雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

神戸・明石・三木 雑感

2021-09-18 06:04:39 | 私の生き方、考え方&意見

★人生でいろいろな土地にお世話になった。
 
 生まれたのは兵庫県明石だが、
 その後、朝鮮京城(今のソウル)・仙台・高槻・札幌・三木などにもお世話になったし、
 学生時代は中学校と大学が神戸だった。

 そういう意味ではやはり兵庫県の『神戸・明石・三木』の三つの町が
 人生の想い出いっぱいの町だと言っていい。


★ 神戸は中学校・大学で通っていた街なのだが、
 大体『遊びに行く』のはもっぱら神戸だったし、
 明石からも、今住んでいる三木から見ても『隣りまち』なのである。

 そんな神戸がこんなポスターを明石駅に貼ったとかで話題になっている。

  

 
 その話題のポスターは、若年・子育て世帯に神戸への住み替えを促すため、
 9月上旬から1週間、兵庫県内の主要21駅に張り出したという。
 駅ごとにフレーズは異なるが、JR明石駅が最も「尖(とが)った」で、
 ネット上でも「喧嘩売りすぎてる」といった反応が瞬く間に広がったとか。 
 
 盛り上がりの背景には、
 近年人口減少に歯止めがかからない神戸と、
 増加が続く明石で、
 昨年は神戸から転出が最も多かったらしい。

 ネット上でも注目された後にポスターが外されたことに
 「ネット炎上で撤去に追い込まれたのでは」との見方も広がったが、
 「掲出期間が終了したためで、誤解です」と神戸市は打ち消したという。

 そんな神戸には住んだことは一度もないのだが、 
 海もあるし六甲山もいいし、なかなかいい街なのである。
 
 私もどちらにお住まいですか?
 と聞かれたら『神戸のほう』とか言うかも知れない。
 『三木』というよりも解り易いだろう。


★明石は生まれ故郷だし、高校は野球では名門と言われた明石。
 現役時代務めたのは川崎重工業の二輪事業の本拠・明石工場だった。

  



 

 明石のイメージとしては、こんな写真が並ぶのだが、
 明石公園のお城のすぐ隣が、私の出生地なのである。
 天文科学館のすぐ下には、長寿院のお墓があるし、
 今は『魚ん棚』で有名にもなった細工町はこどもの頃の本籍だった。
 

  

  

★ 人生88年で一番長く住んだのが『三木』になった。
  三木転入が1973年1月だから、もう48年にもなる。

  いいまちだとは思うが、全国的には知名度は低いと思う。

      三木と言えば金物と山田錦のお酒の町で有名だが、

     


 日本の屈指の名門廣野ゴルフ倶楽部ほか25ものゴルフ場はあるし、

  
 

 『日本一美しいまち三木 
  ~人にやさしいスローライフなまちづくりをめざします~』

 というスローガンなのだが、ご存じない方が殆どだろう。

   


 実はこのスローガンは私の提言を三木市が取り上げてくれたのである。
 
 三木市のホームページにはこのように書かれている。
  
 『私たちが暮らす三木のまち、まちの姿には景観はもとより、歴史や文化、そして伝統など、それぞれに取り組まれてきた先人のまちづくりへの想いが詰まっています。
 私たちの三木を、すべての人や自然にやさしい住みやすいまちにする。
 市民の皆様と行政が知恵と力をあわせ、
 「日本一美しいまち三木」にむけまちづくりを進めます。』

 私がこのスローガンを提言したのは、
 兵庫県は永年『美しい兵庫』をスローガンに活動を進めているのだが、
 兵庫県のどの市も追随するところがないので、
 10年ほど前に兵庫県庁におられた薮本さんが三木市長になられた時、
 『日本一美しいまちをめざそう』と提言したのである。

 『美しい』という言葉の意味は、単に綺麗ということではなくて、
  奥深い意味を持っていて『美しい国』を目指すとも言われている。

  『神戸・明石・三木』というテーマで書いてきたが、
  『美しい兵庫の美しいまち』であって欲しいと願っている。
 

 


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