花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

GWに ミッキーマウスプラント

2014年04月30日 07時15分15秒 | 草木の実、キノコなど      
赤い萼片と、うす緑から黒く熟す実がミッキーマウスを思わせる、その名も
ミッキーマウスプラント (またはミッキーマウスツリー)。

面白い名だと思っていましたが、実を見てようやくその意味が分かりました。
南アフリカ原産、オクナ科オクナ属の常緑低木で、学名 Ochna serrulata。
英名は Bird's eye bush, Mickey Mouse plant、Mickey Mouse bush。
オーストラリアの庭では一般的だそうです。
       (茨城県つくば市 筑波実験植物園温室 2014年4月26日)

       

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4年越しの キエビネ

2014年04月29日 08時13分35秒 | らん    
木陰に黄色の花穂が群れる、キエビネ (黄海老根)。 
ラン科エビネ (カランセ) 属、学名 Calanthe striata または Calanthe sieboldii。
(筑波実験植物園プレートの citrine は RHS のラン品種名リストにはありません。)

先日川口で撮って、前に筑波で撮ったものがあるはずと思って探しても見つかりま
せん。3日前筑波へ行ったとき、確かに咲いているのを確認してきました。ふと
ランは学名で仕分けていたことを思い出し、Calanthe で調べると、あった~!!  
花盛りの写真が残っていました。何と4年も前のものでしたが、すばらしい花の
状態です。

エビネに似た形態ですが、植物体が大きく、花が黄色です。本州島根県以西、
紀伊半島、四国、九州に分布しますが、絶滅危惧ⅠB類 (EN=近い将来における
野生での絶滅の危険性が高いもの) に指定されています。

       (茨城県つくば市 筑波実験植物園 2014年4月26日、2010年5月2日)
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)


            夏まだし キエビネ涼しき木陰なり   rocky



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上3枚は 筑波実験植物園 2010年5月2日。

これは 筑波実験植物園 2014年4月26日。まだこれからですね。


最後は 川口グリーンセンター 2014年4月17日。
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遅咲きのサクラはまだ楽しめる

2014年04月28日 07時32分46秒 | さくら    
日本花の会結城農場では、遅咲きのサクラがまだ楽しめます。これは
紅玉錦 べにたまにしき。

八重咲きで、白と淡紅色の花びらが混じる感じです。北海道松前町の
浅利政俊氏が、1963年に八重霞桜に里桜を交配して育成した品種で、
蕾が紅の玉をつけたようになり、また花も球状になることから命名
されたそうです。(参考:日本花の会桜図鑑)

       (茨城県結城市 日本花の会結城農場 2014年4月26日、
                         2012年4月30日)

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メインは2014年4月26日、下3枚は2012年4月30日。






これは松前花染衣の落花。2014年4月26日。


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「戦陣訓の呪縛」 は必読の書

2014年04月27日 23時14分36秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
「戦陣訓の呪縛-捕虜たちの太平洋戦争」 ウルリック・ストラウス著、吹浦忠正監訳、
中央公論新社 2005年。

戦陣訓の有名な一節、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」 
について、それがどれほど日本軍の行動を呪縛していたか、多くの日本兵捕虜たちの
証言や回想録に基づいて解説しています。

ほとんどの者が、捕虜となったことを許されない汚辱と感じ、もはや祖国から見捨てられ
た、親兄弟郷友に顔向けできないと深く悩み苦しんだそうです。

「自分が捕虜になれば家族に直接的に深刻な影響が及ぶと日本兵たちは信じていた。
自分の恥辱のために家族や近親者が村八分にされる。それは集団志向の社会において
最悪の運命である。」(81p)  そして
「すぐに捕えられるというわけでもないのに、集団ヒステリーによって自決する日本兵も」
(81p) 少なくなかった。
「大半の日本人捕虜にとって、捕虜となった事実は、家族に知られたくないことの最たる
ものであった。中には、自分が捕虜の身分であることを家族に知らせないと約束すること
を条件に、尋問官の問いに何でも進んで答える者さえいた。」 (168-169p) 

戦陣訓は法令でも勅語でもなかったのですが、軍隊にとっては重要な意味を持っていま
した。司馬遼太郎は、『戦陣訓』 が自分の部隊では一顧だにされなかったと個人的体験
を述べ、マスコミが煽っていただけであると主張したそうですが、ストラウス氏は丹念な
取材により、戦陣訓の言葉がいかに日本兵の思考と行動を束縛していたかを明らかに
しました。

日本が捕虜に関するジュネーブ条約に調印しながら批准しなかった最大の理由は、日本兵
は投降しないが欧米の兵は捕虜となるので、捕虜を丁重に扱うことは日本にとって一方的
な負担になる、損であるということでした。(45p) 
戦陣訓で捕虜となることをこの上ない恥辱として許さず、捕虜となった場合の権利や振舞い
方も教えず、足手まといの負傷兵は捕虜とならないよう自決させ、敵に被害を与えること
すらできない集団自決やバンザイ突撃が当然視され多発する結果となりました。人倫の
限度を超えた特攻や全員玉砕はその究極の形に過ぎないのでした。
また敵方の捕虜を虐待し侮蔑的に扱ったことは、それと表裏の関係になるわけです。

不運にも捕虜になった兵の詳細情報を、ジュネーブ条約を守る連合軍から通知されていた
のに、大日本帝国は家族に知らせることなくこれを無視し、一方で靖国神社には除外して
お祀りしませんでした。真珠湾に突入した特殊潜航艇の乗組員10名のうち9名だけが軍神と
讃えられたのは、1名が太平洋戦争の第1号の捕虜になったことを通知されたからでしょう。
(実際にはその9名がどう戦ったかについても、今でも全く分かっていないのですが)。

こうした日本のやり方は、司馬氏のように個人として戦陣訓を知っているかどうかではなく、
大日本帝国が国策として捕虜となることを禁じ、捕虜蔑視を推進したということを意味し
ます。そのことによって兵隊の人命を軽視し、赤紙で招集した人命を消耗品のように扱った
ということこそが問題なのです。

戦後70年を来年に控える今日にあって、戦陣訓を再評価し、戦陣訓は良いことを言って
いる、というような文言の解釈や、東條氏を有罪にするために戦陣訓に関する東條個人
の役割を過大評価している、といった東條擁護のための論陣を張る人たちは、ストラウス
氏の著作に学んでほしい。氏は、戦陣訓は 「国家主義が高揚する当時の風潮にぴたりと
合い、その内容は確実に受け入れられた。国民に国家への限りない奉仕と、美化された
死を要求した」。(346p) と結論します。

制作過程は確かに東條陸軍大臣個人の創作・強制ではありませんでしたが、戦陣訓
は日本人の古くからの観念に明確な形を与え、日本軍の行動を呪縛したのです。国に
命を捧げた兵士たちのために靖国神社にお詣りすると主張する人たちは、こうした
歴史的経緯を知りたくない、目をつぶっていたいと思っているのではないでしょうか。
愚劣な戦争指導を行った者たちを根底から批判し神々の座から追放しなければ、兵隊
さんは安心して眠れないと私は思います。

また天皇陛下との関係性についても、日本兵で絶命の際に 『天皇陛下万歳』 と叫ぶ
というのは 『1万人に一人』、あるいは 『2万人に一人でも多すぎる』 と複数の捕虜
が供述したとあります。(80p)
「数十年を経て戦争や捕虜の体験を語る際に、元日本兵たちは、当時もっぱら考えて
いたのは自分の住んでいた場所や肉親、特に母親のことだったと回想している。」
そうです。
 
戦争の実態を知る上で、教えられることの多い、貴重な書物です。
       (わが家で  2014年4月27日)


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初めて見た九輪草 キバナも

2014年04月27日 07時09分08秒 | ピンク・うす紫の花 
初めて見る濃いピンクのクリンソウ (九輪草) が花盛りになっていました。
北海道~本州、四国の山間部に分布する宿根草で、サクラソウ科サクラソウ属、
学名 Primula japonica 。

花が花茎を中心に円形に数段重なる様子を五重塔の九輪に見立てて名づけられ
たもの。普通のサクラソウは学名 Primula sieboldii で、シーボルトの名が
つけられています。

別のところに花色が黄色のキバナクリンソウ (黄花九輪草) も咲き始めました。
学名 Plimura helodoxa 。中国南西部の高地原産。 

違いは花色だけでなく、クリンソウは冬に葉が枯れて宿根しますが、キバナ
クリンソウは常緑で越冬します。また高地の原産なので暖地では夏を越させる
のが難しいそうです。
       (茨城県つくば市 筑波実験植物園 2014年4月26日)


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下3枚がキバナクリンソウ。




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アメリカ産のスミレから

2014年04月26日 06時02分27秒 | 白・淡い黄の花 
白のビオラが大群落になっていました。プレートはありませんが、
ビオラ ソロリア・スノープリンセス らしいです。学名 Viola sororia 'snow princess'。

Viola sororia は英語名を コモン・ブルーバイオレット common blue violet という一般的
なスミレで、アメリア北東部原産です。その園芸品種の白花になります。

こんなに大群落になっているのはすごいですね。地下茎と種でも増殖するようです。
       (埼玉県川口市  川口グリーンセンター 2014年4月17日)

 
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ギョリュウの西洋種かも?

2014年04月25日 14時38分45秒 | ピンク・うす紫の花 
桶川市の真言宗豊山派医王院の塀の上からみごとなピンクの花房が見えます。
毎年通るので気になっていましたが、今日は思い切って撮ってきました。

シモツケを細長い花房にして、たくさん一度に咲かせたような賑やかさです。
撮っているうちに、おそらくギョリュウの仲間だと思いましたが、しかし
花付きがあまりに見事なので、以前 A&W で見たギョリュウとは違うようです。

あれが一般の中国原産のギョリュウ (ギョリュウ科、学名 Tamarix chinensis)
とすれば、これはたぶん
テトランドラ T. tetrandra (ヨーロッパ南東部、西アジア原産) または 
ペンタンドラ T. pentandra (南東ヨーロッパ、中央アジア原産) かと
思いますが、葉や枝をよく撮ってこなかったので確定できません。
       (埼玉県桶川市 医王院 2014年4月25日)

追記: 薬王院は医王院の誤記です。訂正しました。(4月26日)


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花房の先に葉が写っていました。
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繊毛のある ビフレナリア

2014年04月24日 09時12分40秒 | らん    
川口グリーンセンターの観賞温室にたくさんの株が咲いていた、ブラジル原産の
着生ラン、ビフレナリア Bifrenaria。

この花色はおそらく ビフレナリア・ハリソニアエ Bif. harrisoniae でしょう。

花びらは分厚くロウのような質感で花もちが良く、細かな短毛があり、香りも
あります。
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)


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白雪ケシの茎からは

2014年04月23日 09時12分13秒 | 白・淡い黄の花 
川口グリーンセンター野草園に見慣れない白い花が咲いていました。
これはシラユキゲシ (白雪芥子) 、ケシ科シラユキゲシ属、学名 Eomecon chionantha。

中国中部・南部各地原産で日本各地に帰化しているようです。
中国名を血水草、英語名 スノーポピー snow poppy、ダウンポピー dawn-poppy。 

4弁一重の白花で、中国名のように、茎や花柄などを切ると橙色の汁が出て、やがて
赤褐色に変わるそうです。
   
また全草に薬効があり、解毒・止血・湿疹・咬傷・肺結核・喀血などに効能があると
されますが、毒性が強いそうです。 (参考: 百度百科ほか)
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)


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「天皇と特攻隊」 批判

2014年04月22日 22時08分31秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
またまた特攻隊関連で、「天皇と特攻隊」 太田尚樹 (講談社、2009)。

冒頭から特攻隊についての昭和天皇の関わりを解き明かします。天皇は
特攻に批判的だったとしています。

昭和19年10月26日、及川軍令部総長のレイテ作戦結果奏上の第5項目で、
神風特攻隊敷島隊の戦果が報告されるまで、天皇は特攻作戦については
ご存じなかったようです。
陛下は 「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった。」
(20p) と仰せになり、そのお言葉は軍令部から全軍に発信され、セブ島で
中島正中佐 (「神風特別攻撃隊」を猪口力平と共著) が電文を読み上げた
ということです。

その後、10月30日の米内海相上奏のさいに天皇が 「かくまでせねばならぬ
とは、まことに遺憾である。」 「神風特別攻撃隊はよくやった。隊員諸氏
には哀惜の情にたえぬ。」 と仰せたことを参照して、「まことに遺憾である。」
の言葉が及川総長のときにも出ているのではないか、電文はそれを省略
したのではないか、と推測しています (21p)。
しかし日本語としては最後に言われることが最も重要で、最後に 「よくやった」
といえばお褒めの言葉と受け取るのは当然です。もし陛下が非道な作戦と
考えたなら、これきりで止めよと言えば良かったのです。

実際に米内上奏の前に、陛下には及川総長上奏の補足資料として10月28日に
「神風特攻隊御説明資料」 が提出されており、そこには
「本特攻隊が帝国海軍従来の特別攻撃隊または決死隊と異なります点は、
計画的に敵艦に突入致します関係上、生還の算絶無の点で御座います。
本計画は最初第一航空艦隊の戦闘機のみにて編成いたしておりましたが、
現在では各隊、各機種に及ぼしつつある模様で御座います。」 (25p、原文
カナまじり) と書いて、特攻が生還絶無の極めて特殊な作戦であることと
その拡大を示唆しているのですから、これをそのままにしたということは
特攻作戦の継続拡大を了承したということに他ならないでしょう。

保阪正康氏が著書 『特攻と日本人』に引いた、陸軍侍従武官吉橋戒三の日記
(未発表、1945年1月7日) に、陛下が特攻の戦果をたいへんお喜びになった、
とあるのは本当らしいと思えます。

では太田氏自身は作戦としての特攻を批判しているのかというと、どうも
そうではないようで、なんとか大西中将を弁護したい気持ちがあるようです。
「舞台作りから実行までをやってのけた大西を、ただの暴将、狂気の軍人と
いう評価で固定できないのは当然だろう。それは死んだ隊員の、苦悩の極地
を超えて達した崇高な決意を冒涜するばかりか、特攻の本質を語ったことに
ならないからである。」 (232p)
作戦指導者の独善を批判することがなぜ特攻隊員を冒涜することになるので
しょうか。そんなことを言えば、戦争指導者や作戦指揮者に一切何の批判も
許されなくなってしまいかねないでしょう。

大西中将が毎日新聞記者・戸川幸夫に語った、
「いったん敗北して、そこから新生日本を作り出す。それには特攻を出す
ことによって、国民にその旺盛な士気と自信を自覚させる。その力が戦後
のたてなおしに不可欠なのだ。」
という言葉を引いて、「彼 (大西) の思考を支配していたのは、あくまで
戦後の新しい日本の復活であった。」 (225p) と評価します。
しかし大西中将は終戦のご聖断の前後でさえ戦争続行・2000万特攻を主張
しており、「最後には天皇までも道連れにしようと考えて」(241p) いたほど
で、それでは日本を再建すべき日本人が誰もいなくなってしまいかねま
せん。特攻を新生日本の自信にしようなどいうのは取ってつけた理屈に
過ぎず、自分の作戦をあくまでも推進したいという我執以外の何物がある
でしょうか。
切腹時の遺書も、すでに散華し神となった (はずの) 隊員に対して敬語を
使うわけでもなく、生き残った者には命令口調でいかにも偉そうであり、
同情するに値しません。遺書に、特攻隊の英霊に対し、
「最後の勝利を信じつつ 肉弾として散華せり
 然れどもその信念はついに達成し得ざるに至れり」
とあるけれども、特攻の戦果はほとんど得られなくなっていたことは
大西氏自身よく知っていたはずで、終戦の大詔ではじめて 「達成し得ざる
こと」が分かったというのでしょうか。唾棄すべき傲岸不遜・我利独善の
狂人と断定して差支えないでしょう。

そもそも、アメリカがまさかと思った初期の戦果はともかく、後は鈍足の
飛行機なのに援護もなくほとんど撃墜されるばかりの特攻で死ぬことが、
どうして国民の自信になるのか、私にはまったく分かりません。

太田氏は、「特攻隊員たちの飛行時間はせいぜい二百時間であり、それを
どう活用するかは、経済学理論に通じる側面を持っていた。(234p)」 と
書いています。これほど無神経な議論もないでしょう。特攻隊員たちの
飛行技術が十分でなかったのは、訓練もままならず飛べるようになった
側から次々と特攻させたせいであり、指揮官や戦争指導部の責任でなくて
何でしょうか。それなのに、未熟だからと若人の命を経済的砲弾として
数えるなどは、死者を冒涜すること極まりないと思います。日本は人を
大切にしない精神主義でこそ敗北した、と私は思います。

「あえて無理をやってのけた事実は、好悪は別にして、日本人の自信に
つながっていることも認めざるをえない。」(254p) と太田氏は結論します
が、私にはそんなことで自信を持つとは考えられません。そうした論理
が大西中将だけでなく特攻を承認し終戦時まで継続させた戦争指導部の
責任を免罪することになるならば、まったく許されないことです。

特攻隊員たちの精神はまことに崇高です。しかしそれを悪用した、人命
を軽視するお偉方の精神主義では絶対に勝てない、ということを日本人
が確信したのは確かでしょう。
ところがこの頃そうした精神主義を賛美する傾向があるようです。太田氏
のこの本も、好意的評価に傾いているのは残念です。
       (わが家で  2014年4月22日)


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早咲きの牡丹 満堂紅

2014年04月22日 07時32分01秒 | 牡丹・芍薬   
中国系らしい早咲きの牡丹、満堂紅 まんどうこう (マンタンホン)。

この品種もありままったく情報がありません。
同名のシャクヤクは鮮やかな赤紫ですが、こちらは中心がやや淡い赤紫色
で、外側から白っぽく褪色するようです。品種名とは合わないですね。
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)


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マルメロの花を見つけた

2014年04月21日 08時31分13秒 | 白・淡い黄の花 
川口グリーンセンターの洋館前に、遠目には白花ですが、近づいてみると
白地に淡いピンクのぼかしが入った、可愛らしいマルメロの花が咲いて
いました。バラ科マルメロ属の落葉高木で、学名 Cydonia oblonga。

イラン、ウズベキスタン、トルキスタンなど中央アジア原産で、一属一種
です。果実が洋ナシ型でカリンに似ていて、カリンとも呼ばれることが
あるそうですが、普通のカリンはボケ属 Chaenomeles (またはカリン属
Pseudocydonia とする説あり) です。

マルメロの果実は緑色で灰色~白色の軟毛(大部分は熟す前に取れる)
で覆われるそうで、生食はできないが、カリンと同様果実酒や蜂蜜漬け、
ジャムなどにして食べます。「マーマレード」 は、もともとはマルメロの
皮から作ったことからその名前がついたそうです。
 
属名 Cydonia (シドニア、キドニア、また Kydonia) は、地中海のクレタ島
(ギリシャ) の古都の名にちなむもので、また女神アテネの姓だとのこと
です。oblonga は 長楕円形の、つまり洋ナシ型の、という意味です。 
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)

    
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遠目にはちょっと地味ですが・・・

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雪のような、白い餅を持つ花

2014年04月20日 08時05分07秒 | 白・淡い黄の花 
苞のなかに真っ白な雪を包んでいるような、ユキモチソウ 雪餅草。

サトイモ科 テンナンショウ属、学名 Arisaema sikokianum 。近畿、
四国に分布し、sikokianum は四国のことです。
マムシグサの仲間で、花の外側の仏炎苞 (ぶつえんほう) の中に白く
先が太いスリコギのようなものがあり、それを餅に見立てたのが名前
の由来だそうです。プレートにユキモチソウとあり、雪を持つ草かと
思いましたが餅でした。 絶滅危惧種Ⅱ類です。

イー薬草.com によると、 
「地下にある球根 (球茎) が十分に成長するまで (中略) 雄花が咲く、
だんだん球根 (球茎) が成長するとトウモロコシに似た雌花を付けて
結実して球根が痩せ、次の年には雄花をつける」
という不思議な性質を持っているそうです。 
雌花は未熟なトウモロコシのような形状で、緑色をしているそうです。

また Orchid Place によると、
「ユキモチソウは雌雄両性の植物で、栄養状態が良ければ雌株となり、
栄養状態が貧困だと雄株となる性質がある。雌雄異株のため、繁殖には
雌株と雄株が必要となる。」
とのことです。
雪餅草は球根ですが殆ど子イモができないし、分球もしない、ということ
はタネでしか増えないわけです。

雌株と雄株ができる仕組みは、イー薬草.com と Orchid Place の表現
は似通っていますが、どちらが正確なのか分かりません。
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)


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川口では牡丹も

2014年04月19日 07時37分32秒 | 牡丹・芍薬   
川口グリーンセンターではもう牡丹が花盛り。中国系の品種が早咲き
のようです。

これは桃花飛雪 とうかひせつ、と読むのでしょう。おそらく中国系
の品種でしょうが、中国語の情報も全く見つかりません。

中心が淡桃、外側がほぼ白という花色から名付けたものでしょう。
咲き進むと全体が白く退色するようです。
       (埼玉県川口市 川口グリーンセンター 2014年4月17日)

   
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特攻は志願ではなく、軍の公式な作戦だった

2014年04月18日 22時42分39秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
予約しているのになかなか 「永遠の0」 の借り出し順が来ないのですが、
特攻に関する本を読んでいます。
今日は 「」 三村文男著 (MBC21、平成8年=1996)。

三村氏は、神風特別攻撃隊のいわゆる創設者とされる大西海軍中将を、
本当は 「神を信じない」 俗物と評し、「神なき」 というタイトルを
つけたようです。

1945年東京帝大卒業の三村氏は特攻で死んだ多くの友を持ち、本書中
にも登場します。
「憂国の思いもだしがたく、志願して特攻出撃する若人たちが輩出した
ことは、帝国陸海軍最大の栄光として、万世に記憶さるべきことである
と私は信じていた。そういう称賛の言葉は、戦中のみならず、今も多い。
(中略) だが特攻が命令でなされたとすると、全てが裏返しになってし
まう。(中略) 帝国陸海軍の行為は、人間の尊厳を冒涜する犯罪だった
ということになるのだ。」 (23-24p)

特攻は命令だったのか、純粋な志願だったのか、ということについて
は本書にも記載がありますが、実際には関大尉率いる神風特別
攻撃隊敷島隊の特攻が実施されたレイテ沖海戦 (1944.10.25) より
半年も前に特攻作戦が検討され、特攻専用兵器の開発までが進めら
れていたのでした。

「史伝:真珠湾攻撃-ミッドウェイ海戦-特攻」 によれば、海軍では
「S19.4.4にすでに軍令部第二部長 (軍備担当) 黒島亀人が第一部長
(作戦担当) の中沢佑に作戦上急速実現を要する兵力として特攻兵器
『体当り戦闘機』 『人間魚雷回天』 などを提示し、これを受けて同年
6.27日、海軍特攻兵器推進掛 (後に特攻部になる) が設置されている。」
そうです。 
また Wikipedia によれば、日本陸軍の特攻兵器開発はもっと早く、
1944年春に陸軍中央で航空関係者が特攻の必要に関して意見が一致し、
四式重爆撃機と99式双発軽爆撃機を改修して特攻兵器にすることに
決定、さらに同年5月には体当たり爆弾 (桜花) の開発のため第三陸軍
航空技術研究所に特別研究班を設けています。

また大西中将が命名したという神風攻撃隊、敷島隊、朝日隊の名称は、
中将が昭和19年10月17日にマニラに赴任し特攻隊を創設するより前
の13日に、海軍軍令部の源田実中佐の大西中将宛て電報案の中にあっ
たことが指摘されています。(柳田邦男 「零戦燃ゆ」 1985、文藝春秋より)
海軍では大西中将が創案したという伝説が流布され、その 「サディスト」
的性格 (三村氏) により特攻作戦を最後まで推進したことは確かです
が、事実はあらかじめ軍中央部が計画した作戦だったことは明白です。

特攻を行った人たちの手記は、どれも涙なしに読むことはできません。
なぜこのような非人間的な作戦、しかも戦果の期待できないことが分か
っている作戦を実施したのでしょうか。多くの、純粋な精神が悲運に
斃れなければならなかったことに怒りがこみ上げてきます。最後は
国民全員の 「1億特攻」 などということが冗談ではなくマジメに呼号
されたのでした。

特攻は志願制という建前でしたが、「戦闘集団の中にいて、特攻に
志願するかしないかと問われれば、殆ど踏み絵検査を掛けられたに
等しく、反対をすることはまず不可能であったであろう。組織する
側もそのことを見越していたに違いなく、したがって、志願制という
名目ではあったが本質は命令であった。」 というのは慧眼であると
思います。(前掲 「史伝:真珠湾攻撃-ミッドウェイ海戦-特攻」) 

三村氏の舌鋒は鋭い。「人間を砲弾代わりにすることは、人格の尊厳
を否定することである。動機の崇高な志願といえども、人間を道具と
する特攻は、志願すべきではなかった。志願を許すべきものでもなか
った。」 (59p)
「結論として私は特攻命令者を殺人罪で告発する。」(67p)
  
そしてさらに、戦後になって特攻作戦を弁護する秦郁彦氏 (「昭和
天皇5つの決断」) に対し、「レイテ戦のような戦勢不利な局面に
立ちいたれば司令官は誰でも殺人鬼になるというのが特攻必然的
帰結論で、(中略) そう考えておられるなら、特攻殺人の事後従犯
というべきだ。」 (75p) として告発し、また大西中将をある程度
評価する草柳大蔵氏 (「特攻の思想」) を否定します。

三村氏は本書後半で大西氏の遺書や切腹したことを通じた性格分析、
果ては山本五十六大将は凡将だったとか、いろいろと書き連ねてい
ますが、これらはすこし蛇足の感があります。また特攻作戦に反対
だった将校が意見をしたことを無視した軍上層部を批判しています
が、本当の責任者は誰だったのか、その分析が弱いと思います。

真の責任者は誰だったのでしょうか。陸海軍を一手に統帥する
大元帥であった昭和天皇は、作戦としての特攻を否定されたので
しょうか。

「昭和天皇の作戦容喙 (関与) と戦争責任を考える」 によると、
1944年10月25日のレイテ戦における敷島隊による戦果は翌26日に
及川 (海軍) 軍令部総長から上奏され、昭和天皇から 「そのよう
にまでせねばならないのか、しかしよくやった」 とのお言葉が
あったとされています。
同様の言葉は10月30日の米内海相に対するものという説もありま
す。この言葉はさっそく前線に布告されたといわれます。(原典未確認)

これについては、無理な作戦をしなければならないことに対する
叱責とする見解や、そもそもそう言ったかどうかについて否定的な
見解があります。しかし大西中将の部下であった猪口力平の 「神風
特別攻撃隊 (中島正と共著) 111~112p」 でも語られているほか、
戦史研究家の保阪正康氏は、著書 『特攻と日本人』 の中で陸軍侍従
武官吉橋戒三の日記 (未発表、1945年1月7日) として、
「夕刻、右戦況其ノ他ニ関シ上奏ス 体当リ機ノコト申上ゲタル所
御上ハ思ハス最敬礼ヲ遊ハサレ 電気ニ打タレタル如キ感激ヲ覚ユ
尚戦果ヲ申上ゲタルニ 『ヨクヤツタナア』 ト御嘉賞遊サル 日々
宏大無辺ノ御聖徳ヲ拝シ忠誠心愈々募ル」
と記しており、お褒めの言葉があり、それが布告されたと考える
のが妥当のようです。

いずれにせよ報告を受けたはずの天皇は 「そんな馬鹿げた戦い方
はやめよ」 とは言っていないわけで、特攻戦死は特別に2階級特進
という措置が終戦まで続いていることもあり、陛下も承知された
価値ある作戦として推進されていたものと思わざるを得ません。

三村氏の怒りが軍上層部の一部の将官個人に向いているらしいの
は惜しいことです。氏は「特攻は日本人の伝統的価値観からも、
決して許容できない異端のパラダイムであった。」 (217p) と言い
ながら、歴史をひもといて 「特攻精神は日本だけのものではなかっ
たのである。普遍性があったということである。区別すべきは
特攻を作戦に組み込んだ帝国陸海軍の上級指導者たちの外道こそ
が、戦争末期の日本だけに特異なものであって、普遍性のないもの
であったということだ。」 (231p) と結論します。

しかしもっと戦争全般に目を向け、日本の戦争指導者の一部だけ
でなく、天皇を含む指導部全体に、また戦争そのものの狂気に目を
向けたならば、「作戦としての特攻」 の犯罪性を追及するこの書
の意義はさらに高まったであろうと惜しまれます。
       (わが家で  2014年4月18日)
    

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