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“聖地 チベット:ポタラ宮と天空の至宝”展(上野の森美術館、2009.9.26)

2009-09-27 19:49:21 | Weblog

 午後、日が傾き始めた頃、上野の森美術館をたずねる。“チベット”展を見る。外は秋めく。
 
 7世紀チベット、吐蕃王朝の建国者、ソンツェン・ガンポ王のとき、チベットの土地に横たわる魔女を封じ込めるため12の仏教寺院が作られた。魔女の心臓に当たる地がラサである。「魔女仰臥図」(003、チベット、20世紀)はこの説話を図像化したもの。マジカルでエキゾチックな図像である。

               
 
 「ソンツェン・ガンポ坐像」(001、チベット、14世紀)は上部に阿弥陀如来の小さな頭像がついている。彼は阿弥陀如来の化身である観音菩薩の生まれ変わりとされた。彼は唐の妃とネパールの妃を迎える。チベットは中国とインドの混淆の地である。また彼はチベット文字を制定した。

               

 「弥勒菩薩立像」(006、東北インド・パーラ朝、11-12世紀)は優美である。ネパールに注文して作ったという。チベットの仏像の魅力を感じさせる。

               

 チベット仏教は密教であり法脈は祖師弟子関係を通じて伝えられ、祖師の遺骨・肖像などが崇拝される。元の時代にチベットを支配したサキャ派の祖師群像(チベット、16世紀後半)が金色に輝き5体並ぶ様は圧巻である。「ナイラートミヤー坐像」(023)は女性。髑髏の冠、髑髏の首飾りを身につけ、手に髑髏杯を持つ。無我・空の化身。額に目を持ち死体の上に座る。鬼気迫る華麗さを持つ。「ダマルパ坐像」(025)は躍動感があり顔が精悍。彼はインド人である。

               

 「アティーシャ坐像」(028、明代、15-16世紀)は小さな像だが顔が穏やかで真摯な人柄を思わせる。9世紀に吐蕃が滅びチベットは分裂の時代を迎える。そのさなかの11世紀、インドの高僧アティーシャがチベットのグゲ王国にまねかれる。彼は小乗・大乗・密教の3つの仏教の流れを1つにまとめ、後のチベット仏教の本流を形成する。

 「ダライラマ1世坐像」(032、清代、17-18世紀)はチベット史の転機を示す。1578年、モンゴルのアルタン汗 よりゲルク派ソナム・ギャムツォが「ダライ・ラマ」(ダライ= 大海(蒙古語)/ラマ=上人(チベット語))の称号を得、「ダライ・ラマ制度」が生まれる。(※元(げん)は1271年から1368年まで中国とモンゴル高原をを支配し、その後は北へ逃れるがモンゴル人王朝は1635年まで存続した。)のちに1642年、ダ ライ・ラマ5世がチベット統一を実現、1659年にはポタラ宮に常駐、ゲルク派が政教両面を支配し現在にいたる。

 「釈迦如来坐像」(004、北魏、473年) は珍しく中国の仏像である。チベットでは中国仏教でなくインド仏教が主流となる。その昔、中国の僧とインドの僧に議論をさせたところインドの僧が議論に勝利したためとのこと。

 「六臂観音菩薩坐像」(037、西チベット、12世紀末ー13世紀初)。その背景は、13世紀、イスラムによりインド仏教が滅ぼされた時代である。この時、多くのインド人僧侶がチベットに逃げた。

 「十一面千手千眼観音菩薩立像」(039、チベット、17ー18世紀)は無数の手に圧倒される。チベットの密教文化の精華である。

                         

 「金剛界五仏坐像」(033、チベット、14世紀)は、宇宙的象徴としての仏陀である大日如来の究極の智慧(金剛界)、その5種類を具象化した仏たちである。仏たちの髪の青さが印象的。

           

 今回の“チベット”展の白眉が「カーラチャクラ父母仏(ブモブツ)立像」(043、チベット、14世紀)である。父カーラチャクラは方便(慈悲)であり、母は空の智慧(般若)である。そして両者の統一が裸の父母仏の性的合体として示される。極度にセクシュアルでありながら美しい緊張感と迫力を感じさせる。

                    

 「グヒヤサマージャ坐像タンカ」(044、明代、永楽1403-1424)は仏の群青が際立つ。タンカは掛け軸の絵のこと。修行の極点において図像をよすがに修行者が仏と一体化する。密教の神秘主義である。

                     

 「マハーカーラ立像」(051、明代、永楽1403-1424)は小さな像である。日本では大黒天。元来はヒンズー教のシバ神の化身であるが、仏教の護法神となる。憤怒の形相で悪を打ち砕く。現世利益の神としてチベットでも人気がある。太った腹はエネルギーの強大をあらわす。

 観音菩薩が畏怖されたためか、観音の6人の従者の一人“緑ターラー”が慈悲深さ故に人気がある。「緑ターラー立像」(056、チベット、18世紀)は優しさに満ちる。「緑ターラー坐像」(055、明代、15世紀)はやさしく優美である。

 「ヤマーンタカ父母仏(ブモブツ)立像」(047、清代、18世紀)は大きな仏像で角がある牛の顔をしている。9つの顔、34本の手、16本の足を持ち、妻を抱き性的に合体している。猥褻そのものとも言いうる。

 「白傘蓋仏母立像(ハクサンガイブツモリュウゾウ)」(059、チベット、18世紀)はたくさんの頭、たくさんの手、たくさんの脚が様式化され整然と造形化されている。精緻な工芸品のような仏像。

 「ダーキニー立像」(060、チベット、17ー18世紀)は恐ろしい女尊である。ダーキニーは男性修行者のパートナーであり時に性的歓びを与えるが気に入らなければ男の修行者を食い殺すという。

              

 「須弥山曼荼羅」(083、チベット、17世紀)は中に穀物を入れて仏に捧げる。須弥山は世界全体の象徴でありそれは仏への最高の供え物となる。

 「カパーラ」(075、チベット、19世紀)は高僧が遺言により死後、弟子に作らせた自分の髑髏杯である。密教であるチベット仏教は祖師の遺骨を崇拝する。

 政治と宗教の関係を見ると元の中国支配は宗教的権威を必要としフビライはそれをチベット仏教に見出した。「パクパ坐像」(095、チベット、17ー18世紀)におけるサキャ派の総帥パクパはフビライの師であり、チベット仏教は元の国教となる。パクパはまた元のためにパスパ文字(1269年)を作った。

 「夾彩(キョウサイ)宝塔」(105、清代、18-19世紀)は清・乾隆帝がチベットに送ったもの。磁器・景徳鎮窯である。乾隆帝はみずからチベット仏教徒であった。

 「チャム装束(忿怒尊)」(110、チベット、近代)の仮面は髑髏である。チャムはチベット仏教の宗教舞踊。忿怒尊(恐ろしげな怒りの姿の明王)は鳥葬の墓を守る神である。

                   

 完結したチベット密教の世界から解き放たれ少しショックを感じながら暗くなりかけた上野公園にもどる。秋の夕刻は寂しげである。


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