、下車駅としては扱えません。

岩手船越を過ぎると車窓左手眼下に三陸の海が広がります。
陸中山田辺りまでは海抜が低くて線路も被災しましたが、この辺りは高台を通っているので、被害はありません。

車窓の風景が何となく変わったのに気づきましたでしょうか?
気付いた人は偉い!

10:56 吉里吉里に到着。
井上ひさしの小説で有名になった場所ですが、今でも人気があるのかは不明です。

11:07 鵜住居に到着、反対列車と交換します。
ここでも高校生らしき子らがいっぱい乗ってきて、車内は全ボックス埋まりました。スポーツ施設の利用できたのでしょうか?

鵜住居から10分ほど走ると、右下から釜石線の線路が近づいてきて釜石の駅に到着します。

11:23 釜石に到着。ほとんどの乗客がここで下車し、向かいのホームに停車していた釜石線の列車もすぐに出ていきました。
ここで15分間の停車ですが、普通乗車券なので外に出ずに缶コーヒーだけ買って車内に戻り・・・掛けたら面白い光景が見えたのでホームに出てきて撮影に勤しみました(これについては後日別記事で書きます)
11:38 釜石を発車。
車内は私と地元の婆さんと、大船渡の病院に転院した知人の見舞いに行くというにぎやかなオバサン、そして車内販売のおば・・・いやお姉さんの4人だけになりました。車内販売があるのが驚きです。しかもここから先は最も乗客の少なそうな区間になるのに不思議です。

釜石を出発すると名物の大鉄橋を渡ります。
左手には釜石の市街地が見えてきます。ここも震災3年後の訪問時に歩きました。
吉浜を過ぎると案内放送が入り「車窓に風光明媚な吉浜の海の景色がご覧いただけ・・・」ませんw
三陸地方も北海道同様にコロコロ天気が変わるというか、天気予報は晴れでも、風で海霧が運ばれてくるとこのようになります。もっと霧が押し寄せてくると雲海みたいになります。

12:09 恋し浜に到着
ここで3分間の停車をしますとのことで、慌てて列車の外に出ます。

ホーム上の待合室には、何やらいろいろと貼られていました。
遠路はるばるここへやってきて、何かに対する想いを書き綴っているのでしょうか? ご苦労様です。それで想いが実ればこんな安いことはありません。と夢をぶち壊すボヤキを入れて出ます。

この恋し浜の駅なのですが、線路が高い所を通っていて、駅の外に出るには長い階段を下りなければなりません。
とても3分間では無理です、ということで、せっかくホームには降りましたが、駅の敷地外には出れていないので、下車駅としてはカウントされません。残念!

盛川の橋りょうを渡って90度カーブを曲がれば終着の盛に到着します。
線路はここまでとなります。

12:28 盛に到着。
本八戸から6時間15分、222.4km 4,950円の旅が終わりました。

列車を降りた数人の乗客はほとんどがBRTに乗り継いでいきました。
既に下校の高校生などが列を作っていたので、昼間にも関わらず、結構混んでいました。
さて私はこのあとどうするかというと、この旅でここへきて初めての撮り鉄を行いますが、その模様は次の記事で書きます。
なお途中のところで「景色の変化に気付いた人は偉い!」と書きましたが、どう変わったかという答えを書きますと、ヒントは建物の屋根にあります。岩手県の三陸南部にくると、降雪量がほとんどないので、瓦屋根の家が見られるようになり、北側から南下してくると、その変化に気付くと思います。同じ岩手でも東北本線の走る内陸部だともう少し雪が積もるので、スチール屋根が展開する風景となります。
東北3日目(6/16)は、本八戸を朝1番に出て、JR八戸線を南下し、久慈からは三陸鉄道に乗り換えて今日は延々と南下するプランです。
三陸鉄道の1本目は久慈8:05に出る宮古行きに乗って、9:45宮古に到着、11分の乗り継ぎ時間で盛行きに乗り換えました。

宮古の発車時には老夫婦が、そして次の磯鶏でも夫婦が列車の写真を撮っていました。何か珍しいことでもあるのかなと思っていたら、この夫婦はすぐにホームを走りだして、列車の運転席横に行って、何やら声を掛けていました。
そして発車後もずっと見送っていました。
運転士を見ると、横に指導員を付けた若い20歳過ぎのいかにも新米って感じの人(但し車掌から積み上げて3年ぐらいは掛かる)だったので、息子さんが運転士デビューしたのだと思われます。
息子のそして宮古駅ではお爺ちゃんとお婆ちゃんが一人前になった(運転士としては半人前)孫のデビュー姿を見たかったのでしょうね。地元の足を担う鉄道運転士として立派に働く姿は親御さんたちにとっては、頼もしい息子の姿だったと思います。
東京の大学に受かって何百万も掛けてたのにしがないサラリーマン人生送って親元に全然帰ってこない人も珍しくないですが(耳が痛い)高卒で地元の基幹企業に就職する方が、いい人生送れるかも知れませんね。

10:11 津軽石で下り列車と交換
津波に耐えた木造駅舎が味のある雰囲気を醸し得出しています。それにしても平日の10時過ぎだというのに、私服の高校生っぽいの?が何人も乗ってきます。まだ期末試験の時期でもなさそうなのに。

国鉄山田線の名前の元になった山田町に入ってきました。
震災から14年経ちますが、津波の被害で全く人がいない街跡になっています。

10:35 陸中山田に到着。
駅の近辺だけはいろいろと建物が建っています。10年以内に建ったものばかりなので、とてもきれいではありますが。

10:44 岩手船越に到着。
2014年4月に来た時は、この並行するバス停での乗り継ぎが出来ずに最悪の思いをした場所で、時間つぶしにベニヤ板で封鎖されたこの駅にも寄っていますが、残念ながら乗降していないので、下車駅としては扱えません。

岩手船越を過ぎると車窓左手眼下に三陸の海が広がります。
陸中山田辺りまでは海抜が低くて線路も被災しましたが、この辺りは高台を通っているので、被害はありません。

車窓の風景が何となく変わったのに気づきましたでしょうか?
気付いた人は偉い!

10:56 吉里吉里に到着。
井上ひさしの小説で有名になった場所ですが、今でも人気があるのかは不明です。

11:07 鵜住居に到着、反対列車と交換します。
ここでも高校生らしき子らがいっぱい乗ってきて、車内は全ボックス埋まりました。スポーツ施設の利用できたのでしょうか?

鵜住居から10分ほど走ると、右下から釜石線の線路が近づいてきて釜石の駅に到着します。

11:23 釜石に到着。ほとんどの乗客がここで下車し、向かいのホームに停車していた釜石線の列車もすぐに出ていきました。
ここで15分間の停車ですが、普通乗車券なので外に出ずに缶コーヒーだけ買って車内に戻り・・・掛けたら面白い光景が見えたのでホームに出てきて撮影に勤しみました(これについては後日別記事で書きます)
11:38 釜石を発車。
車内は私と地元の婆さんと、大船渡の病院に転院した知人の見舞いに行くというにぎやかなオバサン、そして車内販売のおば・・・いやお姉さんの4人だけになりました。車内販売があるのが驚きです。しかもここから先は最も乗客の少なそうな区間になるのに不思議です。

釜石を出発すると名物の大鉄橋を渡ります。
左手には釜石の市街地が見えてきます。ここも震災3年後の訪問時に歩きました。

吉浜を過ぎると案内放送が入り「車窓に風光明媚な吉浜の海の景色がご覧いただけ・・・」ませんw
三陸地方も北海道同様にコロコロ天気が変わるというか、天気予報は晴れでも、風で海霧が運ばれてくるとこのようになります。もっと霧が押し寄せてくると雲海みたいになります。

12:09 恋し浜に到着
ここで3分間の停車をしますとのことで、慌てて列車の外に出ます。

ホーム上の待合室には、何やらいろいろと貼られていました。
遠路はるばるここへやってきて、何かに対する想いを書き綴っているのでしょうか? ご苦労様です。それで想いが実ればこんな安いことはありません。と夢をぶち壊すボヤキを入れて出ます。

この恋し浜の駅なのですが、線路が高い所を通っていて、駅の外に出るには長い階段を下りなければなりません。
とても3分間では無理です、ということで、せっかくホームには降りましたが、駅の敷地外には出れていないので、下車駅としてはカウントされません。残念!

盛川の橋りょうを渡って90度カーブを曲がれば終着の盛に到着します。
線路はここまでとなります。

12:28 盛に到着。
本八戸から6時間15分、222.4km 4,950円の旅が終わりました。

列車を降りた数人の乗客はほとんどがBRTに乗り継いでいきました。
既に下校の高校生などが列を作っていたので、昼間にも関わらず、結構混んでいました。
さて私はこのあとどうするかというと、この旅でここへきて初めての撮り鉄を行いますが、その模様は次の記事で書きます。
なお途中のところで「景色の変化に気付いた人は偉い!」と書きましたが、どう変わったかという答えを書きますと、ヒントは建物の屋根にあります。岩手県の三陸南部にくると、降雪量がほとんどないので、瓦屋根の家が見られるようになり、北側から南下してくると、その変化に気付くと思います。同じ岩手でも東北本線の走る内陸部だともう少し雪が積もるので、スチール屋根が展開する風景となります。
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