雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昔話ー83 ダンピングと部品

2007-12-27 04:43:09 | カワサキ単車の昔話
部品に関連した話が続くが、ついでにもう一つ。

今は、日本でも非常に人気の高いハーレーだビットソンが潰れかかった時期があった。
1978年ごろだったと思う。
ハーレーがアメリカで日本各社を相手にダンピング訴訟を起こしたのである。

これは、川重本社も巻き込む大問題となった。
当時一番の大市場であるアメリカ市場の大問題であった。

私はCKDの市場開拓で東南アジアを担当していたので、当初は何の関係もなかった。
企画でこれを担当したのが、田崎さんである。
彼はこんな体系的なことを考えるのは得意であった。彼独特のカンと理論で解決の方向を見出していくのである。

これは基本的には、国内とアメリカの販売価格の問題なのだが、
単純ではなくなかなか難しい問題で、その対策は国内のマージン体系や固定費比率が問題になったのである。

問題となったのが、国内の部品の利益率、経費率であった。
詳細は避けるが、国内の構造的な体制整備を図らぬと、アメリカのダンピング対策が解決しないという結論になったのである。

当時の、カワサキオートバイ販売の組織自体も、部品の組織体制も見直しが検討された。
そして、部品は分離されて独立したKMSという会社になり、カワサキオートバイ販売の体制整備も検討される方向となったのである。

理屈、理論の段階を経て、具体的な検討に入った段階で、
78年10月、高橋鉄郎さんと私と前田君が国内経験があるということで、急遽引っ張り出されて、国内体制の整備案の検討を手伝うことになったったのである。

3ヶ月かかって12月に部品会社の独立案も新販社体制案も完成したのだが、
年末になって手伝っていた積りが「お前がやれ」と急遽そんなことになってしまったのである。
川重の課長の頃だったが、国内販社の常務で実質責任者にされてしまったのである。

300名の国内グループの再建を任されたのである。
国内6販社を含むグループ経営については、初めての経験だった。
45歳であった。
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2 コメント

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Kawasaki部品ついて私も! (60おじさん!)
2007-12-28 02:18:11
私35年前にKawasaki販売店をオープンし、現在も現役の数少ない人間です。
その昔部品の流れは、ユーザー→販売店→カワ販ディーラー→カワサキ部品特約ディーラー→カワ販部品センター→川重部品課となっていた様に記憶してます。
即ち近い位置に在庫があれば良いのですが、たとえば、加古川から明石のカワ販ディーラーに注文すると、そこから大阪の民間部品ディーラーに発注され当然在庫無しで、そこから明石のカワ販部品センターに発注、そして逆にたどって部品が到着する!イライラする様な長い経路を進んでいたのです。

それが、この昔話81・2・3の改革後は夢のような速さで部品が到着するようになりました。

部品を宅配便利用したのも新車を運送便納車をしたのも、特約販売店契約システムも業界でKawasakiが一番でした、当然カタログの有料化もです!

改めてrfuruyaさんほか素晴らしい経営者軍団がKawasakiを作り上げたことが解りました。
懐かしい人 (rfuruya)
2007-12-28 06:58:59
ここにでてくる人、みんなご存知でしょう。
浜寺モータースの親父さんとは、あの徳野兄弟のお父さんです。
特約店制の設立に力を貸して貰いました。

みんないい思い出ですが、楽しい思い出でし。

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