隅々まで爽やかなピンクにかげりのない蓮、淀姫 よどひめ。
蓮の花びらの色は中心部が薄くなる品種が多いのですが、これは芯まですっきりと
した色です。
大きさは中輪ほどです。
淀姫は当然 「淀君」 だと思いましたが、調べてみると大きく分けて2つの
「淀姫」 があります。
まず佐賀市大和町にある肥前一ノ宮、與止日女神社 (よどひめじんじゃ)。
海神の国 日本 によると、
肥前国風土記に世田姫 (よだひめ)、一般には淀姫と呼ばれる姫神を祭神とする
神社は、與止日女神社を本社として (必ずしも淀姫神社と称するものばかりでは
ないが) 肥前肥後を中心に16社ほどあり、京都にも与杼神社 (京都市伏見区
淀本町) があるそうです。
そしてもう一つは、秀吉の妻で秀頼の母 淀の方 (茶々) を祀った淀姫神社。
大阪市北区太融寺町の高野山真言宗 準別格本山 太融寺ホームページ や
生国魂神社レポートその2 などによると、
元和元年5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃した淀殿の遺骨は、淀殿の
崇敬篤かった鴫野 (しぎの) の弁天島にあった弁天社の隣に一祠を作って埋め
られた。 これが淀姫神社である。
1877年 (明治10年)、城東練兵場 (現大阪城公園) 造成に当り、豊臣に縁の深い
太融寺に九輪の塔 (戦災に依り現在六輪) を建て境内西北隅に移祀した、との
ことで、淀姫神社ではなくなって墓所になっているそうです。
また弁天社は同時に大阪市天王寺区生玉町の生国魂神社の境内に移転し、境内社
鴫野神社となっているそうです。
この美しい蓮 「淀姫」 はどちらに当たるのでしょうか。
作出や発見に関する情報が何も無いので、残念ですがなんともいえません。
もしお分かりの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。
(千葉市花見川区 東大緑地植物実験所 080719)
ところで 「淀君」 という呼び名ですが、Wikipediaによると、秀吉の妻で秀頼の
母 淀の方 (茶々) は、坪内逍遥が戯曲 『桐一葉』 で 「淀君」 という表現を
用いてから広く普及して一般に定着したそうですが、国文学者田中貴子は著書
『あやかし考』 で 「この 『〜君』 という呼び方には暗に遊女や娼婦を意味する
侮蔑的ニュアンスが強く、江戸時代に彼女をことさらにおとしめ卑しめる意図で
用いられるようになった」 と述べているそうです。
戦後になるとこれが次第に「淀殿」にとって替わられるようになったが、この
呼び名も同時代の史料には一切見られないということです。
(追伸) 2019.5.24 多田哲子さんの情報で、
このハスは京都市伏見区の淀城(淀殿ゆかりの城ではなく、徳川譜代大名稲葉氏の
居城)の堀で確認された蓮であることから京都花蓮研究会が、「淀姫」と命名
したそうです。淀城は徳川家康の甥に当たる松平定綱が入部し、元和9年(1623年)
に築城したそうです。のち享保8年(1723年)に稲葉正知が10万石で城主となって
幕末まで稲葉氏の居城となっていました。
◆梅・さくら・ばらなど花品種と 「公園ランキング」 の
私のホームページはこちら→ 「花の公園 花リスト」
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蓮の花びらの色は中心部が薄くなる品種が多いのですが、これは芯まですっきりと
した色です。
大きさは中輪ほどです。
淀姫は当然 「淀君」 だと思いましたが、調べてみると大きく分けて2つの
「淀姫」 があります。
まず佐賀市大和町にある肥前一ノ宮、與止日女神社 (よどひめじんじゃ)。
海神の国 日本 によると、
肥前国風土記に世田姫 (よだひめ)、一般には淀姫と呼ばれる姫神を祭神とする
神社は、與止日女神社を本社として (必ずしも淀姫神社と称するものばかりでは
ないが) 肥前肥後を中心に16社ほどあり、京都にも与杼神社 (京都市伏見区
淀本町) があるそうです。
そしてもう一つは、秀吉の妻で秀頼の母 淀の方 (茶々) を祀った淀姫神社。
大阪市北区太融寺町の高野山真言宗 準別格本山 太融寺ホームページ や
生国魂神社レポートその2 などによると、
元和元年5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃した淀殿の遺骨は、淀殿の
崇敬篤かった鴫野 (しぎの) の弁天島にあった弁天社の隣に一祠を作って埋め
られた。 これが淀姫神社である。
1877年 (明治10年)、城東練兵場 (現大阪城公園) 造成に当り、豊臣に縁の深い
太融寺に九輪の塔 (戦災に依り現在六輪) を建て境内西北隅に移祀した、との
ことで、淀姫神社ではなくなって墓所になっているそうです。
また弁天社は同時に大阪市天王寺区生玉町の生国魂神社の境内に移転し、境内社
鴫野神社となっているそうです。
この美しい蓮 「淀姫」 はどちらに当たるのでしょうか。
作出や発見に関する情報が何も無いので、残念ですがなんともいえません。
もしお分かりの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。
(千葉市花見川区 東大緑地植物実験所 080719)
ところで 「淀君」 という呼び名ですが、Wikipediaによると、秀吉の妻で秀頼の
母 淀の方 (茶々) は、坪内逍遥が戯曲 『桐一葉』 で 「淀君」 という表現を
用いてから広く普及して一般に定着したそうですが、国文学者田中貴子は著書
『あやかし考』 で 「この 『〜君』 という呼び方には暗に遊女や娼婦を意味する
侮蔑的ニュアンスが強く、江戸時代に彼女をことさらにおとしめ卑しめる意図で
用いられるようになった」 と述べているそうです。
戦後になるとこれが次第に「淀殿」にとって替わられるようになったが、この
呼び名も同時代の史料には一切見られないということです。
(追伸) 2019.5.24 多田哲子さんの情報で、
このハスは京都市伏見区の淀城(淀殿ゆかりの城ではなく、徳川譜代大名稲葉氏の
居城)の堀で確認された蓮であることから京都花蓮研究会が、「淀姫」と命名
したそうです。淀城は徳川家康の甥に当たる松平定綱が入部し、元和9年(1623年)
に築城したそうです。のち享保8年(1723年)に稲葉正知が10万石で城主となって
幕末まで稲葉氏の居城となっていました。
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とてもきれいな花です。
どうやって撮ったのかな?
素敵に撮れていますね。
淀姫の名にふさわしい花ですね。
お元気にご活躍のようで嬉しく思います
涼しげな蓮のはなが綺麗にupされましたね
透き通るようなピンクの花びら薄い縦線・・
拝見しているだけで涼しさが感じられます
淀姫・・ですか?名前も素敵ですね
これからの猛暑をお大切にお過ごし下さい
国蝶オオムラサキに出会う機会がありました。
とはいえ特に工夫したのではなく、無心で撮ったのでした。
朝早くでかけたので、神様が陽射しを当ててくれたのでしょうか。
オオムラサキの写真を拝見しました。
素晴らしいですね。
あんなシーンはなかなか見ることができません。
うらやましいですね。
京都市伏見区の淀城(淀殿ゆかりの城ではなく、徳川譜代大名稲葉氏の居城)の堀で確認された蓮であることから京都花蓮研究会が、「淀姫」と命名しました。廃城後の1885(明治18)年に植えられたとされますが諸説存在するようです。
花の大きさは30cm近くにもなり、全体が桃色で弁の内底にも紅が入ります。花つきは非常に良好です。
以上、日本に4人しかいない花蓮マイスターの一人で京都花蓮研究会の金子明雄氏からの情報です。
京都市伏見区の淀城(徳川譜代大名稲葉氏の居城)の堀で確認されたハスなんですね。意外でした。
本文を一部修正したいと思います。