







1964年の秋10月10日、東京オリンピックの開会式の当日、MCFAJの全日本があって伊豆にいた。
このレース、4種目中3種目に優勝した。
カワサキコンバットの三橋、安良岡、梅津、岡部。
神戸木の実、山本、歳森の時代でまだ星野はいなかった。
星野一義はこの1ヵ月後、11月8日和歌山がデビューである。
天城山の直ぐ下で、まだ有料道路が珍しい時代で、伊豆スカイラインが快適であったのが印象に残っている。』
★今回の選挙で、沖縄と大阪で自民党が敗北したことで、こんな報道である。
然し、この二地区は特別な地域で、この選挙で自民党が負けたからと言って、全国的に自民党が『おかしくなった』というのはちょっと違うのではないかと思う。
特に、大阪で自民が維新に負けたというのだが、確かに大阪府連の自民は負けたが、自民党本部というか官邸にとっては、大阪知事・市長のダブル選も併せて『思い通りの望んだ結果』だったのではなかろうかと思っていたのだが、
『ひるおび』で、安倍さんや官邸と『維新との関係』をやっていた。
★私自身は政治に関しては『無党派層』で敢えて言うなら『維新』かも知れぬが、それは『維新』には引退したとはいえ『橋下徹』さんが未だ絡んでいるからなのである。
ごく最近のブログにもこんな私のホンネの私見を述べているのだが、
この際日本の政治のことについて、素人の私見を言わして貰うなら、所謂野党が一番保守的というか従来の政治パターンに拘っている。 安倍自民党のほうがむしろ革新的だから、若い人たちの支持も多いのだろう。一番革新的なのが『維新』ではないかと思っている。 議員報酬の削減を一番言ってるのが『維新』だし、こんな小さな日本で従来の都道府県単位の行政を行っているから、政治に金も要るのだろう。
できたら『橋下徹さんや安倍さんなどが組んで、ホントに革新的な新党を創り』日本の政治を根底から時代にあったものに変革するようなことができないのかな? と思ったりする。
昨日の『ひるおび』によると、ずっと以前、安倍さんが第一次安倍内閣を降りてた頃、現実に橋下徹さんは安倍晋三を『維新の党首』に迎えようとしたというのである。
何よりも『橋下徹さんの意見』と考えが同じだったことに大満足である。
その時のことを田崎史郎氏は、『安倍さん、内心嬉しかったのでは・・』と言ったりしているが、第2次安倍内閣が出来る安倍さん浪人時代のことなのである。
こんな3人での会合があったらしいが、『総理・総裁経験者として離党することはむつかしい』と断られているのである。
然し、維新についての質問にはこのように答えているし、『憲法改正問題』については維新は大きな力だから、大阪にとって維新が強くなることは、官邸としては『ウエルカム』なのではなかろうか?
それにしても、今回の『大阪維新』は強かった。
肝心の『大阪都構想』が今後どのような推移を辿るのかも見過ごせないし、『橋下徹』さんの政界復帰なども、今度は安倍さんや菅さんが上手に『誘わないかな』と思ったりするのだが、これは本来の衆議院議員などではなくて、いきなり『大臣登用』などの手が打てないのかな?と思ったりするのである。
『安倍さんの4選』もささやかれたりしているが、私は『4選賛成』である。その時点で『橋下徹』さんを大臣に登用して、一気に『憲法改正』の手を打てばいいと思う。
『憲法改正』は国民投票だから、『維新の力』も要るが、それを推す一般国民向けの『人気スター』も要るのではないかと思っている。
『憲法改正にあなたの力が要る』と言って口説けば、私は今は下野している『橋下徹』さんも断らないと思う。
こんな筋書きは、別に私が言わずとも安倍さんはちゃんと考えていると思うのだが・・これから先1・2年の動きに目が離せないのである。
★86歳の誕生日を迎えた。
ホントによく生きたなというのが実感である。
祖父も伯父も父も早くこの世を去ってしまったので我が家系は「男は早く死ぬ」と信じて疑わなかったのである。
逆に祖母は確か102歳、母は103歳まで長生きした。そんなDNAを貰っているのかも知れない。
おもしろい人生だったと思う。
自分の人生も変化に富んでオモシロかったが、時代というか世の中そのものがオモシロかったし、普通は変化に乏しい大企業でのサラリーマン生活もまさに変化に富んでいたのは、『二輪事業という新事業』であったからだと思う。
いずれにしても、生きてきた時代も、環境も、背景も面白かったと言っていい。
一言で言うと『運がよかった』のだと思う。
★若い頃に、『本格的な広告宣伝』という業務に携わって、マーケッテングの基本が『差別化』であることを学ぶことが出来たのが、その後の人生に幸いしたと言っていい。
私の生き方を一言で言うと『差別化』ちょっと他人とは違った生き方を目指した。
発想も、具体的な目標も、動き方も、すべてが『差別化』だったと思う。
特に現役時代、周囲の方たちとは『違った生き方』が出来たのはなぜかなと思う。
こどもの頃から『何になりたい』と思ったことは一切なくて、『流れの中』に身を任せていただけで、中学も大学も、会社も職場も職位もみんな他人が決めてくれたことを、自然に受け入れただけで、自分で選んで決めたわけではない。
ただ、そんな任された環境の中でやった仕事の内容は、私なりの感覚で『自分で決めたこと』ばかりだが、結果的には『新しい世の中で初めてのこと』が殆どだったのである。
だから、引き継ぎなど一切したことがない。
★ホントに自分で全て『やることを決めて』動き出したのは、現役を引退してからなのである。
そういう意味で、引退後のほうが現役時代よりは『むしろ充実している』ようにも思ったりするのかも知れない。
最近は、朝8時半からジムに行って、7000歩から1万歩近くをサイクリングとスロージョッギングでこなしている。
その中で50メートルダッシュを6本ほど、80歳ごろから始めたダッシュだが、年々早くスムースに走れるから不思議である。
パソコンを始めたのも70歳を過ぎてからだが、毎日欠かさずブログをアップしている86歳も珍しいだろう。
間違いなく、世の中の『お年寄り』とは『差別化』出来たオモシロい人生を走っているのである。
後期高齢者であることは間違いないのだが『老人』ではないと思っているし、今年も『体力年齢は50代』の記録が出るだろう。
昨年より筋力は付いているし、柔軟性はさらにアップしていると思っているのである。
★こんな呑気なことを言ってるが、昨年7月5日には、風呂の中でいつの間にか「意識を失っていた」のである。
人間、突然何があるか解らない。
あの時もたまたまアメリカから娘と孫が日本に来ていたので、風呂から引き揚げてくれたのである。
そういう意味では『運がいい』のだろう。
かって現役の頃、『性格テスト』をやったことがあるのだが、結構「いい項目」が高得点で並んだのだが、『反省が足りない』という項目も、これは最高レベルの点数だったのである。
確かに、『反省など』したことがない。
そんな『いい加減』な『ネアカな』『ちょっと変わった人生』は自分でも気に入っている。
でも、最近は風呂の中では、何となく『気をつけている』から少しは反省しているということか。
そんな86歳の人生が、今年もスタートしようとしている。