goo blog サービス終了のお知らせ 

雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

安良岡健さん逝く

2019-06-01 19:28:10 | M/Cレース

 ★私が未だ30歳前の頃、カワサキのファクトリレース担当をしていて、ライダー契約なども担当していた。未だロードレースをやっていないころで、安良岡健さんもカワサキコンバットの一員としてモトクロスライダーとして契約していた。

その頃のカワサキの契約ライダーたちである。

 

  右から梅津・岡部・山本・歳森・三橋・一番左が安良岡健である。

 契約ライダーはこの6人だった。

 その後昭和40年(1965)にロードレースにも進出し、この6人に加えて金谷秀夫・星野一義を加えて8人の契約ライダーとなったのである。

  このライダーたち、勿論私より若いのだが、8人のうち梅津・岡部・歳森・金谷に加えて安良岡までがこの世を去ってしまった。

 この写真の安良岡健が健さんが一番若い頃だと思うが、最後に彼に会ったのは私が80歳の誕生日6年前の3月2日なのである。

 この日はマウンテンライダースの50周年記念のパーテイーで日本の錚々たるライダーたちが集まっていたのである。

 

   

  

 このライダーたち私の親交のあった人たちで、この会に一緒に出席していた金谷秀夫ともこの日が最後になってしまったのである。

 

 安良岡健さんのことはこのブログでも何回か書いている。

 そんな中からの抜粋だが

 ・・・・・安良岡健さんは、当時どちらかと言うと「やんちゃな」ライダーが多かった中で、紳士然としていたのが印象的でした。 彼の世田谷の家にも何回か泊めて貰った事もあり、その後商売上でもお付き合いもありました。
若いライダーたちからの人望も厚く、星野一義が健さんに手紙を書いて当時のカワサキコンバットに入ってきたのはよく知られています。 カワサキの全然走らなかった125ccのGPレーサー(鈴鹿で2分50秒が切れなかった)の開発当初から、黙々と開発に携わっていたのを金谷秀夫君などはホントに尊敬の念で見ていました。
 
 もうこの話も時効でしょうが、名神がオープンして間もない頃、 「70キロのスピードオーバー」で名神始まって以来の記録的なスピード違反だと検挙され留置されてしまったことがあります。 鈴鹿からの帰り道、60おじさん(山本隆君)のs600を健さんのフェアレデイZが150キロで追い越したところを捉まったのです。 今でもそうですが、高槻の上り下りのある長い直線です。 なぜかあそこは80キロ制限、当時150キロ出るクルマは珍しい頃でしたが、あの直線は下っているのでスピードが出るのです。
歳森や星野もスピードに興味がある頃で、あの直線にくると窓を閉めてアクセル全開で走るのが常でした。


 これは別のブログからだが・・・

 ・・・・カワサキではロードレース、特にGPレーサーの開発に尽力して貰った。 まだ、125ccのGPマシンがスズカで2分50秒が切れない頃からだったので、大変だったと思う。
タイムが上がらないのは、マシンなのかライダーなのか、上手くいかない時によくある議論である。

そんな時期、健さんの契約問題が出たことがある。
その時、猛烈に私に意見を言ってくれたのは金谷秀夫だった

スズカから二人で帰る車の中で、 「いつ、壊れるか解らない危ない車の時代からテストさしといて、それはない。」というのである。 金谷の話は非常に説得力があった。
無理やり契約だけは、継続したのである。
66年FISCOの日本GPではじめてGPに出場したのだが、シモンズや谷口よりも安良岡がカワサキのライダーの中で一番の成績(7位)であったことは、私自身本当によかったと思っている。

 

 この時、技術部の意見どうり安良岡との契約解消していたら、安良岡健のその後のカワサキでの活躍はなかったのである。

安良岡健さんを支えたのはあの時の金谷のことばなのである。

 

現役時代の大きな節目に開催した『カワサキファクトリー25周年OB会』に集まったライダーたちである。

 

  

 

 

    

 

 もう30年近くも前の話なのだが、この時も安良岡健さんが最長老だったのである。

レースの想い出も、ライダーたちも、私の人生にとっては『貴重な財産』なのだが、一人、二人と抜けていくのは寂しい限りである。

 健さん安らかにお眠りください。

 金谷や梅津・岡部・歳森などにお会いになれたら、よろしくお伝えください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年初めてのゴルフ

2019-06-01 06:50:36 | 発想$感想

★昨日は、大学の野球部のゴルフコンペだった。

 このコンペはずっと播磨カントリーで行われるので、家から近くて非常にいい。

 

    

 

  かって、このコースのメンバーだったこともあって、コースはよく解っていて回りやすいということでもある。

 ただ、最近は全くゴルフなど無縁で実は今年初めてのゴルフだったのである。

 それでも、『気持ち』だけは昔のままで、何とかいいスコアと思うのだが、スタートのちょろに始まってOUTの6番までは大たたきをしたのだが、7番のショートホールでパーが取れてからは、何故か突然昔に戻ったようなゴルフになって、INはショットもよかったし、今年初めてのゴルフとしては大満足で戻ってきたのである。

 

 

   

 

 だんだんとみんな歳を取って、このコンペも私がとうとう最高齢者になってしまった。

 一番若いのが62歳というから、最近のゴルフ人口の平均年齢も上がるはずである。

 

 私がもう一つ参加しているカワサキのZI会のゴルフコンペは、88歳の大槻幸雄さんが未だ元気にご参加なのだが、全体の平均年齢は似たり寄ったりで、最近はゴルフは『高齢者のスポーツ』になりつつあるようだ。

最近はこの二つのコンペだけに参加することにしているのだが、Z1会が年4回、このコンペが年2回で最高で年6回のゴルフなのだが、4月のZ1会は雨で参加しなかったので、今回が今年初めてのゴルフになったのである。

 6月12日にはZ1会の今年2回目のゴルフで、参加する予定である。

 スコアもさることながら、昔関係のあったメンバーが集まって『顔を合わせる』ことはなかなかいいものである。

 

 9月にはZ1会、野球部のコンペは次回は10月17日に決まったのだが、若しアメリカなどに行ってなければ、二つとも参加しようと思っている。

さあ果たして、私の今年のゴルフの回数は何回になるのだろうか?

それと、果たして何歳までゴルフコンペに参加できるのだろうか?

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ Instagram です

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★50万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする