昼頃は雷に見舞われた札幌から、ren.です。
直上で爆ぜること数回、稲妻も2度ほど観ることができて、荒天マニアとしては満足(w
さて、先週土曜日にめでたく最終回を迎えた「地球へ…」。
リアルタイム視聴では、その詰め込みっぷりによる濃さと、原作からアレンジされたポイントへの戸惑い、そして良作が大団円を迎えてしまった喪失感から、しばらく呆然としてしまい、正常な感想がもてない状態になっていました。
しかし、連休中に2度3度観直して、ようやく冷静になってきました。おかげで泣けた泣けた(w
「テレビアニメ 地球へ…」の感想を語るには、どうしても「原作 地球へ…」を引き合いにして、その違いを話さなければいけません。
アニメで興味をもち、今後原作を読んでみようと思っている方は、ネタバレに気をつけてください。
なんせ、私はネタバレ回避派なもので(w
*ネタバレここから ~ ここまで*
を参考にしてください。
今回は長いぞ!原作100ページ分だ!覚悟しろ!!(w
大マザーをめぐる丁々発止。
大マザーから感じる、強大なプレッシャー……。
なんせ大マザーは、地球のエネルギーそのものをともいえる存在となっています。
そのエネルギーによって人間の精神に直接圧力を加え、心を支配すらすることすら出来ます。
つまり一種の、人工ミュウといっても過言ではないでしょう。
アニメの大マザーも、システムとして完璧なものでないことがキースによって語られています。大マザーにとってのミュウは、S・D体制上では癌細胞でしかないのです。
しかし、大マザーはそのミュウの因子を排除することは出来ません。そうプログラムされているのです。
*ネタバレここから*
原作では所詮大マザーは小物。真の黒幕が他にいました。
S・Dの10年前に作られた、コンピューター"地球 "。
大マザーとは人格が違うため、声も違います。私はすっかり、このための若本さんだと思ってたのに(w
*ネタバレここまで*
ミュウの定義は、人類の進化の可能性。管理社会という環境でのストレス(種への圧迫)を乗り越えられるなら、その存在は偶然ではなく、確固たるものであるということです。
果たして将来、再生された地球を統べるのは人類とミュウのどちらなのか。
*ネタバレここから*
マザーが破壊された後、真に地球を再生するシステムとしての自分をどう使うのか、その判断を託す相手を、テラはミュウだと予想していたようです。
ちなみに、キースにとって学生時代の出会いは、やはり原体験のようです(w
*ネタバレここまで*
ジョミーとキースの対立。
なお原作では、チャンバラはありません(w
ジョミーは、ミュウの代表として、その存在を確立したい。
そのためにはS・D体制を崩壊させなければいけない。
キースは、人類の代表として、その尊厳を守りたい。
人類は今までマザーシステムへ依存してきたわけですが、それも尊厳を傷つけるものと気づきました。
ここで双方が帰結するのは、機械の支配からの開放です。
アニメではキースが「時代遅れのシステム」と大マザーを揶揄しています。古い考えのままでは、進化した時代には対応していけないのです。
大マザーへの攻撃。
地球そのもののエネルギーを自分のものとする大マザー。
ジョミーは仲間達の思念波を仲介することで、ついに大マザーを破壊します。
*ネタバレここから*
原作では大マザーに傷つけられていないキース。
そして、大マザーとの交戦でボロボロになるジョミー。
その命を奪うのは、断末魔の大マザーが最後の力で操ったキースの銃撃によるものでした。
この後、前述のテラの元に行き、その機能を停止させることを選択します。
それは、地球の再生を止めるだけではなく、星の崩壊を決定する事となります。
そしてキースも、ジョミーの残留思念によって、その役目を終えさせられます。
*ネタバレここまで*
アニメでは、今際の際にトォニィが駆けつけることが出来ました。
考えてみれば、この結末を彼は予見してました。
それは若さゆえのでたらめさだったかもしれません。
しかし、時代が移るのであれば、若者が時代を継いで作らなければいけない。
それこそが「地球へ…」のテーマです。
ミュウが新しい世代の象徴ならば、これがレティシアのいう
ミュウの力とは、伝える力
ということなのではないでしょうか。
アニメはそれを分かりやすく、ジョミーがソルジャーの地位をトォニィへと手渡すことで表現されたわけです。
原作では、かなり違った表現なのですが……それはまた後ほど、最期にばらしましょう(w
命を伝える者達。
地球環境のコントロールをするユグドラシルが崩壊し、大マザーがフェイズ4を指令したことにより、未曾有の危機に陥る人類とミュウ。
この危機に直面し、ついに人は手を結びます。
ちなみに、原作ではミュウ母船・シャングリラの臨時艦長は、ナスカチルドレンのツェーレン。
人類の少女を助け、崩落に散るリオ。
ちなみにここは、地下都市から地上に向かう非常脱出口"空への階段"。
カナリアの子らとフィシスを助けた、ハーレイや長老達。
なお、カナリアの子らというファクターは、アニメオリジナルです。
アニメではカナリアの子らとともに、シャングリラへと逃れたフィシス。
彼女は残された人類のすがる、新たな女神となる器ですが、アニメではそれを否定し、人であることを宣言しました。
メギドを墜とすため、艦で特攻をかけるマードックはかっこよかったですね。やっぱりこういう渋い軍人が一人はいなきゃ!
……でも、あのクラスの戦艦を一人で操艦できるものなんだろうか(w
なお、改めていうと、彼は原作にはいません。
*ネタバレここから*
原作では、全てを失ってしまったトォニィ。
ナスカチルドレンの残留思念(精神生命体?)達とともに、宇宙の果ての新天地へと向かいます。
*ネタバレここまで*
次世代の世界。
アニメでは、トォニィの回想によって物語は締めくくられます。
青の間にトォニィの思い出の品が並べられ、それが人同士の繋がりを伝える力を象徴します。
なおトォニィ、ようやく「ジョミー」とグランパを呼ぶことが出来ました(w
そして、さらに時間は、地球が自然再生するほど流れます……。揺れる赤い花は、ナスカにも咲いていたものでしょうか。
*ネタバレここから*
原作のエピローグはおそらく、さらにさらに、幾百、幾千年かが過ぎた世界。
時間の流れは、人の姿すら変えてしまいます。
おそらく、宇宙中へと散り散りになった人々が、それぞれの環境に順応した姿なのでしょう。
彼らにDNAレベルで刻まれた地球への望郷の念。
その中にジョミーたちやキースたちの"想い"をつなぐ少年と少女がいました。
彼らは、長い時間を経て、改めて出会ったのです。
何のため?
それは、「地球へ」向かうためです。
*ネタバレここまで*
総括。
あなたはこのアニメを観て「古臭い」と感じましたか?「よくある話」と
思いましたか?
しかし「地球へ…」は'77年に連載が開始された、30年前の作品です。
その歴史は「機動戦士ガンダム」('79年)よりも古いものです。
アニメと原作には、大きな差異がありました。
ジョミーがナスカショックに陥らなかったり、キースが終盤まで自分の素性を知らなかったり、ブルーが長く命をつないだり……。
しかし、どちらもテーマは同じ。
それは、想いの意味でしょう。
経験による記憶、出会いによる感情、人との理解、自分の意思……。
人それぞれのそうしたものが、この物語では問われているのだと私は思います。
強い意思を持って生きよう。
アニメは原作の難解な部分を、うまく直感的に理解できるようにアレンジされていたと思います。最期まで感心させられました。
むしろ、原作の記憶で目を曇らせられない、アニメからのファンの方が、ストレートにメッセージを受け取れたのではないでしょうか。
原作ファンとしては、賛否分かれるところかもしれません。
私としては、スタンディングオベーションモノなのですが。アニメはエンターテイメントだよ。
……もちろん、絶賛できない部分も、もちろんありますけどね(w キースの心境の変化は、もうちょっと表に出して欲しかったなぁ。
さて、次は「風と木の詩」を(無理 ……カール、ようやく最期にしゃべったよなぁ(w
以上、半年間に渡る「テレビアニメ 地球へ…」のレビューは終了です。
ここまで読んでいただけた方、トラバを交わしてくれた方、本当にありがとうございました。私も楽しませていただきましたよ。
よろしければ、今後も「希望屋 renka ci=set」をご贔屓にいただけると、嬉しゅうございます(w
私も、原作ファンからアニメを見たクチですが、原作は原作、コレはコレで面白かったと思います。
もちろん、そうじゃないでしょ!と思いつつ見てたところも多々ありますが…。
「地球へ…」は終わってしまいましたが、また遊びに来たいと思います。
原作を読んでいなかったので、原作ではどうだったのか気になっていました。
マードック大佐がアニメオリジナルということに若干ショックを受けましたが、大変参考になりました!
>シロさん
個人的にどんなものでも、アニメ化作品は原作をリスペクトしながらも、改変はしなきゃいけないと思っています。原作から離れすぎず、近寄りすぎずというバランスが難しいですけれどね。
その点「アニテラ」はお手本のような良アレンジだったと思いますよ。
>はつゆきさん
最近、再装丁されましたけど、実は古本屋さんでも旧版が手に入ると思いますよ。角川あすかコミックスDX版が、関連短編が一緒に収録されていてお勧めです。
>葵さん
わはは、いいキャラでしたね、マードック。
ナンバーズメンバーが「風と木の詩」キャラだったり、ナスカが「ジルベスターの星から」だったり、「私を月に連れてって!」「オルフェの遺言」などのキャラがブリッジ要員だったりしますので、もしかしたらマードックも竹宮作品のクロスオーバーなのかなぁ。
地球へ・・・は、アニメのみしか見ていなかったので、最終回後、原作の方も気になっていただけに拝見できてとても感激致しました。
私みたいなサイトにトラバしてくださり、本当にありがとうございました。
こちらこそ、足を運んでいただきありがとうございます。
「アニテラ」は普段アニメを観ない方でも、十分に感情移入して視聴できる作品だったと思います。
Esoraさんはジョミー派でしょうか?是非それなら、原作でのジョミーの苦悩も読んでみて欲しいなぁ。きっと、さらに好きになれると思いますよ。
その機会があれば、キースも見てやってくださいな(w
思うのですが、人とミュウの共存って無理だと思うのですよ。(白人対黒人の暴動で片方がミュウだったら?どっかの危ない国がミュウ国家だったら?敗北し支配されるのは自分達普通の人間ですよね)
つまり原作もテレビも人が手を取り合ってという体裁は作っているものの、深層では
「昔の人がミュウと人との生存競争まで仕組んだ昔の人の支配=機械」から解き放たれる話かなと。
だってミュウの長なんて力が強い人がなる結構野蛮な組織なんですもの。その差は昔生きた人(機械)か今生きている人かの違いしかないですし。
その後も人もミュウも熾烈な争いをするのは必至ですから、テラを離れて散らばるのは正解だと思います。
宗教の拠点争いのように取り合いになったら、目も当てられないですもん。
長々と読んでいただきありがとうございました。
良い語りです。ありがとうございます。
よく考えれば結局、人類とミュウって理解しあってはいません。
マザーへの反逆や、地球崩壊という災害での手の取り合いは、緊急措置として協力しただけです。
"フェイズ4"によって地球は破壊されましたが、結果として人類とミュウが"地球"というしがらみから開放されたことを意味します。
その後、ミュウも人類も銀河中に散らばり、それぞれの環境で独自の進化を遂げ、種族の垣根は意味がなくなったといえます。
それらがやがて、原点である地球に惹かれ集うことこそが、この作品の真のエンディングなのでしょうね。
このページ、楽しませていただきました(*^^*)
終わっちゃいましたね。
うーん、私は、中盤までは楽しめたのですが、
その後、どうも、もやもやしたものが残りました。
原作(特にキース)への思いが強すぎるようです。
でも、動くキャラクターを見ることができ、
原作が新装版となって本屋に並び、若い人が手に
取ってくれるのは、とてもうれしいことです。
作品の寿命が延びて良かったです。
ありがとうございます。その言葉で報われます(w
アニメと言う媒体は文字表現をつかえない分、直感的な視覚表現になってしまうので、キャラクターの心の動きの機微といったものは、どうしても希薄になりますよね。
私もキース派としては、なんとももやもやした気分でしたよ。フィシスもアニメでは、そこにいただけの存在でしたしねぇ。
その分、リオやらハーレイの株が上がる上がる(w
それにしても、30年も経ったんですねぇ。歳も食わぁなぁ(w
今回のアニメ化で久々に竹宮先生のお顔も見れました。相変わらず元気だなぁ。