★とうとう今年も12月になった。
振り返ってみると今年は戦後軍事産業だったということで
休止していた川崎航空機が昭和28年に再開して70周年なのである。
カワサキが本格的に単車事業に進出するきっかけとなった
青野ヶ原のモトクロスは昭和38年だったし、
これを契機にカワサキのレース活動がスタートしたので
カワサキのレーススタート60周年なのである。
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そのスタートの時期からたまたまレースを担当したので、あれから60年経っている。
そんな2023年だったのだが、
12月2日にはカワサキKX50周年を祝う有志の会も行われることになっていて、
その幕開けのご挨拶をすることになっている。
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★ ほんとにいろいろとカワサキ単車とはご縁があるのだが、
そのスタート時期のことを語れることが出来る方も少なくなってしまった。
KXが スタートしたのは1973年のことなのだが、
その当時は私もレースを離れて、販売関係にいたので
実をいうとあまりよく解っていないのである。
そんなことなので、カワサキがレースをスタートした当初の話などを
ご紹介しようかなと思っている。
私がレースを担当したのはスタートから4年間で、
その間は、本社が単車事業を軌道に乗せるために毎年1億2000万円の
広告宣伝費を本社開発費でくれてたので、
ほんとにいい時代だったのである。
マシンでいえばF21Mまでの時代で
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タンクの色は赤かったので国内市場では『赤タンクカワサキ』と呼ばれたりした時代なのである。
ライダーは、MXは、山本・歳森・星野・梅津・岡部
ロードは金谷・安良岡・三橋などがいてなかなかのメンバーだったのだが、
当時はまだレース職場に松尾勇さんがいて、
エンジンは技術部だがマシンにするのは松尾勇さん個人のノウハウだったと言ってもいい時代だったのである。
そうい意味では、まさに創生期で、
カワサキの技術部が本格的にマシンを開発にあたったのはKXからで、
カラーもライムグリーンに統一されたのである。
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★ いずれにしてもよく生きたものだなと思う。
スタート当時のメンバーたちも、
みんな私よりは若いのに先に逝ってしまった。
このKX50周年の会合は、私にとっても最後の公式行事になるだろうと思うのである。
それも明日になったが、いいメンバーが集まるようなので、
どんな会合になるのか楽しみである。