雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

滋賀カワサキの宮本君

2008-10-16 04:25:14 | カワサキワールド
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息子さんが新しいお店を開店するという挨拶状と一緒に、
30年続いた滋賀カワサキを閉じるというご挨拶状が送られてきた。

宮本進君、今から数えるともう40年も前の話だが、大阪営業所に赴任したときに初めて出会った。
経歴は京都の服部さん(この服部さんの前身だと思う)から何人かと一緒にカワサキに移ってきた。
大阪ではもう営業に替わっていたがサービス上がりの実力派だった。

私は、大阪に来る前の東北でも、旧代理店で学歴などはないけれど、仕事をやらしたらそこらの大学でには負けないと言う人たちと多く付き合ってきたし、
なぜか宮本君とはウマがあった。
当時『うるさい』ということで有名であった大阪の船場モータースの先代社長にも気に入られ、
それが船場さんがカワサキと本格的にお付き合いをするきっかけにもなった。
船場さんには、カワサキの特約店制度の展開に、あちこちに出向いて貰って手伝って貰った。社内の担当は古石君が手伝ってくれたのである。

40年前に販売店を海外の研修旅行に連れて行ったのは、カワサキが初めてである。
そのアメリカ旅行にも志願して自費で一緒に行ったりもした。

私の人の評価がおかしいのか、
私がいいと思う人は、意外に会社は評価しないのである。
一般の会社の評価は、どうも『仕事が出来る』と言うこと以外のところが、多いのだと思う。

今、全国オートバイ共同組合連合会の会長で、小池百合子さんや佐藤勉大臣や笹川尭さんら国会のオートバイ議連の先生方を相手にいろいろやっている、吉田純ちゃんなども、当時は神戸だったが、会社の評価はもう一つだったのである。

宮本君も、悪くもなかったのだろうが、特別によくもなくて、30年前にカワサキから独立して滋賀カワサキを経営していた。
大阪のあと東北などにも行って、東北の人たちの間でも評判はいい。
今でもお付き合いがあるとか。

やはり、大阪時代が懐かしいようで、当時の竹内さんや当時の販売店で、これも一癖もふた癖もある忍者の伊藤さんなどとはウマが合うのである。
不思議なもので、私もこんな人たちとはめっぽうウマが合って、伊藤さんからは、今でも『水ナス』など送ってくれる。
いつだったか、呼び出されて神戸でこのメンバーで飲んだことがある。



はがきが来たので、電話をしてみた。
先日のOB会以来である。
OB会のときも元川重の副社長の高橋鉄郎さんと物怖じもせず話し込んでたのは、宮本君だった。そういうときの話しぶりが、他の人たちのときと一つも変わらぬのがいいと思う。
私も割り込んだが、そのときの左から宮本、高橋、竹内さんである。

近く京都の昔の連中と会うのだと言っていた。
今もレースをやっている山科カワサキの『ヨシケン』も来るとか。
彼も確か服部さんからだが、実力者である。世界耐久2連覇の北川圭一君はヨシケンのチームがそのスタートだと思う。
そのときには、竹内さんも大阪から行くらしい。
そんな昔の仲間はいいもんだ。

竹内、古石、宮本、この3人は現在のカワサキの販売網の最初の立ち上がりを大阪でスタートさせた功労者だと思っている。
これから今のカワサキのネットワークはスタートしているのである。
特約店契約の第1号店が、船場モータス、宮本君はその担当だった。
3人とも、会社の評価よりは、販売店からの評価がよかったのかも知れない。


そんな宮本君だが、まだ幾らか息子さんを手伝うらしいが、一応滋賀カワサキの幕は閉じるようである。 長い間、ご苦労様でした。

思い出してみると、大阪時代『一番仕事をした時代』だったかもしれない。
私もまだ40前だった。
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