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雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

朝鮮・京城の想い出 8月15日終戦記念日

2021-08-16 06:11:49 | 私の生き方、考え方&意見

人生の中で一番明確に覚えている日は、
 なぜか、昭和20年8月15日終戦の日のことである。
 
 もう76年も前のことだが、当時私は中学1年生だったのである。

 朝鮮京城の城東中学校の校庭で直立不動の姿勢で天皇陛下の玉音放送を聞いていた。
よく聞こえなかったのだが『戦争に負けた』ということだけは解ったのである。

この時から世の中突然が一変したので、その記憶も鮮明なのだろう。
朝来た時は乘れた市電が帰りには朝鮮人に占拠されて乗れなかったのである。

今日がその8月15日・終戦記念日である。

今までは日本であったのに『日本ではなくなってしまった』のである。
京城は米軍が駐屯したので治安などには問題はなかったが、
夏休み中の出来事なのに9月になっても学校は始まらず、
この日を境に本当に世の中は一変してしまったのである。


★まだ中学1年生だったが、
12月15日に日本に引き揚げるまでの4ヶ月のことは、
よく覚えているのは変わりようが凄まじかったからだろう。

9月頃だったと思うが私はサッカーをしていて
足の骨を折ったのか、ひびが入ったのか』歩けなくなってしまったのである。
医者もいなくなってしまったので、ただ寝ていただけなのである。
所謂『引き揚げ』は9月頃から始まってはいたのだが、
私が動けないので妹たち3人は伯父が引き上げる時に一緒に連れて行って貰って、
父母と私の3人が、私が歩けるようになるまで残っていたのだが、
11月に生まれた一番下の妹と4人で12月に引き揚げてきたのである。

引き揚げの時には1人1000円の現金しか持つことが出来なかったのだが、
当時の人達はみんな家もお金もそのままに帰国したのだろうか?
たまたま我が家は米軍の空軍将校が買ってくれてお金も入ったようだが、
それを持ち帰ることなど出来ないのである。

通訳の人が『金塊』に変えたらそれを『空軍の飛行機で伊丹まで送ってあげ』とかという話で、
100%信用した訳ではなかったのだろうが、父は金を『金の延べ棒』に変えたのである。
私も一生のうちで『金の延べ棒』など見たのはこの時が最初で最後だが、
通訳の人に渡した1貫500匁の15本ほどの金の延べ棒など、
いつまで経っても伊丹などには届かなかったのである。

今思うと不思議にも思えるのだが、ホントの話なのである。


★そんな色々な想い出のある京城・今のソウルなのである。
朝鮮王朝500年の王都で「ソウル」とは朝鮮語で「都、首都」意味するそうである。
ソウル」は、漢字では漢城・漢陽・京城・京都などの変遷があったにも関わらず、朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとか。

京城」は、日本統治時代(1910年 - 1945年)に使われた名称で、
その後1943年には区制が導入されて、
7区=龍山区・東大門区・城東区・西大門区・永登浦区・鍾路区・中区になった。
私は城東区に住んでいたが、今でいう新興住宅地だった。
『朝鮮京畿道・京城府城東区新堂町桜ケ丘』までは覚えているのだが・・・


ソウルの街の中心を横切るように漢江が流れているが、古くから発達したのは江北で、戦前は漢江の南は何もなかったのである。




 88年のオリンピックが開催された競技場があるのも漢江の南なのだが、
それは戦後のことで、戦前は広大な野原が広がっていたのである。




★ Googleマップでいろいろ調べてみたらいろいろ解るのである。
 
 左の印から冬にはスケートに毎日のように行っていた『将忠壇公園
 真ん中が『我が家』がありすぐ横に『桜ケ丘国民学校
 右が『玉音放送』を聞いた『城東中学校』の位置である。
 そして左下の山が有名な『南山』である。
 

 
将忠壇公園の こんな池が凍って スケートが楽しめたのである。 
家からこの公園までは歩いて行ける距離だった。




 
1988年のオリンピックでソウルに行った時に懐かしい小学校の写真を撮ってきた。当時の日本の学校は木造だったが、京城では鉄筋コンクリートでスチーム完備だった。

 


これは京城駅。
  


 すぐ近くに京城三越などもあったが、
 いずれも当時の内地よりは立派に造られていたように思う。
  




★ 韓国に於いても8月15日は『光復節』という祝日のようで、
本来光が復する(戻る)」という意味の単語が、
朝鮮の日本統治からの離脱」を意味するようになったようである。

 それは朝鮮民族にとってみればその通りでお祝いする気持ちは解るが、
 戦前日本が残したいろいろな資産が、今の韓国のベースになっていることは間違いない事実だから、
 少しは感謝の気持ちがあって然るべきだろうと思う。

 小学校も、駅も、鉄道も、百貨店も当時の内地のそれよりも
 一歩進んだ立派な構造なのである。

 私にとっても故郷のような韓国だから、
 ほんとに仲のいい隣国になって欲しいのだが、
 なぜ台湾のような関係にならないのだろう?

 
 
 
 







『好感度イメージ戦略』  雑感

2021-07-12 06:16:50 | 私の生き方、考え方&意見

★私は若い頃、広報を専門的にやったので『イメージ戦略』などには、人一倍強い関心を持っている。

現役最後はカワサキの国内市場を担当したのだが、
当時の国内では『独特のイメージ戦略』を展開したのである。

これは当時のデーラーミーテングで二輪とジェットスキー400店の販売店にその骨子を説明した時の図表なのだが、
イメージの創造』・『イメージの高品質化』を明確に表示している。

   
  

★ 当時のカワサキは二輪業界だけではなく、経済界でもそれなりの評価があって、日経ビジネスなどでも大きく取り上げられたり、

  



その戦略展開の中身についても、話題になったりしていたのである。






 
 

★ 経済界だけではなくて『好感企業の時代』の著者の中央大学の中江教授などからも面談の申し入れがあったりした。
  


  



  中江教授は4輪レースなどにも出場されたりしていて、二輪にも関心をお持ちだったが、
その理論展開の中で言っておられるのは


● 感性の領域で好き」と感じられるのが『好感』
● 企業システムと同時に
●『マインドシェア=関心度×イメージ
●『エクセレントカンパニーからグッドカンパニーへ』と

まさにカワサキが展開していた『イメージ戦略』を提言されていたのである。


   

  
そんな先生の理論通りの展開をしていた『当時のカワサキ』に関心をお持ちになって、明石工場にもSPA直入にもお越しになったりしたのである。




★そんな『好感度イメージ戦略』は私にとっても『いい想い出』なのだが、  
当時から30年が経つ『令和の時代』に於いても
そんな『好感イメージ』を改めて感じている出来事が出現している。

それは『大谷翔平の好感度』である。
これこそがまさに『感性のレベルで「好き」と感じられる好感度』だろう。
 
その投打に亘る『二刀流の成績』から注目されるのは当然だが、
MLBは『異例の単独CM』を創ったというのである。
 

 
 

 この異例の扱いは、
大谷翔平の感性のレベルで「好き」と感じられるイメージ』によるものだろう。


  
 



  世界の最高レベルのアメリカ球界で
 『ホームランダービーのTOP』にいる大スターのイメージとしては、
 間違いなく従来のイメージとは異質の『好感度溢れる』ものである。


 『大谷翔平』と Image検索すると、こんな画像が並ぶ。

 


 


 そのどれをとっても『好イメージ』以外の何物でもない。
 MLBにとっても『好感度イメージ戦略展開』には、
 『大谷翔平』は唯一の『最高モデル』なのだろう。

 彼こそは 感性のレベルで誰もが『好き』と感じるものを持っている。
 益々『大谷翔平の人気』は上がるだろうし、
 その『好感度イメージ』は確固たるものになっていくことは間違いない。

 ベースボールエクセレント・スポーツであると同時に
 グッド・スポーツイメージ定着になればいいなと思っている。


 
 

今年後半の目標

2021-07-02 07:10:19 | 私の生き方、考え方&意見

★ 今年ももう7月になった。
  ホントに半年があっという間に過ぎてしまう。
  残り少ない人生なのにどうなるのかと思うのである。

 
  2021年も後半を迎えるに当たって改めて目標を設定し直した。
  こんな目標である。


 
  今年後半の目標
 
 1.6kmスロー・ジョッギングで走る
 2.メダカを増やすこと
 3.庭仕事に精を出すこと
 4.体重を70㎏台に
 5.ジム・トレーニングを続ける

  

  今年前半はこんな目標を立てていたのだが、

    
 

   ゴルフはコロナでコンペがないし、
 金魚も今年はもう卵を産まないし、
     囲碁もそんなに大した目標でもないので、新しく目標を立て直したのである。


  

★ 前半はジム・トレーニングを止めていたのだが
 『コロナのワクチン接種』も終わったので
  週に何回か再開して公園でのトレーニングと並行で行いたい。

  体重が80kg台になって久しいが、前半は多い時は83kgを記録した。
  毎日、体を動かしてはいるのだが、『食い過ぎる』のだと思う。
  83㎏ハいかにも多いので、何とか『70㎏台』を目指したい。

  ジムで筋肉は落とさずに、体重が減ったら『より走り易く』なる筈である。

  歳をとったら『兎に角、体力をつける』ことが一番だと思っている。
 
 要は『90歳を今の体力のまま迎えたい』と思っているのである。


 
 
 
 


韓国の大統領選挙    雑感

2021-07-01 07:09:12 | 私の生き方、考え方&意見

★ 昨日の新聞に韓国大統領選挙の記事が出ていた。

韓国の尹錫悦(ユンソクヨル)前検事総長が来年3月の大統領選に立候補する意思を表明したというのである。

記者会見では、日韓関係にも言及し
「回復が不可能なくらいに関係が悪化した。理念偏向ではなく現実主義に立脚すべきだ」と述べたという。



  






 今の文在寅(ムンジェイン)政権は最悪である。
 それに代わる人なら『誰でもいい』と思ったりする。




    

  



★ 私は中学生までのこどもの頃を当時は日本であった『朝鮮京城府』で過ごした。
 私にとっては『今の韓国』は『懐かしい故郷』なのである。
 隣国でもあるし『仲のいい関係』であって欲しいと願っている。
 いろんな歴史はあるが、当時の朝鮮に対して日本は『いいこと』もいっぱいしたと思っている。

 特に今のソウル・京城の町の基盤を創ったのは当時の朝鮮総督府であったことは間違いない。
 当時の『京城駅』も


       




京城・三越』なども

 
     




今もそのまま残っている。

   
    
  


 ★ 当時の状況は『台湾も同じだった』と思うのだが、
 朝鮮だけがなぜこんな関係になってしまったのか?

 ただ朝鮮は先の戦争の最大の被害者なのかも知れない。
 望んだわけで訳ではないのに、北と南に分けられてしまった。
 戦前は『38度線』などはなかったのである。
 北朝鮮にとっても韓国にとってもこれは『悲劇』としか言いようがない。


 いろいろなことがあるが、
 韓国と日本は隣同志の国として『仲良くして欲しい』と願っている。

 来春の大統領選挙では『文在寅(ムンジェイン)大統領』にはなってもらっては困るのである。

尹錫悦(ユンソクヨル)前検事総長は次期大統領候補を問う調査によると、32・3%でトップを走っていて、文政権に批判的な保守層から支持を集めているという。

 隣国のことで、ただ『見ている』だけのことしかできないのだが、
 来年の春には『新しい・親日の政権』が産まれることに期待したい。
 

 
 
 






スマホの機能 と カメラ機能   雑感

2021-06-26 06:26:04 | 私の生き方、考え方&意見

★ 毎日 gooのブログを書いてるが、
 私は、全くネットの技術的なことは解っていない。
 ブログには毎回写真を貼っているがその写真はドコモのスマホで撮っている。
 スマホを持っているのは電話のためではなくて『写真を撮る』ためなのである。
 以前は『電話機能のない下取りのスマホを持っていたのだが、
 それが壊れてしまったのでカメラの代わりにスマホを買ったのである。

 カメラよりスマホの方がまさに『携帯しやすい』のでスマホにしていて、
 私の『携帯の電話番号』を知ってるのは息子と家内だけだから、
 電話など掛かってこないのである。
 

 

   


 
 現役時代から携帯は持っていなかった。
 『携帯に電話』しなければならぬほど『の中に緊急なことは存在しな』と思っているのである。
 現在も家には電話があるがいつも『留守電』状況になっていて、
 掛って来た電話も自由な時間がある時だけ取ることにしている。
 大体、電話の用件は『大したことではない』ことが殆どで、
 そんな電話で当方の行動を邪魔されたくないのである。

 だから、1日『電話をしない日』も結構多いのである。


 

★そんな私のスマホだが、
いつもそれこそ携帯していて『いろんな写真』を撮っている。
そしてその写真をこのブログに使っているのだが、
ブログをアップするのはパソコンで、パソコンに写真を送ってそれを使っているのである。
 
ところで、スマホからパソコンに写真を送るときに
Internal Storage とか DCIMなる機能を利用するのだが、
それがこんな状況になってしまったのである。

どうやら『空き領域がない』という警告の赤色表示なのである。



 
 

 
 これは『やばい』と思ったが、
 なぜそうなっているのか?
 どうすればいいのか? が解らないのである。

 それでFacebook のメッセージでアメリカにいる孫に連絡したら、
 『後で電話する』と返事があって、家内のLineに電話が来たのである。
 そういう意味では便利な世の中になったものである。


  



 そして、こちらのスマホの画面を見ながら
 孫が懇切丁寧に処置を教えてくれたのである。
 
 パソコンに表示が出るが、スマホ側ではないか?
 と思っていたのだがその通りで、スマホの写真の溜まり過が原因で、
 それを処理したら元に戻ったのである。



  
 

空き領域』が多くなったので、当分大丈夫だと思う。
私は専門分野は専門家に任せてそれを利用しながら
自分のやりたいことをやる』という生き方を現役時代から貫いてきているので、
昨今は周囲に専門家がいなくてこまっているのだが、
アメリカにいる孫に電話で教えて貰える便利な世の中になったものである。


★カメラも現役時代は持っていなかった。
 世界のあちこちに行ったのだが、その写真がないのである。

   当時の写真は、フィルム・現像・アルバムなど面倒なことが多すぎて、
 それが嫌でカメラは持たなかったのだが、
 今の世の中はGoogle マップで検索すると


  ナイジェリアのラゴスでも


 

 

 こんな近代的に発展した写真も

 
 

 昔ながらのこんな街も出てきて。
 当時を懐かしむことが出来るようになったのである。

 
 



 『私のような勝手な生き方をする』人間にとっても、どんどん『生き易い時代』になってきたなと思っている。



 
 
 

こどもの頃の昔話    雑感

2021-06-20 06:27:46 | 私の生き方、考え方&意見

★ 人生90年近くも生きると『昔話』は楽しいものである。
  昔話にもいろいろあるが、こどもの頃のことを語れる相手は極めて限られている。

 私は明石上ノ丸で生まれて、直ぐ朝鮮に渡り、
 戦前は朝鮮京城・今のソウルで中学1年生までを過ごした。
 そんな『こどもの頃の昔話』を語れる人は極めて少ないのは当然のことである。

 私は長男で4人の妹たちのいる5人兄妹なのだが、
 昨日はすぐ下の妹が久しぶりに我が家にやってきた。
 今は明石に住んでいるのだが、
 永年乘っていた車も手放し、7月には免許も返納することになったので、
 と訪ねて来たのである。

 私より二つ下で86歳だから、そんな判断も妥当なのかも知れない。
 こんな明石の有名な寿司屋『菊水』の鮨をお土産に持ってきてくれて、
 昼前から4時過ぎまで、他愛のない『昔話』が続いたのである。


 

 
 
★4人いる妹たちだが、こどもの頃のこと、戦前のことを語れるのはすぐ下の妹までかなと思う。
 戦時中も夏冬の休みには明石に帰省していたので、
 その頃の明石のことなどを話せるのは『二人だけ』なのである。

 大した話ではなく単なる『昔話』なのだが、
 3時間以上も話したことは初めてだったし、
 初めて聞く話もいっぱいあって、私にとっては貴重な時間であった。


 そんな昔話の中で、私が中学校に入学する機会に『明石に帰ろうか』という話があったのだが、
母が反対して京城に留まることにしたというのである。
これは初めて聞く話なのである。

 これはひょっとしたら『私の人生の岐路』になったかも知れないのである。
 中学校に入学した年は昭和20年(1950)の終戦の年だから、
 若し明石に戻っていたら、その後の生活も全然変わったものになったかも知れない。

 当時、明石には上の丸に本家の伯父がいたのだが、
 伯父の知人でもあった上の丸のSさんの家を買おうとしたようだ。
 その話だけは何となく知っていたのだが、いつ頃のことかは知らなくて、 
 それが『私の中学入学を機会に』というのが動機だとは全く初耳なのである。


★その上の丸のSさんの家というのは、今は川崎重工の明石工場の接待寮になっている『二松荘』なのである。
 伯父の本家も同じ明石の上の丸なのだが、昭和20年6月の空襲で爆弾と焼夷弾で焼失してしまったのだが、
 1kmも離れていないのに『二松荘』の場所は爆撃を免れたのである。


 若しこの話が実現して、その時日本に戻っていたらソウルの家は売却したであろうし、
 一人1000円だけを持っての戦後の引き揚げの条件とは全く変わったものになったと思うので、若しそんなことになっていたら、
 私のその後の人生も全く変わったものになったのは間違いないが、
 それが『よかったか』というと『そうでもない』ような気がするのである。


★ 戦後引き揚げてきてからは、経済的には戦前の生活と全く変わった厳しいものになったことは間違いないのだが、
そんな苦しい時代を経験しながらも、
お金は沢山ないほうがいい』というのが私の生き方の基本なのである。

特に私を可愛がってくれた伯父はこどもの私を花隈や有馬での華やかな宴席などにも連れて行ってくれたりもしたのだが、
そんな伯父の生活態度を見ていて、何となく『お金はあまりないほうがいい』と思うようになったのだと思う。
 
お金が潤沢にある生活とお金に苦しい生活』をこどもの時代に経験してみて、
お金があり過ぎるほう』ほうが、むしろ『害がある』とそんな風に思うようになって、その後の70年以上を生きてきたのである。


★ 久しぶりに妹に会えたのだが、こんなに長い時間二人で雑談をしたのは初めてかも知れない。
妹にはこどもがいないし主人は先に逝ってしまったので今は独り身なので、
別にお金に困っている訳でもないのだが、こどもがいないと自分の身の回りの処理を自分でしなければならぬようで、これは大変だなと思った。

死後のことなど別に整理をしておかなくても、
子どもが何とかするだろう』と私などは太平楽なのだが、そうもいかないようである。
 そういう意味では『こどもはやはり一番の宝物』なのかも知れない。


 
 

 

 
  

コロナワクチン接種情報

2021-06-02 07:26:18 | 私の生き方、考え方&意見

★テレビなどでも連日トップニュースは『コロナワクチン接種』である。

 5月が終わって日本のワクチン接種状況は約1200万人のようだが、
 6月中旬からは1日100万回が実現するかも知れないとか言われている。

 
 
  
 
 私も5月30日に第1回目のワクチン接種を受けたのである。
 1回目を受けての感想など既にブログにアップしたのだが、
 接種後の副作用も特に大したこともなく安心していたのである。


 アメリカにいる娘が2回目のワクチン接種をしたら、
 『熱が出て大変だった』という情報は入っていて、
 熱に弱い私のワクチン接種を心配してくれていたのだが、
 殆ど何もなくて『拍子抜け』していた状況なのである。


★ 日本ではまだ、一般には『1回目の接種』が終わった段階で、
  『2回目の接種』を受けた人と言えば『医療関係者』ぐらいなのだが、
  『1回目と2回目』では状況が全く異なるようなのである。


       昨日は家内の『北播磨総合病院』での定期健診で、担当医の診断を受けてきたのだが、
  通常の診断をいろいろと仰った後に、
  『ワクチン接種は必ず受けて下さい
  『2回目の接種は1回目とは違って、熱が出たりするので大変だから、そのための治療薬を出しておきます。』と仰るのである。


  


 先生ご自身が2回目を受けた時の情報を基に、そのように言われているようだった。
 家内は未だ1回目も受けていないのだが、6月中には1回、2回とも受けるので、その2回目の対策薬を貰ってきたのである。

 こんな話は初耳だが、1回目は何事もなかった娘が2回目は大変だったようだから、この症状はほぼ間違いないのである。

 私の2回目は6月20日なのだが、熱には本当に弱いので、
 掛かりつけの医者に状況を聞くのと同時に『対策用の薬』を貰いに行ってみたのである。
 掛かりつけのお医者さんも既に2度目を打たれていて、
 3日間ほど大変だったようで、
 私のために3日間の対策用の薬を出して頂いたのである。


★ 『コロナワクチンの2回目の対策用の薬』など大病院にはあっても、
 『町医者にあるのかな?』と心配していたのだが、
  これは『ワクチン接種の対策薬』などではなくて、
  単なる『解熱剤と胃腸の薬』だったのである。

  お医者さんお二人が揃って同じようなことを仰ったし、
  アメリカの娘の実績もあるし、お医者さんから得た情報なので、
  『この私の情報』は、結構信頼性は高いと自負している。
  薬の名前も解ってはいるのだが、これは書かずに解熱剤としておく。

  今から『コロナワクチン接種2回目』を受けられる方が殆どだと思うので、
  『2回目対策』については掛かりつけのお医者さんにでも相談をされたらいいかと思うのである。


 そのうちにテレビなどでも報道があるかも知れない。
 現在は『副反応の情報』は

 
 
  『アナフィラキシー』というアレルギー症状だけが書かれていて、
  高熱対策などは『副反応』の中には入っていないようである。

 
 
  
  
 

 




米寿の筋肉痛    雑感

2021-05-11 05:54:38 | 私の生き方、考え方&意見

★ 今年米寿を迎えた。
 米寿を迎えた目標を次のように設定した。

  



 目標を立てたのはいいのだが。
 4月はちょっと張り切りすぎたかなと思っている。
 『毎日6kmのスロー・ジョッギング』だったはずなのに
 殆ど7km以上の実績になっているし、



 



  歩数は『1万歩』を越えた日が多いのである。



  


  ちょっと『やり過ぎた』かも知れない。
  4月の末頃から右足のふくらはぎに『張り』が出て
  所謂『筋肉痛』になったので、
  ゴーデンウイーク明けには整形外科で『筋肉を和らげる薬』を10日分貰ってきたのだが、
  痛みが治まったので昨日はちょっと走ったらまたぶり返してしまったのである。

  
    


★ 何でも『楽観的』に考えるのだが、
 歳は歳なのだから、少しは自重しなければと思ってこのブログをアップしている。

 筋肉を和らげる薬は未だ7日分残っている。
 あと1週間ちょっと大人しくしていようと思う。

 それにしても米寿で『使いすぎの筋肉痛』になる人は少ないのかも知れない。
 別に大人しくしていれば特に何でもないのだから、運動しなければいいのだが、
 果たしてちゃんと実行できるだろうか?

 こんなブログでもアップしなければ、また『走りだしそう』だから、
 こんなこと書いているのである。


 
 
 

 


コロナの状況と三木市  雑感

2021-05-06 06:45:03 | 私の生き方、考え方&意見

★昨日は5月5日こどもの日、イメージとしては五月晴れなのだが、終日雨だった。
 外にも出れず終日家の中で過ごしたが、コロナ対策としては万全。
 閑に任せて、『コロナの状況』を調べてみた。


 兵庫県は関西では大阪に次いで2番目の地位にいる。


   
 

 その兵庫県では『コロナの状況』はこのようになっていて、
 人口の多いところは、当然乍らコロナ患者も多いのだが、


 
  



  三木市と同じような人口でも、
  大阪・神戸に近い芦屋市は三木市の2倍のコロナ患者だし、
  日本海に近い豊岡市は逆に三木市の半分なのである。


  



★ 元来、日本では『通勤に便利なところ』に人が集中していて。
 『住むのに快適なところ』はそんなに評価されない傾向が強かった。

 今回の『コロナ禍』を機会に、従来のこんな発想は見直されるべきだと思う。
 海の向こうのアメリカは面積は広大だが、
 海岸線の長さはほぼ日本と同じくらいなのである。
 そんなことから、『海の見えるところ』はアメリカでは『超高級住宅地』だし、
 都心よりはちょっと離れても自然の多い地域に住むことが好まれる。



 そういう意味では、『三木市はなかなかいい街』なのである。
 自然は多いし、道は広くてゴルフ場はいっぱいで、
 そして『神戸の隣町』なのである。
 まさにアメリカなら、『住宅地』として高い評価が与えられるはずである。
 
  
 

  この地図で大阪に近い『白っぽい』ところはコロナが多かったし、
  『緑豊かなところ』は大丈夫だったのである。

  さらに今は『ネット社会』なのだから、
  ネット上では神戸もアメリカも『同じ隣町』なのである。

  こんな『コロナ禍』を機会に、
  『発想の転換』をすべきでないかなと思っている。

  私は明石から50年前に三木に移り住んだのだが、
  『正解だったな』と思っているのである。


 
 
 
 

ワクチン接種の通知は頂いたが・・・

2021-04-25 06:36:10 | 私の生き方、考え方&意見

★コロナウイルス問題、昨今はまた大変である。

 そんな時期に三木市役所からこんな『ワクチン接種の通知』を頂いた。
 4月には高齢者からワクチン接種が始まると聞いてはいたが、
 この通知を頂いたのが4月21日なのである。

 こんなカラー刷りの立派なチラシが入っていて、
 予約申し込みの電話番号なども
 0570-077-024 と大きく書かれているのだが
 今は幾らかけても全く繋がらないのである。
 
 
  



  同封されていた中にはこんな5月初旬の『ワクチン接種日程』なども書かれているので、
 素直に見たら5月6日から5月11日の間に『ワクチン接種が出来る』と思うのが普通だが、
 多分85歳以上の高齢者の半分以上はこの期間には『ワクチン接種は出来ない』のではないかと思っている。




 

 
★こんな情報は三木市のホームページにも載っていたので
 85歳以上の高齢者は5月の初旬には『ワクチン接種』も完了するので、
 5月13日に予定されている野球部のゴルフコンペには参加しようと思っていたのである。


 ところが、この通知を頂いてから、
 この通知に書かれていることをやろうとしたのだが、
 とても『この案内通りには上手くいかない』ということがよく解ったのである。

 よほどこれから『運よく』運べば兎も角、
 普通に考えると『ワクチン接種5月中に可能』も怪しいかもしれない。
    ひょっとしたら6月になるかも?
 
 

★この説明書はデタラメだとは言わぬが、
 少なくともこのようにスムースには行かないのである。
 
 このチラシはあと何ヶ月か後ならこのまま通用するのだろうが、
 まだいろいろと準備中の今現在4月の段階ではこの通りには『通用しない』内容のチラシなのである。
 これは三木市民8万人用のチラシで、4800人の85歳以上の高齢者向けのチラシではないのである。
 
 この2日間いろいろ調べたり、三木市役所にも電話して聞いて解った点を列挙してみると

 ● 予約の電話窓口は『全く繋がらない』と思ったほうがいい。
 ● ということは『予約が出来ない』ということなのである。
 ● この番号は三木市役所ではなくて委託業者の番号だが、受付人数は5人しかいない
 ● それに対して、今回この通知を受け取った三木市の85歳以上の高齢者は4813人もいるのである。
 ● 4000人以上の人が一斉に電話をするのだから『繋がる』訳がない。
 ● ネットでの申し込みとあるのでネット申し込みをと思ったら、ネットは準備中で完成は5月半ばになる。        
 ● 調べて貰ったら、4月21日中に運よく予約出来た人は200人位だとか。
 ● この調子なら4800人が予約するには20日以上掛るし、
 ● 一方、4月中に三木市に届くワクチン975人分しかないのである
 ● 5月早々にあと3000人分のワクチンが届けばいいが、届かなければ1000人分しかないのである。
 ● 5月に幾つ届くのかは今のところ不明だというし、仮に届いても『接種能力』がないかも知れない。
 ● 三木市役所の中に『ワクチン接種対策室』なる職制も創っていて、室長さんと電話で話もしたが、機能しているとは言い難い。
 
 
 私がこの2日間にマーケッテングして掴んだ情報は大要以上である。
 全然、準備が出来ていないのに、
 なぜこんな立派なカラーの通知書で案内が来たのか?
 この通知書は6月ぐらいになって『諸準備完了』の時点では通用するが、
 今の状況ではその内容は全然デタラメなのである。
 そんなデタラメな資料を臆面もなく送ってくるところが『お役所仕事』なのかも知れない。

 今現在はこのような条件にはなっていないので、
 今回の『85歳以上の対象者受けの案内書』を別途造る親切心は全く持っていないのである。
 

★然し、三木市ばかりではなさそうで、
 新聞によると各地で混乱状態だという。
 こんな記事が流れていた。

  
 


 70回かけても繋がらずというが、何回かけても繋がる目途はないのである


★お役所だから仕方がないのかも知れぬが、
 『末端状況を見据えた仮説』が全く検討された跡すらない。

 『仮説の正当性を問うビジネス』と言われる流通業の中で育った私だが、
 現在の状況末端の状況を見据えた仮説を立て
 それに対応するシステムを組まないからこんなことになるのである。
 完全に出来る6月頃なら兎も角、まだ準備中のネット申し込みなど出来ていないのにそのまま配る神経を疑ってしまうのである。

 文句を言ってても埒があかないから、今回は黙ってじっくり待つことに決めた。
 FAXは我が家にはないので、ネット申し込みが早く出来るようになればいい。電話はもう掛ける気がしないくらい『繋がらない』ことがよく解ったのである。

 『85歳以上』の一番優遇されたグループに入れて貰っているだけでも『難い』と思うことにしたのである。

 ただ、皆さん方85歳以下の方たちも、いずれは『ワクチン接種』を受けられるのだろうから、
 その頃までには『いい仕組み』に改善されていることを望むばかりである。
 6月になっても多分電話は繋がりにくいと思うから、
 『ネットやFAXでの予約申し込み』を主流にすべきだと思うのである。

 
 
 
 
 

ブログのカテゴリー  雑感   その1 

2021-04-21 06:42:04 | 私の生き方、考え方&意見

★2006年の9月から殆ど毎日『雑感日記』なるgooのブログをアップしているが、
 
 従来そのカテゴリーは左のように20項目あったのだが、
 昨日それを整理して右のような18項目に整理した。
    並べ方も全く変えてみたのだが、
 どのように変えようとするのか、その発想は簡単に整理できるのだが、
 それを『パソコンの作業』に置き換えて具体的に実施するのは、
 私にとっては『大変な作業』なのである。







 

 今後もこのブログ・雑感日記は書き続けることになるのだと思うが、
 このカテゴリーで大丈夫だと思う。
 カテゴリーは2つ減らして、並べ方は全く新しくした。
 何とか思う通りに出来て、大満足なのである。
 

 自分で言うのはおかしいが、身の回りの整理などは全くしないのだが、
 こんな資料というか『データーの管理の整理』には不思議に関心があって、
 現役時代から結構ちゃんとやれているのである。

 これは多分、川崎航空機に入社して初めて『減価償却のIBM化』をやったのだが、
 当時はまだ『カードシステム』の時代だからその桁数にも制限があって、
 極めて高度な『整理整頓』が出来ないと機械化が出来ないのである。
 このプロジェクトに1年半ほど掛かりきりだったので、
 自然に『整理・整頓』が身に付いたのだと思っている。
 

★このブログを書きだしたのは2006年で定年後の人生がメインで、
 定年後の『私の人生・生き方』を表わしていると言っていい。
 『並べ方』は現在に近いものの順に直していて、『自分史』で一応区切っている。
 そのあと『政治』と『スポーツ』という一般項目があって、
 『カワサキワールド』以下は私の現役生活を纏めたものである。
 『ジェット・スキー』『7万台の時代』『北海道・建機』の3っは
 私の現役生活最後の15年間で『現役生活の集大成』と言ってもいい。
 
 
★このように纏めたことで、我ながら『大いに満足』しているのである。
 それぞれのカテゴリーは私にとっては大いに『意味のある』ものである。
 『雑感日記』と『発想&感想』という自分の感じたことなどが一番多くて、 
 2000を超えているのである。

 それぞれの『カテゴリー』については、
 なぜこんなカテゴリーにしているのか?
 自分の想い出や、その時々の生き方などが網羅されているので、
 主だった『カテゴリー』についての想いなどを纏めてみよかと思っている。

 

 



実現可能な目標がいい  私の生き方、考え方&意見

2021-04-13 06:43:56 | 私の生き方、考え方&意見

★松山英樹がマスターズで優勝した。
 昨日は終日松山優勝の情報で溢れた。
 素晴らしい快挙であったことは間違いない。
 松山にとってこれは一つの目標であったとは思うが、
 スポーツの世界ではこのような高い目標に挑戦するのはいいことだとは思う。

 然し『高い目標』を実現できた人は、現実には少ないのかも知れない。
 そういう意味では、『実現可能な目標』にチャレンジして、
 それを『実現する』ことで自信に繋げて、
 更に『一歩高い目標』に挑戦するほうが現実的かも知れない。
 どちらかというと、そんな『実現可能な目標』にチャレンジし、
 ほぼ、それを『実現出来た人生』だった。

 若い頃から『そんな目標』ばかりを立ててきたように思う。
 そして、『立てた目標』は殆ど全て『実現できた』ことが生きる上で大いに自信になったような気がするのである。


★ごく最近も、今年こんな5つの目標を立てている。

 曰く、こんな5つの目標である。
 
 1.毎日6km、最低スロー・ジョッギングジョッギングで走る
 2.ゴルフのスコアは『80台を目指す』
 3,金魚とメダカを増やす
 4.囲碁1級に戻ること
 5.庭仕事に精を出す


 大してムツカシイ目標ではないのだが、
 それが実現出来たら楽しいし、『励み』にもなるし
 何よりも『老後の生活』が明るく過ごせると思っている。

 このうちの一つ『囲碁1級に戻す』が3日目に実現した。
 若し、目標を立てていなかったら、
 今でも2級か3級あたりをウロウロしていると思う。
 『目標を立てて』それを『公言』したので実現したのだと思う。

 今やっている『パンダ碁』のシステムはなかなかよく出来ていて、
 勝てば上がるし、負けが混めば級は下がる。
 この1年、2級か3級の間をウロウロしていて、
 それはそれで『気楽に楽しめて』いいのだが、
 どうもだらだらになってしまうのである。

 3級だった時の勝敗数はこのように、負けが82も上回っているような
 レベルなのだが、

 

 
 1級のレベルは負け数は60まで縮めないとダメだから、
 勝ち碁を続けて勝ち負けの差を縮めなければならない。

 1日に結構な数を打つので連勝すると直ぐ級は上がるシステムなのである。
 


 
 
 今日実現したということは、この3日間で20局以上勝ったということである。
 確りと打てば結構勝てる。
 1級が実現したので、今日は3局しか打っていないが、3戦3勝なのである。

 
 

10年ほど前は『初段』にで打っていたので、
もう一度『初段に挑戦』してみようかなとも思っている。
こんな気になるのも、『実現可能な目標=1級』が実現したお蔭である。


★ 現役時代もいろんなことに挑戦したが、
 それはちょっとだけ『高い目標』でことごとく『実現出来た』のが、自信に繋がっているし、
 何よりも実現出来て『嬉しかった』し『楽しかった』のがよかったなと思っている。

実現可能』ではあったが、なかなか高度な目標でもあったと思っている。
 若い頃から並べてみると
 
 ● 財産物件の減価償却のIBM化
 ● ファクトリーチームのレースの優勝
 ● 日本で最初の二輪専門店の販売網設立・特約店制度
 ● 国内販社の事業再建
 ● 世界の販社の経営再建システム
 ● 日本で初めての『一般ユーザーが走れるサーキット・SPA直入』
 ● 国内販売『7万台への挑戦

 ざっとこんな感じで、最後の7万台が単なる販売台数実現だけではなくて、
 『新しい販売システムの全体的な構築』によって実現できたことが良かったと思っている。

 こんな目標に比べたら、今年の目標は低次元かも知れぬが、
 米寿を迎えた88歳にしては、『適当に実現可能』な目標だと思っている。
 ゴルフの80台、
 これが一番ムツカシイと思っているのだが、
 ゴルフの回数が減っているので、ちょっとムツカシイかと思うのだが、
 目標をたてたので頑張ってみたいと思っている。


 
 

 
  

独学  雑感

2021-04-10 07:26:41 | 私の生き方、考え方&意見

★ 私の人生、一応は『大学卒』となってはいるが、
 何度もこのブログでも、自分史の中でも書いたように、
 学校で勉強したのは中学2年生まででそれ以降は『野球一筋』だったから、
 ほんとの学歴は『中学卒』なのかも知れない。
 
 別に勉強が嫌いなわけではなくて、社会人になってからも、
 必要に応じて自分なりに必要なことはその都度よく勉強したと思っている。
 神戸商大を出ているのに『簿記』の単位は採っていないのである。
 ただ、社会に出てから特に二輪の自前の代理店の経営が軒並み難しくて、
 その経営の維持や立て直しに最も重要だったのは、 営業内ではなくて、資金繰りなどの営業外対策がメインであったし、
 銀行に借入金の申し入れをするためには『バランスシート』が必要で、
 『それは解りません』と言える立場でもなかったので、『独学』で勉強したのだが、
 これは後々自分で販社経営を行った時に非常に役に立ったりしたのである。

 『勉強』など別に学校で習わなくても『やろう』と思えば幾らでもやる方法はあるもので、
 そういう『自分の意思』こそが一番大事かなと思っている。
 『独学する』ための基礎学習は『中学2年生までの学力』で十分だと思っている。


★ ところで、長く人生を生きてきたが、
 定年後に出あったのが『ネットの世界』と『薔薇などの植物栽培』なのである。
 
 特に『ネット関連』については定年後パソコンに出会ってからなのだが、
 全くの『独学』で、ブログも、Twitterなども、それなりのレベルでやっているので『詳しい』と思われることもあるのだが、
 自分がやれていることが『やれている』だけのなのである。

 つい最近も、家内の『iPadのLineの海外通話』が繋がらなくなってしまって、そんな対応はとても出来ないので、
 アメリカの孫にFacebook のビデオチャットでいろいろ聞いてみたのだが、
 『Wifi のルーターの線を抜いてもう一度差し込め』というのだが、
 その『ルーター』なるものが何かが解らないのである。
 孫が丁寧に絵を画いてくれてやっとルーターとは『これだ』と解ったようなそんなレベルなのである。

  
    


 やってみたら、ホントにそれで治ったのである。
  


★ 植物の栽培もまずは『薔薇の栽培』からスタートしたのだが、
 これはまずまずのレベルになりもう15年以上も続いている。

 極く最近になって、実の成るものにチャレンジしているのだが、
 これがなかなかムツカシイのである。
 みかんは何とか成ったが、『柚子』は実が付いたことがないし、
 葡萄も5年目になるが花が咲かないから、実も成らないのである。
 そんな『独学・植物栽培』なのだが、
 今年は葡萄は6年目だから、是非葡萄の房が見たいものである。
 多分『巨峰』だと思うから、是非我が家の『巨峰』を食ってみたいものである。
 
 その葡萄の新芽が出だして、いまこんな状態なのである。

 

 
 今年こそと思って『葡萄の栽培』についてネットで調べているのだが、
 こんな厳しい指摘の文書に出会って、
 『こう厳しく言われると』全く自信はないのである。
 
樹木はきちんと世話をすれば毎年楽しませてくれます。 放っといても花が咲いて実がなるのはごく一部です。
成らせたい、世話をする気がある、というのであれば、今からブドウの栽培について勉強して下さい。 
特に前年の管理が一番関係します。来年、花が咲くかどうかは今年の夏にだいたい決まるということです。

1年を通しての管理が花着きに影響しますので、花を咲かせたいなら今からきちんとブドウの管理を学んで下さい。



 まずはこの時期の『芽欠き』についてネットでいろいろ調べてみた。
 『葡萄の芽欠き』で検索すると動画などで詳しく説明されている。

 こんな動画を見ながら、何とか『芽欠き』をやってみた。
 昨年は確か『芽欠き』などはやらなかったように思う。

 

 
 まだ今のところ『葡萄の花芽』は見られないのだが、
 『花芽』についても作業があるようなのでやってみたいが、
 何よりも今年は『花芽が見られるかどうか』が焦点である。

 ことほど左様に頼りない『独学』だが、
 ひとつひとつだが、身に付いていく『私の独学』なのである。

 
 
 


コロナ対策 どうなるのだろう?

2021-03-30 07:24:36 | 私の生き方、考え方&意見

★ ここにきて、収まり掛けていた関西でのコロナが急増傾向である。
 大阪では3日連続で300人を超え、東京を上回ったという。

 兵庫県では新たに93人とあるが、
 神戸市45人、尼崎市10人、西宮市7人、明石市7人、姫路市5人
 とやはり大阪に繋がっている『通勤圏』が殆どで、
 『三木市』の名前はない。


 



 『三木市』のホームページを見ると
 三木市はなぜか『加東健康福祉事務所管内』として公表されるようになっていて
3月1日付の発表より、三木市の新たな感染者数の増加はありません。 』
と公表されているので3月の新発生者はゼロということなのだろう。


★4月になると高齢者に対する『ワクチン接種』が始まるので、
 それまで『頑張ろう』と思っているのだが、
 これも市のホームページを見ると、『少し遅れている』ようである。


 


 
 然し、遅くとも4月中には『ワクチン接種』をして貰えるだろうから、
 あと1ヶ月の頑張りである。

 結構ちゃんと、『コロナ対策』になっているような日課をこなしている。
 殆どと言っていいほど『人との会話』はないし、
 この半年『外食も皆無』である。
 
 それなのに、あまり寂しくもないのは、Facebook でのネットのやり取りがあるからだろう。
 昨日もアメリカの孫のサッカーの実況を観ていた。
  無茶苦茶攻められて18本のシュートを打たれたが、
 見事セーブして2-0の勝利だった。

  



★ 昨年春以来の『私のコロナ対策日課』だが、

 ● 朝は三木総合防災公園を走る
 ● 家内の買い物があるとスーパーまで付き合う
 ● Facebook でのやり取り
 ● ネットで囲碁を打つ
 ● 庭仕事をする
 ● 結構確りと毎日ブログをアップする

    ぐらいのことなのだが、退屈せずに毎日が過ごせている。
 こんな日課なので、この1年『マスクをした時間』は殆どない。
 スーパーに行った時だけと言ってもいい。
 車の中に3枚のマスクがあるが、これは昨年3月以来のもので、
 『3枚のマスク』で間に合った三木の環境に感謝である。

  私だけではなくて、マスクをしていない人が殆どである。


  


 



 5月からは 新しい日課がこなせるようになることを期待している。



 
 

ジョッギング    雑感

2021-03-10 07:01:48 | 私の生き方、考え方&意見

★ 私自身は子供の頃から運動は好きだったし、
 運動神経も人並み以上ではあったのだが、
 『息が切れる』のはどうも苦手で、マラソンも嫌だったし、
 野球で言うと、守備練習のノックそのものは好きだったのだが、
 『しぼるノック』というか50本も100本も続けてやられるのが嫌だった。

 それなのに子どもたちは息子はサッカーをやり出したし、
 娘は小学校・中学校とマラソンは1番で、
 二人ともこんな『息の切れるスポーツ』をよくやったなと思っていた。

 だから、定年後ストレッチなどをやりかけて、
 走ったりもしていたが、それは『ダッシュ』ばかりで、
 所謂、長距離のジョッギングなどは一切やっていなかったのだが、
 いつの頃だったか、防災公園の1.8キロコースを走ってみたりはしたのだが、
 とても『しんどくて』ダメだったのである。


★ところがもう3年も前になるかと思うが、
 『スロー・ジョッギング』は『息が上がらない』というのでやってみたら、
 ホントに大丈夫なのである。
 そんなことで、もう3年も毎朝続いている『スロー・ジョッギング』なのだが、
 今では1時間は続けて走れるようになっているのである。

 70歳から再開した運動だが、歳をとるごとに逆に『体力は向上』して、
 77歳からは50メートルダッシュをやりかけたが、
 年々スムースに走れるようにはなったが、
 今以上に『早くスムースに』走るのは『やはりムツカシイ』と思って、

 88歳・米寿を迎えたのを機会に、
 『ジョッギング』なるものにチャレンジしようかなと思っている。

 そして、昨日からその挑戦をスタートした。
 『長距離をジョッギング』するのはこれはダメなことは解っているので、
 『スロー・ジョッギング』約6kmやっているのだが、
 そのうちの『下り坂』だけを『ジョッギング』してみることにしたのである。

  
 コースの中にはこんな上り坂や下り坂の緩やかな勾配がある
 坂道があるので、

  

 




 スロージョッギングでは、
 そんなコースを毎日変えながら走っているのだが、
 それが『下りになるとき』だけ『ジョッギング』に切り替えてみたのである。

 『下り坂』だから何とか『ジョッギング』にはなるが、やはり少々苦しい。
 しかしやってみたら、何とかなったのである。



★ これがその結果だが、昨日は家内の病院にも付き合ったりしてるので、
 歩数や距離は、いつもより多くなっているが
 『アクテイブタイム=72分』は 『スロージョッギング+ジョッギング』の時間なのである。
 何とかやれたので、今年はこのスタイルで行こうと思う。

 ひょっとしたら全部『ジョッギング』で行けるようになるかも知れない?
 とそんなことを期待しているのだが・・・