花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

華やかなポートランド、ジョアジーヌ アネ

2014年05月30日 07時05分38秒 | ばら     
ミディアムピンクに紫色が射す八重のポートランドローズ、ジョアジーヌ アネ 
(ジョアシン アネ) Joasine Hanet (Portland, Damask Perpetual, Hybrid Perpetual)。

ボタンアイを持ち、ダマスクの強い香りがあり、二季咲きです。 この名前は人名
と思いますが、どういう人か全くわかりません。

登録名、Exhibition name は Joasine Hanet ですが、古い品種でいろいろな別名が
あります。
  • Aunt Sally (サリーおばさん)
  • Glendora (グレンドーラ、グレンドラ )
  • Portland from Glendora   • The Portland from Glendora
  • Kew Cemetery Portland (Australia)
  • Johasine Hanet   • Jasine Hariet   • Joasane Hanet

作出者  フランス  ヴィベール Jean-Pierre Vibert 1847年。
       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘  2014年5月17日、
                        2013年5月14日、2011年6月3日)

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上2枚は 佐倉草ぶえの丘 2011年6月3日。

これは 2013年5月14日。


下2枚は 2014年5月17日。


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対米通告の遅れは大使館の責任にあらず

2014年05月29日 21時54分08秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
日米開戦時の通告が遅れた原因を究明し、在米大使館の不手際だという通説を徹底的に批判した
決定版、「開戦神話 対米通告はなぜ遅れたのか」 井口武夫 (中央公論新社、2008)。

まず、通説で対米宣戦通告とされる文書は、ハーグ条約に規定する宣戦通告の文書になっていま
せんでした。それは、当時の外務省アメリカ局長山本熊一氏の12月3日付原案結語に、日本と
しては 「交渉を打ち切るの已む無きに至れること並に将来発生すべき一切の事態に付ては
合衆国政府に於てその責に任ずべきものなる旨合衆国政府に厳粛に通告するものなり。」 と
あったものを (150p)、翌日12月4日の大本営政府連絡会議で末尾を削除したことで明らかです。
これにより、外交関係断絶でも開戦通告でもない、ただの 「交渉打ち切り通知」 になってしまった
ということです (152p)。

なぜ削除したかというと、真珠湾奇襲を成功させたい軍部の意向が強く働いたわけです。
また、その通知文書の対米交付が真珠湾攻撃後になってしまった原因は、幾つもあります。

① まず在米大使館側に開戦意図を厳重に秘匿し、「戦に勝つ為に外交を犠牲的にやれ」(杉山メモ)
 というくらいで、まず味方を欺くというのが基本方針であったこと (56p)。通告文を読んでも開戦
 通告とは分からないというのが実態で、アメリカは、通告時間が遅れたことよりも、「通告文書に
 は戦争又は武力攻撃ないしそのヒントが何も示されていない」 ことを特に非難しています。(161p)
 これはルーズベルト大統領が議会に参戦を求める演説でも強調されていました。

そして、14部に分割された通告文書の遅れの問題になります。
② 交付時間が真珠湾攻撃の1時間前から30分前に繰り下げられました。次に、
③ 1~13部は東京中央電信局から7日午前0時20分までに送信終了したが、1~13部には電信中に
 175字にのぼる誤字脱字が生じており、在米大使館では修正文を受領してから清書することに
 した。
④ ところが修正文は15時間後の第14部の直前にしか送信されなかった。
⑤ 最後の第14部は午前1時ころに送信しワシントン時間12月6日午後3時頃には在米大使館に届く
 はずだったが、なぜか日本時間7日午後4時まで15時間も発信が保留された。(167p)
⑥ 在米大使館では10数時間待って、明け方3時になってもまだ第14部が来ないので、係員を休養
 のため一時帰宅させた。
⑦ ちょうどそのころ、ルーズベルト大統領からの天皇宛親電が出たとの報道がなされ、日本には
 7日正午に親電が入信したが、陸軍参謀本部電信係戸村盛雄により留め置かれ、10時間も天皇へ
 伝わらなかった。(この親電は解読しやすいようもっとも簡単な暗号で組まれていたという。)
⑧ この間に親電を解読し瀬島参謀らが読んだが、大統領は天皇に直接回答を求めているので、
 ハルノートへの回答として作成した通告文書では不十分になると考えた。
⑨ それで最後の第14部の末尾を勝手に手直しし、午後4時に発信させた (218-219p)、

というのが井口氏の見解です。この ⑧⑨ は井口氏の新見解ですが、大変に説得力があります。

⑩ 最終的には、明け方まで待って一時帰宅させた大使館員の出勤時間を遅らせたため第14部と
 訂正部分の解読開始が来信の1時間ほど後になり、解読機の破壊命令により解読機が1台しか
 なかったこと、米人タイピストを使うなとの本省の指示、などが重なって、手交時間が真珠湾
 攻撃時間を過ぎてしまったわけです。

しかしそもそもイギリスには宣戦通告をしようともしていませんし、なぜ秘密保持上も時間管理上
も安全確実な在日アメリカ大使に手交しなかったのか、も井口氏は疑問としています。奇襲を成功
させるためギリギリの綱渡りをさせられ、しかも在米大使館は本国の開戦意向も開戦日時すらも
知らなかったのです。在米大使館を責めるのはお門違いです。

結局、東京裁判対策のために、すべてを現地大使館の不手際として責任をかぶせ、それが神話と
なったのでした。それは今でも根強く生き残っていて、訂正は容易ではありません。

日本の指導部はなぜこんなに出鱈目だったのでしょう。このような隠蔽体質が厳然として生き残っ
ているから、福島原発事故が起きたのでしょうし、集団的自衛権も、再びアジア・太平洋戦争の
ようなことにならないとも限りません。
        (わが家で  2014年5月29日)
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オレンジ・モス は2つある?

2014年05月29日 07時22分32秒 | ばら     
苔の色までオレンジがかる (はずの) モスローズ、オレンジ モス Orange Moss (Moss) 。
花色はオレンジブレンドで、微妙な濃淡が出ます。一季咲きです。

しかし佐倉の株の苔はどう見ても緑色で、HMFの何枚もの写真にあるオレンジ色の苔
とは全く違います。薔薇図鑑 ~Rose Collection~ によると、作出は日本・小川次朗
(作出年記載なし) となっていて、その写真はおそらく横浜イングリッシュガーデンの
ものと思われますが、これも苔の色は緑色です。Moore 氏のOrange Moss とは違うかも
しれません。  
もし小川氏の作出としても下記ムーア氏の1958年より古いことはないでしょう。同名
で同カテゴリーというのはバラの命名としてルール違反です。小川氏の経歴なども全く
不明で、確認のしようがありません。

作出者  アメリカ  Ralph S. Moore  1958年以前。
または  日本    小川次朗  作出年不明。
       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘  2014年5月17日、2013年6月1日、
                               2013年5月14日)


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上2枚が 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日。

下2枚は 2013年6月1日。




これは 2013年5月14日。

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保阪正康氏の考えに共鳴

2014年05月28日 22時46分05秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
福島原発事故と太平洋戦争敗戦、2つの失敗に共通するものを考察する、
「昭和の戦争と独立」 保阪正康 (山川出版社、2013)

保阪氏は、「日本の科学技術の敗北」、「非常時に弱い日本の組織」、「恐る
べき楽観主義」、2つともにあった「想定外」など、いろいろな視点から2つ
の失敗の原因を分析します。

私がこの本で認識を新たにしたことの第1は、「沖縄戦は本土決戦だった」 と
いう歴史認識を持つべき、という保阪氏の主張です(120p)。
確かにそうです。私たちはついつい本土決戦の前に終戦の御聖断があった、
という定式を信じていますが、それだと沖縄は本土ではなかったということに
なってしまいます。沖縄は時間稼ぎのための単なる捨石だったのか。
国民に対してきわめて冷淡な昭和天皇と戦争指導部はそう考えていただろう
けれど、私たちがそれを無批判に受け入れてはならないと思います。

もう一つ、日米安保+地位協定の不平等性です。それは防衛義務の片務性
ではなく、米国への軍事的隷属にある、という指摘です。

講和条約とともに日米安保条約に調印した時、日本からは吉田首相が他の
代表をわざわざ外してただ一人サインしました (266-267p)。
保阪氏は、その時吉田首相は日米安保条約に屈辱感を持っていた、と想像
しています。なぜかと言うと、日米安保条約は外交官だった吉田氏がよく
知っている昭和6年の 「日満議定書」 にとても似ており、付属文書の細目
もそっくり似ている。議定書には 「満州国成立前にこの地で日本が持って
いたすべての権益が保たれ、(中略) 日本が自由に満州に軍を配備できる」
とあり、秘密文書には 「その所要経費は満州国が負担する」とある (282-283p)。
これは日米安保と地位協定にほとんど同じ形で表現されています。(しかも
米軍は治外法権さえ持っていて、基地は昔でいう「租界」といえます。)
「つまり、日本がその傀儡国家である満州国に対し軍事的に従属させる
べく結んだ」 日満議定書と同じものを、逆の立場でアメリカと結ばされ
たわけです。ドイツでさえこんな屈辱的な条約は結んでいません。

今日、集団的自衛権行使で対米対等の立場になりたいというのが安倍政権
ですが、その前に日米安保+地位協定という 「不平等条約」 を改定する
というのが日本国の目標でなければなりません。
それを放置して集団的自衛権行使と言っても、所詮はアメリカの使い走り
に過ぎないことになるでしょう。
        (わが家で  2014年5月28日)
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ブルボンらしい マダム・オーギュスト・シャルル 

2014年05月28日 06時50分43秒 | ばら     
ミディアム~ライトピンクの八重のブルボンローズ、スーベニール ドゥ マダム 
オーギュスト シャルル Souvenir de Madame Auguste Charles (Bourbon) 。

花びらが捩れたところがブルボンらしいですね。微香性です。
4年がかりでやっと4枚の写真ですから、花数が少ないのかもしれません。
なお Souvenir は スーブニール、スーベニア、スベニール、スヴニール とも。

この Madame Auguste Charles がどういう人かどこにも見つかりません。Auguste
Charles も何人もいるのですが、Auguste Charles Joseph Charles Joseph Flahaut
de la Billarderie (1785 -1870) という長い本名の人がナポレオンの副官で騎兵隊の
長官となり、ナポレオン帝政下で county (伯爵) に叙せられています。この人が最も
近そうですが、作出年当時の年齢が81才というのがちょっと過ぎる感じですが・・・

ブルボンローズとは、当時ブルボン島と呼ばれていた、アフリカ、マダガスカル島の
東にある現在のレユニオン島で、生け垣として植えられていたチャイナ系とダマスク
系が自然交配して生まれたと考えられる種類で、1817年に紹介されたそうです。

別名に、単に  Madame Auguste Charles, 
スペル違いの Souvenir de Madame August Charles,
          Souvenire de Madame Auguste Cholos.

作出者 フランス  Robert and Moreau  1866年。
      (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘  2014年5月17日、2013年5月14日、
                                2010年5月22日)

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上2枚は 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日。

下は 2013年5月14日。


最後は 2010年5月22日。
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父の形見のサツキが

2014年05月27日 07時15分17秒 | ソーラー・我が家の庭・菜園・日記    
娘が来月出産で里帰りしているので、きのう娘婿が来て泊まりました。
狭い家に大人が7人。これに赤ちゃんが生まれたら、賑やかこの上なし
です。

父の形見のサツキがいい具合に咲いてきました。ほとんど枯れたような
鉢を分けてもらって持ってきたのでしたが、少しずつ芽が出て元気になり、
こんもりしたいい形になりました。花付きも今年が最高です。

マーガレットは広がりすぎたので妻が半分カットしましたが、まだこんな
に咲いています。

オレンジピンクのミニバラ、ロベリアも。
庭に1株だけ植えたアスパラガスから食べられる芽が出ています。これ
が4本目。
サニーレタスは鉢植えで育っています。
       (わが家で  2014年5月27日)


          ひ孫待つ 父の形見のサツキなり  rocky
 


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マーガレット。


ミニバラ。


ロベリア。


アスパラガス。


サニーレタス 成長中。
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200年以上も前の オールド・チャイナ

2014年05月26日 09時42分07秒 | ばら     
白の花びらにわずかにピンクがかかり、咲き進むと白くなるばら、インディカ 
マヨール Indica Major (China / Bengale, Climber, Hybrid Noisette, Tea.) 

二重ほどの花はまばらに咲き、時に小さな房になります。花径8cmほどで、
一季咲き、中香性です。
品種名は「インドの大きな (品種)」というような意味でしょうか。

古い品種ですが原種ではなく、別名がたくさんあります。
  • Fun Jwan Lo  (Registration name)
  • American Noisette     • Bengalensis Scandens
  • Odorata 22449       • Rosa indica major
  • Ruse Blanche        • Sempervirens d'Italie
  • Striped Noisette      • Walton Climber
  •Rose and White Noisette   • Rosa craculatum

作出  中国  作出者不明  1811年以前。
       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘  2014年5月17日)


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http://21.hobby-web.net/~rocky6301/ 

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目の覚めるようなカーマインレッドの

2014年05月25日 06時23分20秒 | ばら     
今日は町内の運動会。さいわい天気もよさそうです。そこで目の覚めるようなカーマイン
レッドの大輪一重のバラ、シェーナーズ ヌトゥカーナ Schoener’s Nutkana 
(shrub, Hybrid Nutkana)。 

芯が黄色で、咲き進むと花色は淡いピンクに褪色します。花径は10cmほどもあり、中度
の香りがあります。
何度も撮っているのですが、花が少なくて、ようやくアップすることになりました。

Schoener's Nutkana は作出者 Georg Schoener 神父 (1864 - 1941) の名を付けたもの
です。彼はドイツ生まれのカトリック司祭で、アメリカで 「バラの神父」 と呼ばれる
ほど著名なバラ育種家となり、特に原種を使った育種が得意でした。
今日まで残っているのは Arrilaga と Schoener's Nutkana の2種で、後者は Rosa nutkana
と Rosa 'Paul Neyron' の配合です。

作出者  アメリカ  Fr. George M.A. Schoener, SJ 1930年。

       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘 2010年5月22日、2011年6月3日、
                        2013年5月14日、2014年5月17日)

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メインは2014年5月17日、下2枚は2010年5月22日。




これは2011年6月3日。


最後は2013年5月14日。やや褪色しています。



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淡いぼかしの、パトリシア・ブシェ

2014年05月24日 08時47分04秒 | ばら     
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ピンクの地に、白に近い淡いぼかしの入る一重咲きのバラ、
パトリシア・ブシェ Patricia Beucher(Hybrid Musk)。
咲き進むとクリーム色に褪色します。微香性・四季咲きです。

品種名はフランスの園芸ジャーナリストで、1993年に
Roses anciennes d'hier et d'aujourd'hui  (Old roses of
yesterday and today / オールドローズの昨日今日) という
本を発表しています。

作出者 ベルギー レンズ Louis Lens 1998年。
販売者 ベルギーで Lens Roses/Louis Lens N.V. 2001年。
  (千葉県佐倉市 佐倉草笛の丘 2014年5月17日、
              同 2019年11月1日)

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上は 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日。

下2枚は 同 2019年11月1日。色が淡いです。


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千人の ドイツ美人

2014年05月23日 07時32分12秒 | ばら     
ピンクの花の中心に白があり、咲き進むとすっかり白へと変わる小ぶりのバラ、
タウゼントシェーン Tausendschön (Hybrid Multiflora, Rambler)。

ドイツ語で 「千人の美女」 を意味し、房咲きになった様子から名づけたもの
でしょう。たいへん病気に強く、微香性です。

別名に  • Beauty Thousand  • Thousand Beauties 

作出者  ドイツ  Hermann Kiese 1906年以前。
販売者  ドイツ  Johann Christoph Schmidt  1906年。
     (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日、2011年6月3日)
     (群馬県前橋市 敷島公園バラ園 2010年6月6日)


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上2枚は 佐倉草ぶえの丘 2011年6月3日

これは 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日。咲き始めです。


下2枚は 敷島公園バラ園 2010年6月6日。咲き進んだ白花とピンクの花が
花束のようです。



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バレエ史に残る ラ・シルフィード のバラ

2014年05月22日 06時56分42秒 | ばら     
ライトピンクにサーモンあるいはアプリコットが射す、あるいは本に
よってはライトピーチとか爽やかなイエローと記述されるティローズ、
ラ・シルフィード La Sylphide (Tea)。

ここ佐倉草ぶえの丘のものはライトピンク+アプリコットでしょうか。
二重ほどで、強い香りがあります。
別名に、単に Sylphide 。

Sylphide は風の妖精ですが、ラ・シルフィード La Sylphide というと
1832年パリ・オペラ座初演のバレエ作品で、「ジゼル」 「白鳥の湖」 と
ともに三大バレエブラン (Ballet Blanc ;白のバレエ) に数えられる
ロマンティックバレエの代表作です。

Wikipedia によると、シルフィードを演じたマリー・タリオーニ Marie
Taglioni (1804-1884) は、バレエ史上初のロマンティック・チュチュを
身に付け、ポワント (つま先立ち) を駆使して妖精の叙情的で幻想
的な世界を表現してセンセーションを巻き起こし、自身の名をも不朽
のものとしたそうです。

HMFでは作出年・作出者に2説ありますが、品種名が大評判のバレエ
の作品名を採ったことが確実であることと、主演のマリー・タリオーニ
が1837年から1842年までロシアのサンクトペテルブルクでシルフィード
を演じ、1838年にはフランスにいなかったらしいことを考え合わせると、
1834年の Guérin 氏の可能性が高そうです。

作出者  2説あり、フランス  Modeste Guérin (Angers) 1834年。
       または、 フランス  Jean-Pierre Vibert    1838年。

なお同名のバラに、ミディアムピンクで藤色が射す、球形の花型の
ノワゼット Noisette (またはTea) があります。
こちらは別名に Mademoiselle Malton、また単に Sylphide 。
作出者はフランスの Joseph Boyau père / Boyeau 1842年です。これは
タリオーニさんがフランスに帰ってきた年になりますね。
混同しないよう注意が必要です。

       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日
                       2013年10月31日)


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これ1枚だけが 2013年10月31日。
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ガンジーの非暴力主義 「アヒムサ」 の薔薇

2014年05月21日 07時07分03秒 | ばら     
ミディアム・イエローのハイブリッドティローズ、アヒムサ Ahimsa (Hybrid Tea)。

1300種近いバラをアップしている私のブログで初登場の、インド作出のバラです。
強い香りがあります。

「アヒムサ (アヒンサー) 」 とは聞きなれない言葉ですが、あのインド独立の父
マハトマ・ガンジーの非暴力主義を表わすもので、もと古代インドの 「サンスク
リットの言葉で非暴力・不殺生を意味し、インド起源の宗教 (ヒンドゥー教、仏教、
特にジャイナ教) の重要な教義」 だそうです (参考: Weblio辞書ほか) 。

カナダで販売されるときに オリエント・シルク と命名されましたが、アヒムサが
良いですね。ちなみに作出年はインド独立50周年にあたります。

登録名 : オリエント・シルク Orient Silk

作出者  インド  M.S. Viraraghavan 1996年。
販売者  カナダ  Hortico Inc.  1996年、Orient Silk 名で。
       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日)


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左右両極からの、戦争と天皇に関する本

2014年05月20日 22時28分06秒 | 本、HP制作、写真のアップ       
左右両極からの、戦争と天皇に関する本2冊、
「総点検 日本の戦争はなんだったのか」 吉岡吉典 (新日本出版社、2007)
と、非常識発言で話題の、NHK経営委員になる前の長谷川三千子女史の本、
「神やぶれたまはず」  (中央公論新社 2013年)。

「明治のはじめから1945年まで、戦争に次ぐ戦争を繰り返した」 日本。
吉岡氏によると、明治以来最初の対外出兵 (戦争) は1874年の台湾出兵でした
が、これについてインドの元首相で歴史家のネルーが、明治政府成立のわずか
6年後、日米修好条約による 「開国以来20年もたたないうちに、日本は中国に
対して侵略的態度を取り始めた。(中略) 日本は産業の方式においてばかりで
なく、帝国主義的攻撃のしかたについても、ヨーロッパのあとを追った。日本
人はヨーロッパ列強の忠実な弟子以上のものであり、しばしばその上を行きさえ
したのだ。」 (「父が子に語る世界歴史」4 169p) 
として、大いに驚いていると書いています。

大東亜戦争について右派の人たちのいう 「自衛戦争」 論について吉岡氏は、
「明治のはじめから1945年までの間に、(1945年の) 沖縄戦以外は外国から武力
攻撃を受けての地上戦は一度もありません。(中略) 侵略されたことがない国
の自存自衛の戦争というものがあるでしょうか。」 (19p) として否定しています。
戦中の1940年に反軍演説で衆議院を除名された民政党の斉藤隆夫代議士は、
「日本の大陸発展を以て帝国生存に絶対必要なる条件なりと言わんも、自国の
生存の為には他国を侵略することは可なりとする理屈は立たない。若し之を正義
とするならば切取強盗は悉く正義である。」 (「斉藤隆夫政治論集」 233-234p) 
と書いているそうです。
まったくその通りで、誰でも分かるまともな感覚だと思います。

これを今日においてなお、当時は帝国主義時代だから植民地獲得は当然だ、と
大きな声で主張する人たちがいて、安倍総理を応援しているのですから、どう
しようもありません。
安倍総理は、「侵略の定義は定まっていない」 と発言して問題になりましたが、
本当にそう思っているのでしょう。そんな人が集団的 「自衛権」 の行使に向け
て解釈改憲に熱心なのですから、危なっかしいと思うのは当然です。
「自衛の定義は定まっていない」 というのが正しい理解ではないでしょうか。

また右派の好きなアジア解放の戦争という見方も、朝鮮・台湾・満州を見れば
わかる通り、お題目に過ぎなかったことは明白です。私も林房雄の 「大東亜
戦争肯定論」 (中央公論、1963-65) を学生の頃読んで、そういう見方もある
と感激したものでした。しかしよくよく研究してみればそれは単なる結果論で
あって、そのために日本が戦ったわけでは全然ないのでした。

吉岡氏は日本の度重なる外征と、第一次世界大戦後の 「戦争を違法とする」
国際的な動向について明晰な分析をしていますが、一つだけ満州事変について
書き漏らしていると思われることがあります。
それは、山中恒著「 アジア・太平洋戦争史-同時代人はどう見ていたか」
知った、昭和天皇が満州事変の翌年1932年1月8日に関東軍に賜った勅語です。
昭和天皇は関東軍の活動を大いに称賛し、引き続き天皇の信頼に応えるよう
訓示しています。これは関東軍の独断専行への事後承認でありお墨付きでした。
天皇の戦争責任をきびしく問う共産党理論派の吉岡氏が、この勅語を見落とした
のは惜しいことです。

もう一つ気づいたことは、宣戦布告なき開戦は真珠湾だけではなかったという
ことです。真珠湾の「1時間10分前の午前2時15分にマレー半島 (英領) への
奇襲攻撃・上陸作戦を始めた」のです (188p) が、英国に対する宣戦の遅れに
ついて問題にする人はいません。しかし対米の真珠湾と対英のマレーと、いず
れも宣戦布告前であったことはわが国が最初から奇襲作戦を狙った証明と
いわなければなりません。


一方の長谷川女史は哲学者ということで、多少史実に甘いのは我慢するとして
も、戦争についての認識があまりに綺麗ごと過ぎるのではないでしょうか。

最初に折口信夫の詩 「神やぶれたまふ」 をこう批評します。
「神々に助けを請ひ、ともに戦ってもらひながら、信うすくして神々のもつ
力を存分に発揮してもらうことができなかったわれわれが、戦いに敗れたから
とて、そのまま神々を忘れ去ってしまふとしたら、それはさらに二重の背信
行為ではないか。」 (18P) 折口氏は戦後このような反省と覚悟を基にして、
あたらしい神学の構築への努力を進めていったはず、とします。

しかし、女史が 「神やぶれたまふ」 の核心部とするこの一節、
   日高見の国びとゆゑ、
   おのづからに神は守ると 
   奇蹟(マシルシ)を憑む 空しさ。
   信なくて何の奇蹟―。

この、当然に神が守ってくれると恃んでいたという説に女史は猛反論します。
「『靖国のこえに耳を澄ませて』 という本の中に登場する 「若き軍人たちは、
みな、しっかりと自らの目で自らの死を見つめ、まさに 『覚悟』 という
言葉の本来の意味での覚悟をつかみ取って、あるいは特攻機に、あるいは
回天に乗り込み、またあるいは危険な偵察の任務のうちに命を散らしていった
人々である。」 (22P) 「それがどうして、敗れたとたんに、『神風が吹くと
他力本願のことばっかり言って、自分の裡からの信仰心を全然持ってない』 と
いうことになってしまうのか。」 (19P)
こう批判して、タイトルを反語の 「神やぶれたまはず」 にしたわけです。

どうも彼女は、現人神である天皇のために戦った日本人は、ある種の 「絶対的
宗教経験」 を得たのだ、と言いたいらしい。
「大東亜戦争はけっして単なる、他の手段をもってする政治などではなく、
ある絶対的な戦争だったのだといふこと、そしてもし 『日本の神学』 といふ
ものが構築されうるとすれば、その基はこの絶対的な戦争の経験以外のところ
には見いだされえない、といふことである。」
 それは 「いはゆる 『聖戦』 -崇高なる目的のために遂行される戦争- のこと
ではないし、かと言ってもちろん、『侵略戦争』 『悪い戦争』 といったものでも
ない。しかし、(中略) 大東亜戦争のうちには、確かに、さうした 『絶対的なもの』
が含まれていたのである。」 (29p)
 
「絶対的なもの」 とは、明記はされていませんが、どうも特攻や玉砕に散った
人たちの、神としての天皇陛下を思う心情を指すらしい。あの悲惨な戦争を賛美
し、「宗教体験」 として意味づけようというのですから、哲学者というより教祖
がお似合いでしょう。しかし 仮に 「日本の神学」 が成り立つとしても、決して
大東亜戦争を基にして構築されてはならない、と私は思います。

そして昭和天皇の御歌、
   身はいかになるともいくさとどめり ただたふれゆく民をおもひて

など4首を解説して、民を思う天皇の大御心を賛美しています (272p~) 。
しかし、「もう一勝負してから」 と何度も講和の機会を見送り、東京大空襲
でも沖縄戦でも国民を思いやった形跡のないのが実際の昭和天皇でした。
講和の最後の決心は沖縄戦のあとに自分で考えた雲南作戦が不可能になった
から (昭和天皇独白録) というのですから、あきれるような話で、大御心も
底が割れています。講和後、自分が安全になってからこのような歌を詠んだ
からといって、とても鵜呑みにできるはずがありません。
最後の最後まで国体の維持を唯一の講和条件にした昭和天皇は、自己満足
的な思い込みで 「身はいかになるとも」 などと詠ったのでしょう。理想の
王でも神でもない、ただの凡人だと私は思います。
しかも「国体護持の思想」 を長谷川女史は、日本政府が国民に敗戦を受け
入れさせるために 「どうしても必要な詐術であった」 (259p) と強弁するの
です。長谷川女史は真実に迫ろうとしていないし、時系列の事実関係を全く
考慮していません。神を崇めるのに、客観的事実が邪魔物であるのは確か
ですが。

まさか天皇をふたたび神として崇める時代は来ないと思いますが、長谷川
女史のような人たちが安倍総理のお友だちとして各界で活躍しているのです
から、油断はできません。付和雷同する日本人の性格は、残念ながらそれほど
変わっていないのではないかと思います。
        (わが家で  2014年4月20日)
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珍しい オーストラリア美人のバラ

2014年05月20日 07時30分07秒 | ばら     
マゼンダからディープピンクの一重咲きのバラ、ビューティ オブ グレンハースト 
Beauty of Glenhurst (China / Bengale)。

小さな房咲きで、咲き進むと花色がやや淡くなるようです。シーズン中ずっと咲き
続けるます。

たいへん珍しいオーストラリア産のバラで、日本のサイトではまったく見当たりま
せん。この名前はこの品種を育成したサウス・オーストラリアの Gumeracha に
ある庭園の名を採ったものです。

作出者  オーストラリア  Dr. Brian and June Morley 1979年。
販売者  不明 1983年。
       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日、
                          2013年10月31日)

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大柄・大輪の リージャン・ローズ

2014年05月19日 06時41分26秒 | ばら     
ミディアムピンクで、半八重の浅いカップ咲きのバラ、リージャン・ロード・
クライマー Lijiang Road Climber (Hybrid Gigantea, Tea, Climber)。
別名に  Lijiang Rose (当初販売名、綴りは Lijang Rose とも) 。

花径8~10cmほどの大輪で、アプリコットかピーチの混じった、ティー系
特有の強い香りがあります。大柄なロサ・ギガンティア R.gigantia と栽培
されたロサ・クロス・オドラータ Rosa X odorata との交雑と推定され、強健
で、放っておくととても大株になるようです。早咲き・一季咲きです。

NOIBARA さんによると、中国雲南省の麗江路 (リージャン・ロード) 沿いに
植栽されていたのを、イギリスの Roger Phillips と Martyn Rix が発見し (1993)、
この名前が付けられたとのことです。 

しかし HMFでは、イタリアの Gianlupo Osti が1995年に発見し Walter Branchi
が販売しているが、日本の "Encyclopedia of Roses" (バラ百科事典) では
Roger と Martyn の発見としている、とあります。
(NOIBARA さんのアドレスに encyclopedia とありますが・・・。)

Roger と Martyn の会社 Roger Phillips' Roses の公式HP を見ると、この品種
をロサ・ギガンティアと栽培されたロサ・クロス・オドラータとの交雑と推定し、
麗江峡谷では一般的なバラで、採集後育成されていてイタリアの Walter
Branchi で求めることができよう、と記述しています。

発見したのが自分たちであると書いていないこと、育成・販売が彼らの提携
しているナーセリーではないこと、などから、HMFの記述が正しいようです。
 
発見者  イタリア  Gianlupo Osti  1995年。
販売者  イタリアで Walter Branchi 1995年頃、Lijiang Rose 名で。

       (千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘 2014年5月17日)


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たしかにアーチなどに仕立てないと、とんでもない暴れ方です。


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