Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

へ‐ドリアン・ウオール踏破 Chollerford

2024-08-31 19:22:17 | 日記

いつもは朝寝坊の私が、こんな旅になると目覚めが早く、6時半には起きて一人で朝食、サンドイッチも作って、エージェントが次のホテルまで送ってくれるスーツケースを庭に置いて、寝ぼけ眼のご主人に別れを告げた。

道路はまっすぐ、ローマ人が作った道路を18世紀、ミリタリーロード(軍事道路)に作り直したもので、此の道路脇にPablic Foot Pathがある。

牧場の脇を通ると此の人懐こい馬がついてくる。日本語で話しかけるから判らないのかしつこく柵を出るときなど 押しやるようにしないとくっついて離れなかった。

此の牛は今年生まれのまだティーンエージャーで、私が珍しいのかじーっと見つめている。

途中の道筋にロビンフッドのバー、レストランが有り、その玄関脇にウオール・パスポート・スタンプ・ポイントがあった。パスポートは郵送で申し込んで2週間かかると言われて諦めていたから、ノートの端にスタンプを押してそれでよし。

広い牧場の真ん中に細い道があり、あちこち馬がいたが、ここは人間など興味なさそう。

パブリック・フット・パスでも此のあたり大変歩きやすい。

ファイヤーウイード(日本語ではやなぎらん)

道端の可愛い野生の花が目を楽しませてくれる。

壁を超えるには必ずどんぐりの標識と階段が作られている。

このあたりの壁は薄くて本当にローマ人が作ったものかはわからない。

ローマ人が作った壁は石の大きさが違う、そして2000年近くになると平地の壁は一般住居の土台や、教会の建設に使われてほとんど見かけることがない。

此の標識の中の人物は1802年78歳でバーミンガムから壁を往復して自宅へ帰り着いた600マイル(966Km)を35日で達成、その間一枚のソックスで過ごした・・・というからここまで匂いがしそう。

此の人ローカルの人達が壁の石を自宅へ運んでいるので、地主に掛け合い壁の保存に尽くしたそう。ローマ人は此の地点から東に向けては壁の幅を今までの3メータ近くから2メータ近くまでに計画変更をしたという。

写真がぼやけていて申し訳ない。イギリスで一番キレイな蝶と言われているピーコック・バタフライ。

ここはChollerford の手前細道を数人の人が歩いていたのを見て、付いて行ったらその遠いこと、往復で2kmは優にあった。

川縁の巨石でローマ人がここで川に橋をかける計画だったらしい。

上の橋が計画されたが流れて下の橋を川上に作った。

 

ここはChollerford のチェスター(Chesters)と呼ばれるローマの駐屯地だったところで、ローマ兵が500人は常駐していた。

広大な敷地にいかにもローマらしく四角四面な建築物、2000年という年月が恨めしい。どんな建物だったか、中はどうだったか、此の寒い北国で彼らはどうやって暖を取っていただろうか?

此のチェスターの玄関で此の夜のB & Bのオーナーが車に乗せて彼の家に運んでくれた。私を入れて4人の宿泊、2人はアメリカ人中年夫妻、もうひとりはヒゲのおじさん。

此の日の歩数 46,016歩距離はわからない。距離を示すアップルウオッチが途中でバッテリーが切れてしまった。

でも私は足腰問題なくシャワー後いつの間にか寝ていたので、夕食の7時に30分も遅れてしまった。

 

 


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